田中仁彦『ケルト神話と中世騎士物語』


田中仁彦『ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険』(中公新書 2004年)


 読みやすい文章で、全体の骨子が明確、かついろんな物語が紹介されていたので、楽しく読めました。10年ほど前に、この本にも紹介されている『聖ブランダン航海譚』とか『沈める都 イスの町伝説』を読んだことがありましたが、他は名前のみ聞いたことがある程度で、知らない話がほとんどでした。

 いくつかの論点をまとめてみます。
ケルトの宗教ドルイド教ケルトの地に入ってきた東方キリスト教に親和性があった。ケルトの神々の母がアナという名前だったことで、東方キリスト教聖母マリアの母親の聖アンナ崇拝が受け入れられたという。口承を旨としていたケルト神話が、面白いと思ったキリスト教の修道僧に書き留められたことで、ケルト神話の物語が今日に伝えられることになった。

ケルト神話の特徴は、ギリシャローマ神話が描く他界が暗黒の世界であるのに対し、他界が明るく生命に満ちあふれる女人の国であること、あの世とこの世が地続きで行ったり来たりできること、しかしあの世とこの世の流れる時間は「浦島物語」と同じく異質であること。ケルト人の他界がなぜ女人たちの国であるかと言えば、大地母神の分身や臣下の女神たちが住む国だからである。しかし、キリスト教の到来とともに、古き良きケルト的他界は悪鬼悪霊の棲み家となり、大地母神は人喰らい妖婆となってしまった。

ケルトのなかでも、アイルランドと他のケルト世界とは少し異なっていて、アイルランドでは他界は海の彼方にあるが、ウェールズブルターニュでは、地続きであり、ドルメンや墳丘の下などにある。

キリスト教の修道僧がケルト神話を書き留めた際に、物語のなかに、少しずつキリスト教的な要素が入り、別の物語に姿を変えていった。例えば、『美貌のコンラの冒険』では、ドルイド教を腹黒い悪しき口と、妖精に言わせている。著者は、海上の他界を旅するケルトの物語『メルドゥーンの航海』が、キリスト教の他界に向かって旅する『聖ブランダンの航海』に変わっていったことを、ストーリーを詳細に追いながら比較記述しています。

⑤同じようにケルトの神話が、中世にはアーサー王伝説に形を変えていて、ウェールズの古伝承をもとに、クレチアン・ド・トロワが騎士物語を書いた。アーサー王が運ばれていったというアヴァロンの島はまさしくケルト的他界であり、アーサー王の「円卓の騎士」たちとはケルトの神々であり、騎士たちが出会う美女や魔女もケルト神話の女神が姿を変えたものに他ならない。冒険の舞台であるブロセリアンドの森は、ブルターニュの大地母神であり水の精であるヴィヴィアンヌの森なのだ。


 いくつか面白い話の場面がありましたので、下記に。
絶世の美女エーディンは彼女を妬むミディール王の妃フォーヴナハによって毛虫に変えられ、ついで紫の蝶となり、次にアルスターの王エタアの妻の酒盃に落ちて彼女の子宮に入り、再びエタアの娘エーディンとして生まれ変わる(ケルト神話『エーディンへの求婚』)(p19)。

島の住人たちは・・・絶え間なく大声で笑い続けている・・・仲間の一人をこの島に送った。すると、この男もまた大声で笑い始め、ブランたちが呼んでも返事もしない(アイルランド古伝承『ブランの航海』)(p36)

陸地に足を触れてはならないと忠告・・・彼の足が地面についたとたん、彼の体は灰になってしまった(同上)(p37)

トァン・マッカラル・・・変身して鮭となる・・・釣り人に釣り上げられ・・・カラルの妻に食べられて彼女の腹の中に入り、カラルの息子マッカラルとして人間に戻り、彼の見てきたアイルランドを舞台とする諸種族の興亡を語って死ぬ(アイルランド古伝承『トァン・マッカラルの話』)(p58)

世にも美しい大きな城が目の前に現われた。彼らはこの城に向かって日の暮れるまで歩き続けたが、もうすぐ近くまで来ていなければいけないはずなのに、朝の時より少しも距離が縮まったようには思えない(ウェールズ古伝承『キルフーフとオルウェン』)(p90)。

一頭の白い羊を捕まえて柵越しに黒い羊の群れの方に投げると、この羊はたちまちにして黒い羊になった。反対に、彼が黒い羊を白い羊の群れの方に投げると、この羊は一瞬にして白い羊に変わるのである(ウェールズ古伝承『エヴラックの息子ペレディール』)(p103)。

また、この川の岸には一本の大きな木が立っていて、白い羊の側は緑の葉で覆われているのに、もう一方の側は根本から梢まで真っ黒に焼け焦げていて(同上)(p104)

ランスロ・・・は、立ち寄った教会の墓地で、イヴァンやゴーヴァンをはじめ、円卓の騎士たちのために用意されている墓を見る。ここは円卓の騎士たちがいずれ赴かねばならぬ国なのである(クレチアン・ド・トロワ『ランスロまたは荷車の騎士』)(p218)。