「形の文化誌〔4〕―シンボルの物語」

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形の文化会編「形の文化誌〔4〕―シンボルの物語」(工作舎 1996年)


 「かたち」に関する本を続けて読んでいます。今回は不思議な雑誌を読みました。理系と文系が入り交じった、専門の異なる諸氏によるさまざまな味わいの論文やエッセイが隣り合って並んでいます。ネットで調べてみると、1992年に設立された学会で、その設立主旨には、「かたち」の諸問題を新しい科学的・文化的・歴史的視点に立って総合的に研究すると書かれていました。この頃学際的という言葉が流行していたのを思い出します。

 40近くある論文・エッセイの中から印象深かったもの16篇を選び、私の現在の好みの順に◎〇△の三段階に分けてご紹介してみますので、その不思議な感じが分かると思います。
◎形の四面体…〔1〕…認識―「霞か雲か州浜がた」(小町谷朝生):大和絵の特徴である画面を分ける雲形が、もとは吉祥を含意するものであり、その鍵となるのが州浜がたと呼ばれる絵画表現で、彼岸と此岸との接点であった。
◎水の形象と弥生の精神(荒川紘):いのちの源である水は、本来はかたちのないものだが、さまざまな形象を生み出してきた。古代世界における渦巻文、日本における縄文の渦巻文や弥生の流水文について語る。
◎聖と呪の象徴図形―ダヴィデの盾と清明(ママ)判紋(金子務):安部清明(ママ)判紋とも五芒星ともいわれる星型五角形(ペンタグラム)と、ダヴィデの盾ともソロモンの封印とも呼ばれる星型六角形(ヘクサグラム)の歴史をたどる。

〇創出された象徴―酒井抱一筆「観音図」と瓶花(今橋理子):文人でもあった酒井抱一の二枚の絵に秘められた先師光琳への追善の思いを解き明かす。
〇初期ラスター彩陶器の文様(波頭桂):パルメット樹文による文様、幾何文様、格子文、文字列文様、動物人物文様、幾何的植物文、さらに空間を埋める各種の充填要素を紹介。
〇木のこころとかたち―中国の切り絵とともに(渠昭):中国黄土高原の村に伝わる切り絵に描かれた木の象徴性を見ながら、東洋の宗教心の特徴を語る。
〇魂には形がある(マカダム幸子):謡曲「定家葛」を軸に、視ることと実体、言の葉の力、美しいもの、美しい生き方について思いを巡らす。
〇頭の中には魔物がいる(小野建一):知覚が文脈に引っ張られる現象を例示しながら、思考の舞台である心象世界には何か秩序を保たせる機能があるに違いないと言う。
〇出ル家ヲ(阪本まさ子):西行の出家、リルケの家を出ていく男の詩、それに触発された著者の詩がすばらしい。
〇顔の内なる骨格の意識(宮永美知代):絵画の顔表現には、立体を意識させるものと、諸器官の形のディテールや色に注目させるものがあるが、これは眼にある二つの光の受容細胞の性質と符合する。
〇戦車の形―その由来と発展(辻元佳史):第一次世界大戦で登場した戦車は、どういう必要に迫られたのか、実戦のなかでどう形を変遷させてきたかが語られている。
〇波動芸術としての絵画と音楽―オーロラとの関連(斎藤尚生):絵画と音楽を、光と音の周波数の領域と、周波数の使い方から考察している。
〇都市史と都市の形(小長谷一之):都市の街路がどう形成され発展していくか、政治核、宗教核、商業核の観点から論じ、ロンドンとパリを比較している。

△富士山賛歌―古代人の富士意識(原秀三郎):古代から中世までの人々の富士山観をたどっている。
△生命の形と球と秩序構造―黄金軸と多軸体(川本昌子/岡利一郎):自然が作る幾何学的な秩序の美を探究し、黄金比や螺旋をもとに模型を作成すると、日本の「手毬」に通じるものができたと言うが、よく理解できなかった。
△茅山道観の佇まいと道符(渡部良平):江南地方の道教の聖地である茅山道観の形状、道教のツールのひとつである道符について説明している。                                         


 恥ずかしながら初めて知ったことなど、いくつか印象深い指摘を列挙しますと、
富士山の名前は富士郡という地名が先で、豊富な地下水を意味する「伏」から由来したこと(p8)、富士山に初めて登ったといわれるのが役行者(p10)、伊豆、駿河、甲斐にかけて聖徳太子の領地が集中していたのは、太子が蘇我氏と組んで甲斐を拠点にしていた物部氏を滅ぼし、その遺産を受け継いだもの(p17)、以上「富士山賛歌」。

「銀」という色が日本人の心性においては、〈死者への追善〉〈追憶〉と深く結びついてきたこと(p38)、和歌の世界においては、「紫」の色は「雲」と関連づけられ、「紫の雲」と言えば、「迎え」、すなわち阿弥陀仏による「聖衆来迎」を意味すること(p47)、以上「創出された象徴」。

樹木と川と血脈が同形であること(レオ・レオーニ松岡正剛の対談の引用)(p58)、潮汐力による水と海底との摩擦により、地球の自転力が遅くなっていること(p59)、以上「シンボルとしての水」(中川素子)。

「いのち」の「ち」が血の「ち」と同根で、「ち」は広く自然の生命力を意味する語と考えられる、「かたち」の「ち」もそこからきた可能性が大きく、「かたち」は「かた」が生きている姿である(向井周太郎説の引用)(「水の形象と弥生の精神」p72)。

ペンタグラムの特徴は一筆書きができる点にあり、筆の代わりに一本の紐を用意してそれで災悪を封じ込め開運を願うには、まさに有効な図形(p80)、キリスト教徒が十字架を表徴としたように、ユダヤ教徒が星型六角形を自分たちの共通の表徴として意識し出したのは18世紀末から19世紀に入ってから(p88)、以上「聖と呪の象徴図形」。

他者による介在なしで小説家はじかに読者に働きかけることができるが、小説家と読者との間には孤独な関係しかないこと。運動競技と演劇とは、異なった性質であっても、一定の制約の中で行われる模倣であって「本気」ではないという点で共通していること(渡辺知也「型に関する二つの考察」p129)。

思考が混乱なく進行することが出来るのは、思考の舞台である心象世界に線が引かれているからではないだろうか、思考のみならず、生命現象も絶えず混沌を整えて秩序を保つ機能が核心にあるが、その機能が狂いなく保たれるためには、前提として、何らかの離散性(discreteness)が骨格を成していることが不可欠ではないか(「頭の中には魔物がいる」p166)。

戦車は、第一次世界大戦の際、英国陸軍の中佐が、日露戦争の戦史研究により、機関銃を構えあった塹壕戦の悲惨さを早くから認識し、農業トラクターの走破性に着目して、装軌式装甲車の製作を参謀本部に提案したことに始まる(「戦車の形」p192)。

絵画はわずか一オクターブ以内の芸術だが、音楽は九オクターブに及ぶ芸術。絵画では、一オクターブの可視域帯に含まれる連続的な周波数を全部使っているのに対して、音楽は九オクターブの中の無限の周波数の中からわずか9×12=108の周波数しか使っていないこと(「波動芸術としての絵画と音楽」p215)。


 結局、形について、何か統一のある観念が生まれたというわけでもなく、ばらばらで雑多な知識を得るにとどまりましたが、ふだん興味のない事柄にも関心をもたせてくれるのが、こうした雑誌の良い面といえましょう。