:カサリン・バスフォード+阿伊染徳美『グリーンマン伝説』(社会評論社 2004年)


 最近新刊書店で偶然目にしたもの。古本屋ばかりに出入りしていると新刊情報に疎くなります。


 ポルトガルの教会や宮殿で口から葉っぱを出している彫像をあちこち見たのでグロテスク文様の一種かと思っていましたが、グリーンマンというひとつのジャンルを形成していたのはこの本を見るまで知りませんでした。先ほど読んだバルトルシャイティスにも植物文様から人間の頭が出ている形についてはいくつか言及がありましたが、口から葉を吹いている形は出てきませんでした。


 と書いてから、バルトルシャイティスの『異形のロマネスク』ではどうだったかと、本を引っ張り出したり自分のブログを眺めていたら、そのとき一緒に読んだ馬杉宗夫の『黒い聖母と悪魔の謎』に葉人間が出てきていることに気づきました。(09年7月27日記事参照http://d.hatena.ne.jp/ikoma-san-jin/20090717/1274831229

 本を見ると、このバスフォードの著作も引用され、よくまとめられていると評価までされていました。
 たったの2年前のことなのに、きれいさっぱりと忘れていたのは何とも情けない話。

 
 グリーンマンとは、「一、頭部の髪やひげなどが植物となる。二、口、鼻、目、耳などから植物を出している。あるいは吸っている。三、体が植物になる。植物から人体が出る。」(p13)彫像や画像のこと。この本は、画家の阿伊染徳美がグリーンマンを知り、知識を深めて行く過程を綴った雑誌連載2本と、阿伊染氏が師事したバスフォード先生の原著『グリーンマン』の翻訳を収めています。


 阿伊染氏の雑誌記事の部分は、しろうとらしい味わいにとても好感が持てました。何かを知り染め、どんどん探求するにつれて世界が広がってゆく過程が、わくわく感とともに語られています。

 『グリーンマン』に触発され、一人の人間の持っている知識や感性を総動員して取り組む様子が窺えます。古事記や葉守の神、北斎宮沢賢治ウィリアム・モリス、ブレイク、ルソー、夏目漱石野上弥生子、どんぐり感(これはちょっと説明しづらい)などが関連づけられて語られます。悪く働けば牽強付会ということになるのでしょうが、この人の中では一つの世界観としてまとまっているのが分かります。


 バスフォードの『グリーンマン』の翻訳部分では、多くの例証が図版とともにあげられていて並々ならぬグリーンマンへの関心を感じます。馬杉氏も指摘しているように、この分野では初めての体系的著作のようです。ただ不満なのが、原著では174葉の写真があったらしいのに、この本では30葉しか収録されていないことです。こうした分野の本では言葉よりも写真が命という気がしますが。


 偶然、この本を読んだ直後に、BBC製作のテレビ番組「知られざる東欧の国」を見ていたら、モルドバ(だったと思う)の祭が映し出され、キャスターの男性が葉を頭にかぶせられているのを見ました。まさにグリーンマン。ヨーロッパではキリスト教以前の自然信仰が脈々と続いているのが分かります。


 いくつか引用しておきます。

ディオニソスの石彫作品に、もっとも古いグリーンマンの姿が認められる/p14

グリーンマンは豊かな収穫をもたらし、人々に酒を与え、幸福を招き、また邪悪なるものから守る神なのだから、パブの名には最適なのだ/p29

山男山姥らは次から次へと木の葉を着た不思議な人物らである。これもわたしから見れば葉守が変形して生きたもので、仏教や神道が追いやった原始の神の姿なのではないか。つまりここに縄文時代人の葉守がみえるのだ/p85

ランスロット騎士はやはりグリーンマンであった。アーサー王の所には全身緑の騎士が現れ、その馬さえ緑色に輝いている。そして誰もかなわぬ力を発揮して去ってゆく謎/p194

野上弥生子『狐』・・・見る見る二人とも全身木の葉におおわれ、足は根になり胴は幹になり、両手は枝になって顔が梢となりながら/p197

ここからバスフォード『グリーンマン』の翻訳(ページ数が若くなっていくのは、横書きで巻末から逆にページを繰るようになっているため)

葉に顔のある彫刻・・・こういった彫刻は悪意のあるものが多く、中には不気味で、ぞっとさせるような強烈な作品もある/p281

葉のような頭や顔を持つグリーンマンの究極的な起源は、1世紀後半のローマの芸術にまでさかのぼる/p276

射るような鋭い視線はこれら3つの彫刻に共通しており、葉のマスクという古美術の、頑固でありながら不変ではない特徴は、後世グリーンマンに受け継がれる「一族の特徴」として認識されるべきもの/p275

中には顔全体が葉になってしまった顔まであるのだ。/p274

ふたつの「変形」・・・人間の顔が葉に変わっていく様子(葉文の頭が人間の首と肩に乗っている)と、葉が人間に変わっていく様子(ひとつは葉の束、もうひとつは茎と一枚の葉)である/p250

単なる装飾用の共同作業と重要なアイディアの共同作業を見分けるのは簡単なことではない。同じように装飾の多様化のために作られた彫像の種類なのか、はたまたモチーフに新しい意味を加えるための種類なのかを見分けることもまた難しい/p234