井口正俊/岩尾龍太郎編『異世界・ユートピア・物語』


井口正俊/岩尾龍太郎編『異世界ユートピア・物語』(九州大学出版会 2001年)


 西南学院大学で行なわれた同名の公開講座と福岡県リカレント講座の講義をもとに編集された書物で、9名の研究者がいろんな視点から論文を書いています。巻頭の2論文は私には難しすぎてよく分からなかったので、他の7つについて、簡単に紹介します。

 とくに興味を惹かれたのは、モアの『ユートピア』とデフォーの『ロビンソン・クルーソー』が、交錯しながら享受され変形されて行った過程を考察した岩尾龍太郎「ユートピア物語とロビンソン物語」と、中国の二つの仙郷観、ならびに道教が登場して以降の仙郷伝説について論じた王孝廉「中国における仙境伝説」の2論文。次のような部分が印象に残りました。

 「ユートピア物語とロビンソン物語」では、
①ロビンソン物語の絶海の孤島という場所は、ユートピアと通底するポイントである。デフォーの原作では、ロビンソンは罰当たりな奴隷商人であり流れ着いたのはオリノコ河口の島なのに、ロマン派的な誤読により、絶海の孤島で勤勉に励む人物として流布していった。

②西洋のユートピア物語群の基本型は、旅の部分とユートピア部分の二つからなる。東洋の異界では、旅の経路の記述がなく、桃源郷、仙界が忽然と現われることが多い。経路よりむしろ参入資格が問われる。

ユートピア社会の労働時間の短さ、食事時間の長さ、祭礼の多さは、労働者の享楽のためというより、剰余生産物の蓄積による歴史的変化を拒否するため。ユートピアの空間は幾何学的で清潔・秩序癖が顕著、便所、墓地は忘れられ、赤ん坊、病人、老人の居場所がないこともある。

④これから求められるのは、完璧な幾何学的建築・街路ではなく、フーリエが言うような、かなりの変動に耐え得、時間・変化に対応できる異種混在郷(ヘテロトピア)であろう。

 「中国における仙境伝説」では、
①古代の中国人は、川が東に流れて海にどんどん入っているのに海の水は溢れないことから、渤海の東に幾億万里あるか分からない大きな底のない無府の谷というのを想像し、その中に蓬莱山を含む五つの仙山があるとした。一方、西に黄河の源流をたどれば崑崙山が聳え、そこを天柱と見なし、仙郷があるとした。そして漢代になると、この二つの東西の仙郷伝説は完全に融合した。

②神仙の観念は道教の成立後に生まれたものではなく、古来からの仙郷神話に源を発している。道教の世の中になってから、仙郷は東方の無府の谷あるいは西方の崑崙ではなくなり、近場の名山や大きな沢など、いたるところが神仙の居るところとなり、多くの仙郷物語が生まれた。


 他に、
アイスランドでは、自由農民が全員参加可能なアルシングというユートピア的で隣人共同体的な集会の制度があったが、時間が経つにつれて首領たちが争うようになり島が荒廃していったことを報告した中島和男「北欧のユートピアアイスランド植民をめぐって」、

鉄道網の発達やトマス・クック社のパック旅行によるマス・ツーリズム誕生を背景として、イギリスの女性旅行家ビアトリス・グリムショーが20世紀初頭にオセアニアと東南アジアの島々を広く歩き回った事例を紹介したうえで、結局、彼女の旅はあらかじめ抱いていた南海楽園イメージという鋳型を再認するに過ぎなかったと厳しく指摘した大谷裕文「旅とユートピア―楽園幻想とポリネシア旅行」、

中国の二つのユートピアの系譜、すなわち儒家・法家の考えに基づき、理想的支配者によって営まれる中央集権的階級的で、官僚制度、礼・法の完備した平和国家と、老荘ユートピア思想に基づく、閉ざされた「小国寡民」の自給自足的村落共同体的国家について詳述した邊土名朝邦「桃源郷―中国的ユートピア世界」、

皇室の父方の祖先は太陽神、母方の祖先は海神で、ともに稲作に必要な太陽と田圃の水を表わしているとする山中耕作「日本人の他界観―『古事記』を中心に」、

モアのユートピア物語の源泉の一つにコロンブスなどの新世界発見があったことを指摘したうえで、各ユートピア物語に共通する特徴を、1)航海による漂着、2)洋上の島、3)都市計画に基づく幾何学的人工都市、4)堅牢な城壁の存在、5)孤立あるいは自閉への欲望、と分析した後藤新治「ユートピア図像学」。

 各論を総括する論文があればよかったですが、少しテーマがばらけすぎて、全体としてはまとまりのない印象を受けました。