:久重忠夫『西欧地獄絵巡礼』(彩流社 1996)


 倫理学の教授である著者が、若き留学生時代に、ヨーロッパの「最後の審判図」を見てまわった時の日誌を公開したものです。たくさん(65図)の写真も掲載されています。

 なぜ地獄絵ばかり見てまわったのでしょうか、著者によれば、「自分の研究の主題に、<罪悪感の現象学的研究>なるものを掲げていたので、ヨーロッパの地獄絵の研究、特に罪人の描写の研究は不可欠の副専門であると思い込んでしまったし、また、思いこもうともしていた/p22」ということのようです。そういうわけで、この本は、一貫して、地獄がどのように描かれているかが興味の中心となっています。

 著者は美術史の専門ではありませんが、問題意識がはっきりしていて、美術史の専門家と、海外へ絵を見に行くような美術マニアの中間ぐらいの存在なので、専門家からご高説を拝聴するというというのでなく、一緒に地獄絵めぐりをしているような感じがして、親しみが湧きます。

 最後の審判キリスト教の教えの中での位置づけや、審判図の構成、悪魔の種々層、悪魔像の変遷などについて教えられることが多くありました。

 蛇や蟾蜍が地獄で罪人を苛む役割を担っていたという記述から、J・ロランの物語のなかに頻出するこれら動物の背後にある意味を知ったり、この本に引用されている天国の「外側から宝石の鏤められている、水晶や純金製の壁で取り囲まれており、さらにそこにはさまざまな鳥たちによって豊かに飾り立てられている木々が生い茂っている/p70」というイメージと、M・ブリヨンの『幻影の城館』に出てくる人工の鳥たちが飛び交う部屋とのつながりを感じたりしました。

 東西の地獄のあり方を比較したところでは、西欧では「地獄にまで天使がいる、といっても、地獄の中にまで救いに来る地蔵菩薩とは大きな違いで、悪魔の仕事に協力するのである。/p29」というのや、和辻哲郎の引用で、「中世人は十字架のキリストをできる限り生々しく、陰惨に、見る者をして現実的な痛みや苦しみを感じるように表現するのである。従ってそれは神の子の表現でもなければ、神の愛の表現でもなく、ただ残虐と苦痛との再現に終わっている。いわんや殺伐な地獄絵のごときに至っては、残虐の喜びを表現するものとさえ言い得られるであろう。/p212」といった西欧人の野蛮性を指摘する記述などが、印象に残りました。

 また本題から離れたちょっとした記述にも味わいがあります。例えば次のような文章。

アッシジの町は、この地方のほのかに桜色を帯びた石で建てられていて、実に優美な色合いである。ヨーロッパの町の魅力は、その土地独特の色彩を示す石の色であろう。・・・フィレンツェ・・・少し黄土色が濃すぎるような気がする。・・・パリの薄い色合いはそれなりに落ち着きがある/p101

 『神曲』から引用されている次のような部分を読んで、まだまともに読んだことのなかった『神曲』をぜひとも読んでみようと思いました。

 蛇、毒蛇の群れが亡者を苦しめ、蛇が亡者を刺すや否や、亡者は燃え上がり灰となるのだが、たちまちその灰が集まって、もとの姿を取り戻してしまうという凄まじい刑罰まで描かれている/p112

 自殺者の森で、「葉の緑なるは絶えて無く、すべて黒ずむ。枝のなめらかなるは絶えて無く、すべてひねくれ、節くれだつ。果実は絶えて無く、あるはただ毒持つ刺(とげ)」・・・森の中は慟哭の声はするが、人の姿はない。ダンテが枝を折ると折れ口からは血潮吹き出し、「なぜおぬしはわしを害う」との声。女の顔をした鳥アルピエ(ハルピュイア)が葉をついばみ苛む。/p115

 ドレの挿絵も素晴らしい。

 この地獄絵行脚の旅の終わり、マルセイユからニースに向かう車中で偶然乗り合わせた老婦人と話をしているうちに、彼女が「七つの大罪」の図像学を研究していたことが分かり、いろいろと教えられ、その後も地獄絵の資料を送ってもらったり、日欧を往還する家族ぐるみの長いお付き合いが始まったというエピソードが披露されています。これほど運命的なことでなくても、何かひとつのことを一生懸命やっていると、それに関連した偶然の出会いというものが私のような者でも経験することがあります。こうした不思議な経験について、著者も文中で、意味のある偶然の一致を示すユングの「同時性」という概念を紹介しています。

 最後に印象に残った「審判図」や地獄図を記しておきます。
マーゾ・ディ・バンコ(14世紀)「審判」、モダンな印象/p99
マイターニ「最後の審判」/p104
プロヴォスト「最後の審判」/p143、/p253
ボッシュ最後の審判」/p152、/p251
バウツ「地獄堕ち」/p163
ロダン地獄の門」/p168
ボッシュ「悦楽の園」/p187
ボッシュ「乾燥車」/p195
最後の審判」コンク、サント・フォワ修道院/p217
最後の審判」オータン、サン・ラザール大聖堂/p220
デルヴィル「神人」/p257
フランケン「最後の審判」/p261
ファン・アイク最後の審判」/p267