:JEAN LORRAIN『LA DAME AUX LÈVRES ROUGES』(ジャン・ロラン『赤い唇の婦人』)


                                   
JEAN LORRAIN『LA DAME AUX LÈVRES ROUGES』(L’Harmattan 2001年)

                                   
 「Collection Les Introuvables(未発見叢書)」の一冊。これは入手困難になっている著作を復刻出版するシリーズ。この作品は、ジャン・ロラン1888年に夕刊紙「エコードパリ」に連載し、後に『Sonyeuse(ソニューズ)』に「L’Inconnue(身元不明の女)」のタイトルで収録した小説を、夕刊紙初出の形で復刻したと書いてありました。小説が40ページほど、パスカルノワールによる評論と生涯、文献がついて、全体で80ページ足らずの薄い本。なので早く読めました。

 「赤い唇の婦人」はロラン33歳の時の作品。かなり初期の小説ですが、すでに仮面舞踏会の猥雑な雰囲気、群衆に取り巻かれての仮面同士の対面など、おなじみのシーンが出てきます。冒頭の第一部では、オペラ座仮装舞踏会でロランが友人の画家と話していると、画家が、ヴェールで顔を包んだ婦人を見た途端に彼女のあとを追いかけることが語られ、第二部は、その翌日に画家が語るヴェールの婦人についての物語となっています。

 ロランの小説は、文章の細部に味わいがあり、物語の概略では魅力が伝わらないと思いますが、次のような話です。
画家の知り合いのボクサーが強盗殺人容疑で捕まり、アリバイの証言のために画家に助けを求めてきた。殺人の時刻に彼はある謎の上流階級の女と一晩を過ごしていたという。下町のチンピラやボクサー相手に束の間の情事を繰りひろげ多額の報酬を与える女で、名前も素性もわからない。ボクサーが捕まったのも被害者が盗まれた額と同額の大金を所持していたからだ。画家は頼まれたとおり次のデートの約束場所に赴き、彼女に警察へ証言するよう伝え、ボクサーは無事釈放される。と、また別の殺人事件があり、犯人がギロチンで処刑される日に、レストランの2階の特等席に見物に来た女がいた。死刑囚の情婦だという噂だ。画家はオペラ座でヴェールの婦人を見た時、それが二つの事件の女と共通の女だと直感した。チンピラとの危険な情事を繰りひろげ、時に吸血鬼のように淫奔な行動に走る女は、同時に名家の出で教会に通う貞淑な妻でもあるのだろう。

 ロランの狙ったテーマから離れますが、探偵小説的な興味でいえば、前日まで貧乏だったボクサーが盗まれた金額と同じ額を所持していたという容疑しか書かれておらず、犯行現場にもいないボクサーをどういう理由で逮捕し持ち金を調べたのかが不明で、説得力に欠けるように思えました。


 パスカルノワールの作品解説が面白かったので概要を紹介します。
①まず冒頭の怠惰な気分を取り上げ、それが1888年という時代の雰囲気であり、「デューラーメランコリアボードレールの憂愁の再現だ」と指摘。
②次に、主人公の「赤い唇の女」は吸血鬼の赤い唇を持ち、「ギロチンを舐めずる女」であり、ユーディットやサロメの系譜を継ぐファム・ファタルであると、ストレートに主題を抉ります。
③19世紀の後半のパリでは首切りや嬰児殺しが盛んで、それを新聞が書きたて大衆がむさぼり読むという風潮で(今の日本と同じ)、ロランは、6ヶ月の間パリ中を震撼させた「Pranzini事件」に材を取り、ボクサーなど架空の人物や彩りを付け加えて物語に仕立てあげたこと。
④Praziniの処刑を見ようと上流婦人や娼婦たちが集まり、処刑後もあちこちの家で写真が飾られていたほどの人気で、ロランはこうした危険な喜びを求める女性たちをうまく捉え、「ギロチンを舐めずる女」という原型に到達したこと。
⑤当時パリでは女性の生理学に関する議論が高まり、ヒステリーの語源が子宮であることから分かるように、ヒステリックな女性は生理の発情期に欲望をコントロールできなくなるという女性蔑視的な見方があった。唇の赤いのは生理の血の赤さでもあり、口と性器の類縁性も指摘している。
⑥頭は男性器を表わすもので、ギロチンで首を刎ねるというのは去勢コンプレックスにつながる。ロランは「赤い百合の王女」でも、王女が花の萼を摘み取るたびに戦場の戦士が死ぬという殺戮の話を書いており、首刎ねが古代の供犠のように描かれている。この首刎ねと唇の赤の印は、師のドールヴィイから受け継いだものだ。
⑦この物語では、はじめにヴェールの女という謎が置かれ、話者のロランが推測を塗り重ねながら読者をある方向へ導いていく。ファム・ファタル的存在だと。一方で残酷なはずの女がボクサーを助けるために証言するという多義的な語りも交えながら、「ギロチンを舐めずる女」というような告発調で答えを出そうとするが、結局は女性の素性は分からないまま茫洋として終る。
⑧「赤い唇の女」はどんな顔をしていたのだろうか。おそらくクノップフが1897年に描いた謎めいた魅力の女性のようではないだろうか(表紙の絵)。



 「ロランの生涯」の中で初めて知ったことは、ロランが、グランギニョルやキャバレーの台本をたくさん書いていたこと、ロランの「Le Prométhée(プロメテウス)」という作品にフォーレが作曲していること。
 引き続き、ロランの伝記本(Georges Normandy著)を読む予定です。