:加藤美雄『フランス象徴詩研究』


                                   
加藤美雄『フランス象徴詩研究―セーヴ、ランボー、コルビエール、マラルメ』(駿河台出版社 1979年)

                                   
 研究誌に寄稿した論文を集めたもので、いささか学術論文の悪い面が目につきました。文献への言及が多く、その紹介にページを割いており、注釈の量がすごいこと、著者独自の見解があまりうかがえず、肝心なところで、「ここではこれ以上の深入りは差し控えたい」で終ってしまうこと。で厳格かと思えば、「と言われている」「通説では」と俗説をほのめかしたりします。6章以降は少し文章も柔らかく読みやすくなりました。収穫としては、あまり知らなかったコルビエールについて教わることが多かったこと、マラルメの美しい詩篇のいくつかを読めたことでしょうか。

 第1章では象徴詩の概要を論じていますが、ご自身の専門であるモーリス・セーヴと関連づける牽強付会な論旨に終始した印象があります。象徴詩の特色として神話への依存をあげていますが、これはロマン主義、高踏派を通じて言えることで、やや的外れのような気がします。4章までは、そのモーリス・セーヴについて書かれていますが、私がセーヴについて知らないことと、セーヴの原詩が古いフランス語なので読みにくいことに加え、著者の思いこみと説明不足とで分かりにくいことおびただしいものがありました。象徴主義を形而上詩と結びつける発想は面白いですが、例証に乏しく、思いつきのようであまり説得力は感じられませんでした。

 第5章はランボーの「酩酊船」の論考ですが、あまりにもピエール・カドーの論に頼り過ぎています。海を見たことのないランボーが海を描くのにクックの航海記を下敷にしたというもので、「酩酊船」の詩作品としての美への言及が一つもないのは解せません。ただ19世紀初頭に12種以上のフランス語訳が出てベストセラーになったというクックの「航海記」が、当時のフランス作家たちのあいだで一種の海洋的異国趣味の流行をもたらしたということはよく分かりました。

 6章で取りあげられているコルビエールについては、これまで平野威馬雄や山村嘉己の本を読んだ時はそんなに感心しませんでしたが、なかなか面白い詩人のようです。「おかしなことだが、私の黄色いソースにつけて、/粋と軽蔑(さげすみ)をたねにして揚げるのだ」、「糞便禁止の貼紙のある店頭で、縊死人のように体を硬くしてポーズをとる」(「当世風の放浪者」)とか、「隣人のブロンドの美人のところに出かけ、韻を踏むためにあなたの名前を使わせてほしいとたのむ」(「マルセルにささげる詩」)など、諧謔たっぷりで、また畳韻法など詩の技巧にも長けているようです。暗闇の死後の世界から生前の自分を振り返る詩人の声が聞えて来るという「後世のためのロンデル」はどんな作品か興味が湧きました。

 7、8章ではマラルメを取りあげていますがこれも面白い。引用されているマラルメの詩の美しさはやはり並はずれています。7章では、マラルメにとって鏡が重要な主題であること、鏡と忘却との象徴的関係、鏡に似たものとして窓ガラスがもつ役割の重大さが指摘されています。窓は、その内部にある重苦しくよどんだ生活の空気と、外部の軽やかな芸術の永遠の世界を分かつ象徴的存在だといいます。8章では、マラルメの主要な主題の一つに霊界と対話する墓の形式があり、早くして亡くした息子アナトールへの追悼が「遺稿」という連作となったことが明らかにされています。ただ、「遺稿」の詩の一語一句をアナトールの死にまつわる具体的なできごとと結びつける解釈は過剰に過ぎる気がしました。


 manière noir(メゾチント)を「陰険なしぐさ」と訳したり(p96)、foraine(縁日の)を「外国の」と訳したり(p126)、いくつか誤訳に気づきました。またカロを17世紀の彫刻家と紹介していますが(p119)、おそらく版画家カロのことだと思います。