:前川道介『愉しいビーダーマイヤー』


前川道介『愉しいビーダーマイヤー―19世紀ドイツ文化史研究』(国書刊行会 1993年)
                                   
 先日読んだドイツ・ロマン派絵画に関する本で、美術の世界では、後期ロマン派がビーダーマイヤー時代に重なるという指摘があり、その時代のことをもう少し知ろうと読んでみました。

 前川道介は、学生時代に『ドイツ怪奇文学入門』という本を読んだことがありますが、当時私が求めていた尖鋭さがなくあまりに俗っぽい印象がしたので、そんなに好きになれなかったことを覚えています。結局社会人になる時にその本を処分しました(友人に譲ったような気がする)。いまネットで調べると、2万円の高値になっているではありませんか。

 この本はとても面白く読めました。ビーダーマイヤー時代の気分に焦点を当てて、第一部では、生活文化的な項目に沿い、第二部では人物ごとにエピソードを紹介したのもので、肩の凝らない面白い話が目白押しで、どこかしら、梅田晴夫海野弘の薀蓄読み物に似かよったところがあります。

 ビーダマイヤー時代というのは、著者によれば、1815年のウィーン会議からメッテルニッヒがロンドンに亡命した1848年までの32年間の時代だそうで、「貴族やブルジョアは音楽の夕べを自宅のサロンで開催するのを大きな誇りとし(p19)」、「雷雨、稲妻、爆発する火山といった壮絶あるいは壮麗な光景より、風のそよぎ、小川のせせらぎ、緑の草木、空の輝き、星の瞬きのほうが偉大」と感じ、「嵐のような現象は特別なもので、過ぎてしまえばどうということはない。それよりささやかな現象に現われている普遍的な柔和な法則を追求してこそ、初めて真の驚異に対して眼が開かれる(シュティフター)(p23)」といった考え方が主流だった時代のようです。またこの時代の特徴のひとつとして「収集とそれをいとおしみ保存する気持ち(p24)」も指摘していますが、どこか親近感を覚えてしまいます。

 時代を代表するものとして、美術では、シュヴィント、ケルンスティング、リヒター、作家では、グリルパルツァー、シュティフターをあげています。

 この本が面白い理由の一つは、人物が中心に描かれているというところでしょう。個性的な変わった人たちがたくさん出てきます。第二部の「泰西奇人伝」では、病的なほど詳しい注解を付したホフマン全集の編纂者マーセン、ルター酒場でのホフマンの飲み友達デフリント、稀覯本専門古本盗人リブリらが強烈な印象を残します。第一部でも、ドイツのダンディな庭園狂ムスカウ、奇術師デーブラーとハイムビュルガー、舌鋒鋭いジャーナリストのザフィール、暗殺者コッツェブーなど、知らない人がたくさん出てきました。

 シュヴィントの絵がたくさん展示されていたミュンヘンのシャック・ギャラリーの開設者シャック伯爵が、外交官で、スペインやアラブ文学の翻訳者でもあったことを知りました。

 初期ロマン主義の後、ドイツでも神話や伝承への関心が高まり、実証主義的な精神のもとに、中近東の言語や文化の研究が盛んになるなど、マルチノの『高踏派と象徴主義』で指摘されていたことがここでも出てきました。

 著者はホフマンの研究家・訳者だけあって、ホフマンに関するエピソードが多数紹介されているのが嬉しい。ホフマンがポンチ作りの名人であったことや、パイプの愛好者であったこと、ホフマンが通っていた喫茶店、酒場や貸本屋の話、ホフマンが書いたとされるポルノ小説『尼僧モニカ』が実はホフマン作ではないという証明など、いろいろ出てきます。

 それにしても、ビーダーマイヤーという時代区分はドイツにしかないように思いますが、フランスやイギリスの同時代で似たような現象はなかったものでしょうか。日本では今日の世相に通じるものがあるような気がしますが・・・