:最近行ったコンサート「トランスミュージック 作曲家西村朗を迎えて」


 音楽の話題が最近途絶えていますので、ひとつ。

 先日、大阪のいずみホールで行われた「サントリー芸術財団コンサート TRANSMUSIC 音楽のエッセンツィア“現代音楽の楽しみ方”作曲家西村朗を迎えて」という長いタイトルの演奏会へ行ってきました。

 現代音楽のコンサートで満席というのは、さすが西村朗さんの人気の高さが推し量られます。

 摑みどころのない現代音楽をなんとか摑めるようにしたいというのが企画者の思いのようでしたが、私にとってはやはり半分は摑みどころがありませんでした。なかなかこのバリアは容易には崩せないもののようです。

 いつも現代音楽を聴いて思うのですが、一瞬の響きはとても美しいのに、聴いている側の緊張感が持続しないので、全体の印象が訳の分からないものになってしまいます。本当は何回も聴くことができれば次第に耳が馴染んでこの問題は解決するのでしょうが、現代音楽は1回こっきりというケースがほとんどなので、そうも行きません。

 これを避けるには曲中の反復をもっと多用すべきだと思います。1回しか聴けないということ、聴いている人はそんなに能力の高い人ばかりではないということを前提にして、同じフレーズ、あるいは少し形を変えただけのものを頻繁に繰り返す方法がこの問題を解決するのではないでしょうか。

 少し飛躍するかもしれませんが、アラン・ロブ=グリエ、とくに映画『去年マリエンバードで』で同じ映像が何度も繰り返し出てきて、訳の分からなさの中に不思議な印象が残ったことを思い出します。

 そういう意味では、この日のコンサートの中では、「花弁の中で」がとても光っていました。低音部は極めて単純な同一音型の反復、その上に高音部が一定のリズムで美しい音楽を紡ぎ出していました。「現代音楽は一般の人が演奏することができない」という問題を解決するために「手軽に演奏できる現代音楽をテイクアウトする」というコンセプトで作られたそうですが、とても素晴らしいと思います。

 この曲が内包された「ヴィシュヌの臍」は全体的にも美しい響きの曲でしたし、「星の鏡」(この日ピアノ単独版と室内楽版の二つのヴァージョンが続いて演奏されましたが、室内楽版よりもピアノソロの残響のほうが美しかった)もタイトルどおりのきれいな曲で、「花弁の中で」に通じる分かり易さがあって楽しめました。