:ジョルジュ・デュビー小佐井伸二訳『ロマネスク芸術の時代』

                                   
ジョルジュ・デュビー小佐井伸二訳『ロマネスク芸術の時代』(白水社 1983年)
                                   
 早とちりして、ロマネスク芸術を論じた本かと思って買ったら、よく見ると「の時代」と書いてありました。読み終わって、うすらぼんやりの私にも理解できたのは、ロマネスク芸術を美から語るのでなく、ロマネスク芸術が生まれた時代を語る本で、歴史の本だということです。

 もうひとつこの本を買った動機は、小佐井伸二が訳しているからで、小佐井伸二はこの前『中世が見た夢』で、その抒情的な感性溢れる美しい文章を味わったばかり。

 デュビーの本はもちろん初めて読みましたが、何よりも印象深く、きわだった特徴をなすのは、叙述の仕方です。託宣を述べるがごとく、神がかり的かつ含蓄の多い語り口で、おそらく口述筆記をしたのではないでしょうか。デュビーの頭の中には、中世の像がしっかりとできていて、何も資料を見ずにすらすらと語った、そういう長老的な雰囲気があります。

 それなら易しいだろうと言うと、そうでもなく、ある種の哲学書によくあるように、簡単な言葉しか並んでいないのに難しい。そんなわけで、写真が多く文章の量が少ない割には、読むのに難渋しました。

 うすぼんやりの私にも理解できたのはおよそ次のようなことです。いい加減なまとめ方で、ぼんやり故に間違っているかもしれません。
1)ロマネスク芸術が誕生したのには、異民族の略奪が収まり、農村の生産力が増して豊かになったことが背景にあり、それに人の移動が流動的であったことが寄与している。が重要なのはゲルマンの王たちがキリスト教を取り入れたことである。
2)教会は王を典礼の中心に据え、王たちはみずからの権威を高めるために教会堂を建てた。その際ローマの建築をモデルにした。それで古代のモチーフがキリスト教典礼において復活した。
3)しかし十世紀を過ぎると、王権の衰微が始まり、封建領主たちが取って代わるようになる。
4)教会の指導者たちは思い切って、教会堂の扉に神の姿を彫らせた。それは量感が与える力強さによって信者たちの心に訴えるためであった。それはそれまで農民たちが崇拝しつづけていた人間の姿をした神々であった。
5)教会の要職者や修道士はみんな貴族の出身で、騎士とは兄弟か従兄弟の関係にあった。世俗と聖職の区別が薄くなった。武勲という騎士的な価値が入ってきて、それが十字軍につながる。
6)巡礼は神に近づくひとつの道であり、騎士たちの贖罪と苦行のかたちであった。サンチャゴやエルサレムへの巡礼はイスラム教国への軍事的攻撃の様相を帯びてきた。
7)教会は寄進が魂の救済につながるとし、教会堂のまわりに地獄を描くことによって、教会への寄進を促がした。騎士たちは十字軍の戦利品を教会へ寄進した。教会は過剰な寄進を華美な装飾の財源とした。
8)一方、教会のそうしたあり方に批判的な勢力が修道会を形成するが、その修道会の中にも、クリュニー修道会のように典礼を重んじる派もあった。そして修道院が西欧の最大の文化の中心となっていく。
9)修道院芸術は民間信仰を受け入れる形で、それまで表現してこなかった悪魔を造形したが、それは古代の神話をもとにしており、そこに古代の文様を復活させた。

 この本で不思議に思ったのは、文章で写真の説明しているページと、写真の掲載順序とがまったく一致していなくて、その都度、何ページも戻ったり先を見たりしないといけなかったことですが、何故でしょうか。


 間違った解説だけではいけませんので、実際の文章を少し引用しておきます。

君主は神の祝福を受けているのであって、その権威は超自然から生じ、その職務はまず、王の讃歌がほめたたえているように、目に見える世界と目に見えない世界という二つの世界を調整することであり、そして、天と地とのあいだの宇宙的調和を司ることであった。/p26

フランス王国で、新しい社会構造が現われはじめた。・・・権力と富の配分の仕方に、それから、人間と神との関係の理解の仕方に、そして、その結果、芸術創造の仕組に。この変化、言い換えれば、われわれが封建制と呼んでいるものの確立を照合することなしには、ロマネスク芸術の出現も、その芸術がそなえている特種な性格も理解しえないだろう。/p69

典礼中心主義から直接キリストに向く)この方向転換には、十字軍に行き着く信仰の動きが協力した。巡礼者たちが守護聖者の聖遺骨匣に参詣するよりはキリストの墓のほうへ行くことを選んだとき、・・・十字架は新しい意味を帯びはじめた。/p195

サン・ドニの正面入口のために、彼(修道院長シュジェール)はひとつの献辞をつくった。・・・「ここ、内部で光り輝くもの」―もちろん、建物のなかで、だが、同時に、世界や時間の中心で、人間の心のなかで、神の心のなかで/p199

穹窿は、最後にそして、何よりも、建築のリズムのうちに円を導入した。円、つまり、循環する時間のかたち、完全な無限の線を、それゆえ、永遠の、修道院の教会堂がその控の間であろうとしたあの天空の、もっとも明確な象徴を。/p217

 訳者もあとがきで、デュビーの文章の歌うような特徴について、次のように書いていました。

対象との心情的係わりの強さ、対象への主観的没入の深さが、ときに彼(デュビー)をして「讃歌のように歴史を歌わせる」のだ。それは、ちょうどブルゴーニュやカタロニアに残るロマネスクの教会堂が、とくに内部において、その結構のきびしさのゆえにおのずから美しい旋律をわれわれの目に響かせるのに似ている。/p233