Jacques Abeille『Les jardins statuaires』(ジャック・アベイユ『彫像の地』)

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Jacques Abeille『Les jardins statuaires』(Attila 2010年)

                                   
 章もなにもなく、ひたすら文章が続く573ページの長編。これまで読んだフランス語の本で最長です。要約を作りながら毎日少しずつ読みましたが、2か月半ぐらいかかり、要約は400字詰原稿用紙にすると225枚分にもなってしまいました。フランス人でも読むのはたいへんだと思います。事細かに描写するいわゆるフランス風の饒舌体で、半分ぐらいに圧縮しても作品の質は保てるのではないでしょうか。

 シュネデールの『フランス幻想文学史』にもBaronianの『Panorama de la littérature fantastique(幻想文学展望)』にも紹介されてないので、どこでこの作家を知ったのかよく覚えていません。3年ほど前にパリのジベール・ジョゼフで買った古本。著者は、ウィキペディアによれば、カリブ海のフランス領地で育ち、ボルドーで文学生活を開始し、後期のシュルレアリスム運動に参加した人のようです。本作は、架空の地方を舞台にした「Le cycle des contrées(地方の循環?)」というシリーズの第一作ということです。

 細部が面白いので、要約すると面白さが伝わらないと思いますが、物語の枠組みは次のようなものです(ネタばれ注意)。
主人公は、旅人とだけ記され、彫像の地にふらりとやってくる。宿に泊まると、ガイドを名乗る男が現れ、町の見学に案内される。その地では、彫像の破片を地中に埋めて植物のように育て、住民らが剪定して、立派な像にして家に飾っている。主人公は宿を拠点に、ガイドとともにあちこちの町を見て歩くが、ひとつの彫像の年代記をみんなで書き足して一冊の本にする仕組みを知り、自分もこの彫像の地の記録を書こうと決意する。

ガイドからは、彫像を育てる過程での失敗作の処理や畸形の誕生について、また男女が結婚するまで隔離されたりするさまざまな風習、北方の草原の野蛮な放浪民にまつわる伝説などを聞かされ、次第に友人のようになる。一方、宿の主人からも最上階に取りつけられた望遠鏡で町のパノラマを見せられたりする。が宿の主人とガイドには何かの因縁があって敵対している。

もっぱら南の方ばかりに行っていたが、宿の主人から望遠鏡で北の方角の崩壊しかかった町を見せられ、単身北の町へ向かう。そこは管理不能になり彫像が爆発的に増殖している町だった。町に居残り続けている父娘と出会い、娘と恋仲になる。娘には兄が居たが父に勘当され町を出たと言い、婚約者がいたが結婚を断ったと言う。迎えに来ると約束し、放浪民の首領に会うためにさらに北に向かう。ある場所で放浪民の首領らしき男を目撃し、彼が落とした護符を拾う。北方への案内役を買って出た男に殺されかけるが、女騎士に助けられる。女騎士に媚薬を飲まされ愛し合う。

ついに放浪民たちに出会う。彼らは主人公の豪胆さに驚き、また首領の護符を持っていたので、首領のところへ連れて行く。首領から仲間になれと勧誘されるが断る。約束どおり崩壊の町へ戻り、地下迷宮をくぐる困難を乗り越えて娘を助け出し宿に帰る。と宿は娼婦宿に変貌していた。宿の主人に冒険を語るうち、宿の主人がどうやら娘の兄で、婚約者がガイドだと分かる。娼婦宿組合が娼婦の娘たちにも売春をさせようとする事件が起こり、少女らを救うには金属の小像が必要だと、北の果ての彫像処理場にある鍛冶場へ向かう。が原料となる金属が不足していた。金属を手に入れようと、ふたたび放浪民の首領のところへ行くが、首領は戦争を起こすため全部武器に鋳造し直したばかりだと笑い飛ばす。


 長々と読んだあげく結末が宙ぶらりんのような一種の徒労譚で、読み終わった私もどっと疲れました。全体的には、シュールレアリスム的な珍奇な想像力に溢れる一方、架空の世界の出来事なのでSFのような感じもあります。空想科学小説(SF)から科学を除いた空想小説と呼ぶべきでしょうか。壮大な想像世界を築き上げているという感じで、映画にすると、「レイダース」をさらに幻想彷徨譚風にアレンジしたようなもの凄い映画ができそうです。

 この作品の魅力のひとつは、白亜の彫像が植物のように育っていくという前提もさることながら、架空の土地の風景に想像を掻き立てられることにあると思います。出色なのは、火山のように石が絶えず爆発している「崩壊しかかった町」、そこに再び訪れると、すでに崩壊が極度に進んでいて、洞窟のなかの迷路を石灰の沼に足を取られたりしながら巡る場面。また廃墟の町がつぎつぎと登場しますが、何千もの彫像がまっすぐな道の両側とさらにその垂直方向にも立ち並び地平線まで広がる「見捨てられた彫像の地」、真中の大通り以外は巨大な迷路で、小径や袋小路、段差、小広場などがもつれ合う「白っぽい死の町」など幻想的です。

 もうひとつの魅力は、彫像のさまざまな形が出てくることです。掌に乗せるとキノコよりも軽く、落とすとガラスの鈴のような音を立てて割れるという彫像の芽、初め騎馬姿だったのが骨壺にしなだれかかった女性に自ら変化する彫像、初めは2メートルの高さが次に20センチぐらいになり何か月か後には小指ぐらいになってしまう小さな彫像、頭と腕がないが歩き始めたという背の高い黒い彫像、成長とともに根が消え軽くなって空に舞い上がり雲のようになる彫像、さらにそれが高く上がると壊れて粉が雨のように降りそそぐという。また地面の表面に浮彫を描くだけでそこから蝶々が飛び立っていく彫像、など。

 また彫像の育成のあり方にいろんな物語を付与しているのも面白い。彫像のあちこちに耳や鼻が生えてくるので裁断するとそこが皮膚病のようになって広がって行き他の彫像にもうつる、それを防ぐには濡れタオルで拭かないといけないとか、彫像は祖先の誰かに似るが、もし生きている人に似ると、その人は彫像の成長とともに衰弱して、最後は死んでしまうというエピソード、また彫像の石と樹は互いに勢力争いをしていて、植物は彫像の芽の成長を抑える一方、石は樹の根の成長を歪めてよじれさせるといった設定など。

 あと細かなところでは、途中で謎めいた暗号が散りばめられているのも魅力。ひとつは首領の落とした護符であり、また宿の主人とガイドの間の理由のわからぬ敵意、最たるものは、女騎士との出会いの直後、風呂場のモザイクにその事件と類似した絵柄があったりするなど、興味が刺激されます。他に珍妙な想像力としては、彫像につけられた名前がレーモン・ルーセル風で、『瓶の蓋のような雲』とか『髭のネクタイ』とか『新婚のベッドのパラソルの陰』というのがありました。

 ウィキペディアにはアベイユに近しい作家として、ネルヴァルを筆頭に、、ジョージ・デュ・モーリアジュリアン・グラックジャン・レイ、イエンゼン、パスカル、マイリンク、ブッツァーティトールキンなどの名前が挙がっていましたが、マルセル・ブリヨンに似たところもあるように思います。