:レミ・ド・グールモン及川茂訳『仮面の書』(国書刊行会 1984)

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 世紀末の53人の文学者のプロフィールを紹介した本。一人ずつ肖像画が添えられています。53人中何かしら作品を読んだことのあるのが三分の一、かろうじて名前を知っている程度が三分の一、残りの三分の一は名前も聞いたことのない人でした。同時代人からの証言のつまった貴重な本だと思います。

 実は何が書いてあるか良く分からない文章が多くありました。私の頭が集中力を欠いて理解が悪いというのはもちろんですが、他の本ではスラスラ読めることもあるので、この本にも少しは原因があるはずと考えました。

 翻訳者も後書きで、「グールモンの原文は、ひとつの言葉、ひとつのテーマをめぐって、流れるような文章の大河、驚くべきイマージュの展開・・・が、すべてひとつの長文に盛られたような個性の強い文章である。」と告白しているように、グールモンの飛躍の多い、修辞に懲りすぎた気取った表現にひとつの原因があるのは間違いありません。

 また同じ後書きで、「日本語としての読みやすさを第一の主眼とした」と書いていますが、その言葉とは裏腹に翻訳者も原文の難しさをこなしきれなかったのではないでしょうか。邪推すると、おそらく編集者から文章の分かりにくさを再三指摘され、本人も大いに気にしていたことがこの後書きに表れたという気がします。


 というわけで、本文はさておき、肖像画のヒゲに注目してみました。驚くべきことに、53人中(1人は女性なので52人と言うべきか)45人がヒゲを生やしています。ヒゲを生やしていないのは誰か。ランボー、ラフォルグ、ルベル、シャルボネル、クローデルバタイユ、エロの7人です。ロートレアモンも少ししかヒゲがない。フェネオンという人も顎の先だけの変わったヒゲだ。キャールやエロール、ジャム、デュジャルダン、リクテュスなどはヒゲに埋まったような感じです。

 これまであまり読んでこなかった人では、アルベール・サマンポール・フォールピエール・キャール、A・フェルディナン・エロール、フランシス・ポワトヴァンスチュアート・メリルアンドレ・フォンテナスに興味が湧きました。あと項目はありませんが、文中に出てきたマルセル・バティリア(p132)にも。この人についてどなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。


恒例により印象に残ったフレーズを下記に。

理想主義からの反発は自然主義の作品に対してではなく、その理論、むしろその主張に対して行なわれたのである。/p14

象徴主義とは、過激であり、時流にあわず、誇張があるとは言え、ともあれ、芸術における個人主義の表現なのである。/p16

すべての現代文学、とりわけ象徴主義と呼ばれる文学はボードレール的である。勿論外的な技術故ではなく、内的で霊的な技術や神秘の感覚によって、事物が語ることに耳傾ける心配りと万物照応への希求によって、ボードレール的なのである。/p47

<詩的>と呼ばれる風景・・・世界が示してくれるすべての物の魂を自分の中に持たぬ人々が、世界を見つめても無駄だろう。すべての事物は、それを見つめ、自己の中でそれを熟考する者の観念によってのみ美しい故に、自己の中に世界の魂を持たぬ人間は、世界を認識することもないだろう。<詩>においては、宗教と同じく信仰が必要である。(リラダン)/p74

恐怖は、それを実際に感じたものよりも、それを想像する者によっての方がより巧みに描かれるのである。/p136

小説とは結局自由なものである。更に言えば、ゾラ氏やブールジェ氏が今なお認識しているような小説とは、叙事詩や悲劇と同じ程に色褪せた概念のものに思われる。ただ、昔からの枠組みだけはなお有用であり得る。難しい主題に一般読者を魅き付けるために、適度な小説的筋立てを装うことは、時に必要である。/p140

物事について、愛情に満ちた偏見を持って語らないならば、それは語られる価値の無いものである。(ゲーテ)/p181

芸術は普遍的思想とは反対のものであり、個別的なものしか描かず、唯一のものしか欲しない。それは分類せず、既にある分類を無くす。(シュオブ)/p289

私にとって、俗語や隠語、綴りの誤り、尾音節の省略、文や語の形を崩して、その結果、美しさを損なうようなものは、すべて受け容れ難い。・・・芸術においては、必要でないものはすべて無用であるということを、なお理解しておかねばならない。/p344

模倣性にうんざりしないような告白は稀である。その邪悪さが独創的であり、率直さが新たなものである人間は稀である。新しいもの、更に新しいもの、常に新しいもの、これが芸術の第一原理である。/p348

方法としての写実主義は、ロマン派によって創造されたのである。/p384

見方を変えれば、聖遺物の崇拝ということは、官能的な妄想に似ている。不潔さの故にのみ官能的となる口づけがある。不潔さ故にのみ聖なる聖遺物がある。/p398