:「ユリイカ 幻想の博物誌」


高山宏ほか「ユリイカ 特集:幻想の博物誌」(青土社 1993年)


 どうやら1980年代後半から90年代にかけて怪物ブームが起こっていたみたいです。このところ読んでいる幻獣本もだいたいその間に出版されています。この雑誌で荒俣宏高山宏の両宏氏が書いているのを見れば、世界的にも「驚異の部屋(ヴンダーカマー)」など幻獣博物誌趣味が蔓延していたみたいです。これは時代の流れの中である土壌が成熟し、そのなかで風潮をリードするような著作が先行し、その影響下で生まれた様々な論稿が増幅して、それが情報として世界に飛び散ったということなのでしょう。リードするような著作のひとつがバルトルシャイティスであり、あるいはE・H・ゴンブリッチ、マリオ・プラーツだったと思われます。この雑誌のなかでもあちこちで引用されていました。話が逸れますが、世界同時進行という現象は、最近では反グローバリズムがありますし、かつては学生の反乱と呼ばれる現象が世界的に起こりました。なかなか面白い現象です。

 この雑誌の特集は、24もの評論、対談、詩を集めたもので、このテーマにふさわしい執筆陣を揃えています。なかでも高山宏「ダス・イスト・ヴンダーバール!―幻想博物誌の現在」は、上記の幻想博物誌に関する論考の系譜を網羅的に語っていて、読みごたえがあります。なかの記述からすると、このユリイカ特集の編集にもタッチしていることが窺えます。

 もうひとつ群を抜いて面白かったのは、赤池学「幻獣カミナルキュールの進化論―計量分類学と相同分類学のレッスン」です。生物の持つ形質を統計処理して類似度を調べ系統図に表わす数量分類学というのがあり、その代表者カミン教授が手法開発のために作った「幻獣カミナルキュール77形態」を素材に、機能論的先験論的アプローチによりSF的に推理し分類する新たな手法を試みています。こう書いても何のことか分からないと思いますし、説明するにはかなりの文章量が必要なので、原文を当っていただくしかないですが、その手法は企業の苛酷ともいえるマーケティングに似ていると言います(p138)。

 他には次の論考と詩が印象深かった。16世紀におけるグロテスク的世界の隆盛を示したマウリツィオ・カルヴェージ伊藤博明訳「アルチンボルドの源泉とポリフィロの緑夢」、日中の博覧強記の対決が見られる田中優子武田雅哉両氏の対談「大陸横断幻獣考」、比較文学の見事な成果が感じられる脇明子「男装の人魚姫と八百比丘尼―西欧と日本の人魚たち」、世界の知識が増えるほどかえって幻想が拡大する有様を描いたバルトルシャイティス彌永信美訳「世界図と地図」、直接描写を避けて暗示するラヴクラフト象徴主義的な手法を解説した菊地秀行「この地に朱の楽園を―ラヴクラフトクトゥルー神話》」、自然に人工の手を加える法悦を擁護した荒俣宏「フェイクとフォージェリ」、キリスト教文化圏最大の〈幻想〉の中世以降の例を紹介する阿部日奈子「処女懐胎」、バルトルシャイティスの幼年青年晩年の貴重な写真が掲載された彌永信美バルトルシャイティス怪物たちの宴」、硬質な詩情に溢れた高柳誠「銀の時代のサーカス」。 

 いくつか面白い文章があったので、ご紹介しておきます。

ダルマティアの海岸にある洞窟では、何か軽いものをその中に投げ込むだけで、海に向かって突風が吹き出す(「人・宇宙・象」に引用されたプリニウス『博物誌』p85)

死んでしまうと、その臭い涎が強力な接着剤になるあの赤い毛の齧歯目の動物・・・食用になる昆虫が、腹を空かせた鳥から身をまもるために、アスピリンの錠剤の振りをする・・・泡を立てる石鹼になる動物(「ポニュケレ国周遊記」に引用されたR・ルーセル『アフリカの印象』p121)

イングランドハリネズミは、自動車が登場したこの一世紀の間に、体を丸めるという防禦行動を放棄し、走り出す行動を選択した(「幻獣カミナルキュールの進化論」p147)。

イギリスの哲学者デレク・パーフィットが想像した、子供を産まない三種類の人々・・・第一種の人々は、アメーバのように分裂によって繁殖する・・・第二種の人々は分裂だけでなく融合もする・・・第三種の人々は生殖しないだけでなく、分裂も融合もしない。彼らの身体は不滅だが、身体も心理的状態も少しずつ変わっていき、たとえば500年以上昔の記憶は全く持っていない・・・われわれは特に第三種の人々とよく似ている。ある意味ではわれわれは刻一刻と部分的に死にながら新しく生まれており、違った人物になりつつある(森村進「オドラデク、弁護士馬、法のイメージ」p202)


 高山宏論文では、当時の時点ですでに幻獣博物誌趣味を批判する人たちも出始めていると書かれていましたが、現在はどうなっているのでしょうか。