:ジュール・ユレ『詩人たちとの対話―フランス象徴詩人へのアンケート』


                                   
ジュール・ユレ平野威馬雄訳『詩人たちとの対話―フランス象徴詩人へのアンケート』(彌生書房 1980年)
                                   

 象徴主義についての評論で必ずといっていいほど引用される基本文献。原書は、当時の64名の文学者に対して行われたインタヴュー・アンケートをまとめたもので、この訳書はそのうちの「象徴主義者とデカダン」の項目だけ訳したもの。10名が収録されています。よく象徴主義で名前の出て来るランボー、ラフォルグ、コルビエールが入っていないのは、インタヴューが1891年のものですでに彼らがいなくなっていたから。

 類書には見られない貴重なところは、詩人の肉声が聞こえること。マラルメは人柄の良さがあふれていて、核心を突いたことを的確に答える整ったしゃべり方は予想どおりのもの。一方、ヴェルレーヌアブサン中毒とは聞いていましたが、かなりひどいものです。「伸び放題のまばらな髭と、ぶっきらぼうな、鼻のつき出た、老悪魔といった御面相である。おちくぼんだ瞳にかぶさる麦の穂のようなささくれ眉毛。つるつるの禿げ頭で、謎をひめたようなでこぼこ頭のばかでかいのには一寸、たまげてしまう。・・・『サンボリズムとは何かというわけですね。残念ながら、ぼくは、そんなもの一向、知りません』。・・・かれはその都度、はぐらかし、亢奮し、かれの愛用のアプサン酒と、私のベルモット酒のコップが、ぐらぐらゆれてたおれそうになるほどきつく、大理石のテーブルを、拳かためて叩きつづけ、大声でわめくのだった」(p42〜46)。これではあんまりではないですか。

 メーテルリンクなど透明感のあるすばらしい詩句を書いている高名な詩人も普通の人間だということが分かります。「ごらんの通り、ぼくにはすばらしい食欲があるんですよ。何をたべてもおいしくて・・・毎日自転車をのりまわしますしね」(p128〜129)。

 こうしたインタヴューはいつ頃からあるんでしょうか。下世話な興味もあってなかなか面白い。ユレはインタヴューの相手に、他の詩人に対する評価をさかんに質問しており、詩人間のつながりが分かって貴重。マラルメがレニエを高く評価し、レニエもまたマラルメを師と仰いでいる二人の関係がよく分かりました。


 この本に登場した10名の詩人を象徴主義運動に対する姿勢で分類するなら、
①象徴を自分の詩の原理として重視している詩人は、マラルメメーテルリンク、レニエ、サン・ポール・ルウ。レニエは自分の詩の傾向は象徴的だとしながら自分は象徴派ではないし、そんなものはすぐに忘れ去られると言っていますが。
②象徴派から袂を分かったという詩人はジャン・モレアス。
③象徴派の存在を認めながら自分は関係ないというのは、グールモン、シャルル・モリス。
④象徴なんか訳が分からんと否定する詩人、ヴェルレーヌルコント・ド・リール、ルネ・ギル。ということになるでしょうか。


 だいたいに共通した認識として感じられたことは、この時代になって古典の韻律の桎梏から解放されたというように思っていること。自然主義に対して否定的な雰囲気があること。無意識や直観を大切にしている気配がうかがわれること。


 「アルテュールランボーなんか、いったい、どこへ…そして、どうやってくらしているのだろう?…この大切な時に…仕様がないことだ!」(p47)というヴェルレーヌの嘆きは痛切。