:「ユリイカ 総特集―ステファヌ・マラルメ」


ユリイカ 総特集―ステファヌ・マラルメ」(青土社 1986年)

                                   
 440頁もある大部の本で、いろんな人がいろんな角度からマラルメを論じています。なかには、本人も自分で何を書いているのか本当に分かっているのかと首を傾げるような意味不明な論文もけっこうありました。私の理解力のせいだとしても、そういったのは無視することにして、印象に残ったのは次の諸氏の文章です。

 作品自体に向き合って丁寧に考察した兼子正勝「マラルメの『エロディヤード』」、アナーキズムとの意外な接点を教えられた川瀬武夫「マラルメアナーキズム」、博覧強記かつ説得力ある論理を展開する高山宏「白のメトドロジー」、書くことの極北をめざしたマラルメの冒険を追うアバスタド松本雅弘訳「マラルメの《書物》」、自分史に基づいて誠実に記述している高橋睦郎「幼溺註」、音楽家との交友と二人に共通する現代性を指摘した平島正郎「マラルメとドビュッシィ」、ヴァレリーが師にどう対峙したかを語る清水徹「ある対話について」、マラルメ編集の「最新流行」を紹介した吉田城「1874年の上流生活点描」、詩と呪術の相関に焦点を当てたマラルメ菅野昭正訳解説「魔術」。


 個々の評論について書いていると切りがないので、いくつかの論点にのみ言及しますと、
 まず、マラルメ文学史上の立場について、
①「マラルメの美学はいかにリアリズムから遠ざかるかにあり、この点ではロマンチック・バレエの推進者であったテオフィル・ゴーチェと同意見」(p372)という市川雅や、「いかなる美学的・社会的拘束にもとらわれない、各人の個人性の自由な発展をこそ芸術的価値と考える姿勢・・・文学史家が象徴主義ロマン主義の最終的発展段階として位置付けたり、あるいはシュールレアリスムの先駆とみなしたりする理由は実はそのあたりにある」(p138)とする川瀬武夫の文脈では、象徴主義ロマン主義の延長線上にあるものと考えられている。
②一方、マラルメの出発がロマン派の個人的感情の垂れ流しを忌避するところからだったことを考えると、反ロマン主義と言える。アバスタドの説明では、マラルメはミメーシスの原理に異議を申し立てをしようとしているとし、古典主義の「模倣」、ロマン主義の「真実らしさ」、「写実主義」、「自然主義」、それに象徴主義の「喚起の魔術」さえも事物の本質との相応関係を持つミメーシスの最後の逆説的な姿として、退けようとしたと言う(p48)。そうすると、象徴主義の権化と目されるマラルメだが、ロマン主義どころか象徴主義からも離れようとしていたのか。
③また兼子正勝も、マラルメの後年には、空間に関する隠喩の頻出や、「関係」、「詩の知的構造」、「余白」などの重要視が見られることから、マラルメが「暗示」の詩学から「構造」の詩学へと移行していったと論じているとのこと(アバスタド論文での訳者の指摘p50)。高山宏も、マラルメが意味よりも言語の内的な法則を重視してリニアーな理解作用を異化しようとし(p210)、「言語的代数学」へ、計量と詭計にみちみちた「結合術」へ、つまりはマニエリスム的なデーモン馴致の詩学へと急転回していったと見ている(p215)。そしてマラルメのいう「偶然」も「意味」作用にのみ奉仕させられていた言語たちへの〈否〉であったとする(p217)。

 次に音楽との関係では、
④平島正郎は、ドビュッシィがベートーヴェン「田園」を取りあげた批評のなかで、「万事が骨折損のそら真似」をきびしく難じた後に、「田園」が優れているのは、「ひたすら自然のうちにある『眼には見えない』ものの、感情を通じての転写があるからで、直接の模写があるからではない。森の神秘が樹々の高さを測ることであらわされるだろうか?それどころか想像力を発動させるのは、むしろ測れない森の深さではないか?」(p353)と書いていると引用し、平島もそれを受けて、「音楽は、本来、言うに言われぬもののため(それを暗示するため)にある」(p355)と言っている。これはまさしくマラルメと同じ立場ではないか。
⑤平島はまた、ドビュッシィはヴァーグナーの先にある音楽を模索したが、シェーンベルクらとちがって、ヴァーグナーと同根の思弁的独断的な論理の道には進まなかった。それよりも音楽の発想の場を音調から音響へと変換することによって、まったく新しい地平に通じる道を拓いたとしている(p351)。これは明らかに現代音楽のひとつの特徴につながるものと思う。またブーレーズは「ソナタよ、お前は何を私にのぞむのか」(このダジャレのような訳は好きではない)のなかで、演奏者が断片を選びながら循環的に演奏するという自作の構造がマラルメの「書物」の考え方に大きな影響を受けていることを告白している(p380)。

⑥以上を通してみて、マラルメもドビュッシィも現代芸術のあり方に先駆的な役割を演じていることが分ります。魂の発露を優先させるよりは技法を重視したという点でマニエリスム的であり、ともに現代芸術の技法コンシャスネスへの道を拓いたのではないでしょうか。そう考えるなら、現代芸術は一種のマニエリスム期にあると考えられるのでは。

 また、マラルメの政治的な立場について、
⑦川瀬武夫によれば、高踏派と自然主義、そしてそれらの根底にある実証主義的風潮に対する反発として世に現われた象徴主義と、国家、軍隊、教会、家族制度などの既成の社会体制への反逆というアナーキスムとは同じ精神的枠組をもつものとして親和的であり(p137)、マラルメの「火曜会」は他のサロンに比べアナーキズム的傾向の強いサロンであったらしい(p143)。マラルメもある講演の中で、文学行為を打ち上げ花火に喩えたうえで、アナーキストの爆弾は破壊の炎であるのみならず浄化と覚醒の閃光でもあると、肯定的な見方をしていたりすると言う(p146)。しかし、一方、「人間としては民主主義者たりうるとしても、芸術家としては人格を分化させて、貴族主義者たりつづけねばならない」(p129)とも、また「社会制度とは、人間が現世の生活を送るうえで、とりあえず必要となる不完全な世界の『模像』にすぎず、これを実体として受けとることは大きな厄災を招来する」(p147)とも書いており、現実の政治にはあまり関心がなかったようだ。


 いくつか知らなかったこととか面白かったことは、パリ《薔薇十字団》のペラダンとリヨンの怪人ブランとの間の呪術合戦がありブランが急死したこと(p15)、マラルメアナーキストの若い友人フェネオンを弁護するためにセーヌ県重罪裁判所で証言したこと(p143)、マラルメの編集した「最新流行」紙の「パリ消息」欄にマラルメがIxという署名をしていて(p158)、「高々とその純らかな爪が…」のixの詩との関連を思わせること、鉄道の敷設によってフランスの旅行者が1830年の200万人から1865年には8400万人に急増したこと(p167)、マラルメの生涯の友アンリ・カザルスに『虚無の書』、『虚無の栄光』という世紀末的な二著があり、「マラルメの虚無」理解にとって参考になりそうなこと(p204)。

 マラルメにどっぷりと浸かりすぎたので、ここいらでいったんマラルメはお休みすることにします。