:ギィ・ミショー『ステファヌ・マラルメ』


ギィ・ミショー田中成和訳『ステファヌ・マラルメ』(水声社 1993年)


 本国の方のマラルメ論を読んでみました。訳文はきわめて読みやすく、二段組280頁という比較的大部の本ですが早く読めました。この本は、著者も自認しているように、執筆当時全盛を誇っていたと思われるヌーヴェル・クリティックや構造主義言語学からのアプローチに背を向け、伝統的な歴史的批評の側に与するもので、マラルメの個々の作品を通時的に、生涯と絡めて記述する方法を採っています。

 ヌーヴェルクリティックと違って、分かりやすく面白くて読みやすい。なおかつ、詩の注釈書としても読めるほど、丁寧に解説しています。しかし、さすがに「イジチュール」や「骰子一擲」のくだりは難解です。他の詩の解説においても、詩の一部しか引用されないので、詩全体をよく読んでいないと、理解が難しいところがあります。今度マラルメの詩を読む時参照したいと思います。


 柏倉康夫の読後感想と一部重複するかも知りませんが、印象に残ったのは、
①先達の詩人たちの影響を受けたとはいえ、内発的に詩に目覚めたいちばん大きな要因は、15歳のときの妹マリアの死で、学校の自由作文「三羽のこうのとりの語ったこと」にその端緒が見られること、つぎにフィアンセのハリエット・スマイスの死で、その時二部からなる感動的な詩篇「彼女の墓穴は掘られた…」「彼女の墓穴は閉ざされた…」が書かれた。その遠くには、幼少期に母を亡くしたことが響いていること(p19、35)。
②影響を受けた詩人に、ボードレール、ポーの他に、この本ではゴーチェ、バンヴィルの名があげられていて、特にヴァンヴィルについて、マラルメの抒情に対する嗜好を正当化できるようなものを与えてくれたという(p45)。
③若き日の象徴主義の兆しとして、二組の隠喩の力を借りて、外部世界と内部世界の照応を歌うようになったこと。例えば、同時に鏡ともなる窓ガラス、また葦と湖の関係と、睫と眼のあいだの隠れた照応関係(p32、42)。それと省略や短縮により効果を活かすことを覚え(p40)、さらに構文を荒々しく分離する統辞論的手法や互いに無関係な二つのイメージ・概念のあいだに思いがけない関連を作りあげる手法を身につけたこと(p124)。これらは以前読んだエンプソン『曖昧の七つの型』にも出てきたパターン。
④ほかに出てくる詩法としては、「半獣神の午後」において、最初の数行から純粋に描写的な語に代えて、めざめの朦朧とした意識を暗示する倍音を担う語を用いていること、タイポグラフィ、句読法、動詞の削除などで、軽快さの印象を与えていること、フルートの音が水のせせらぎになるように、夢に内実を与え半透明な世界を創造してゆく手法(p131〜133)。
⑤先輩ルフェビュールからヘーゲルの手ほどきを受け、また彼からの影響で神秘学の初歩を学んだというマラルメの一面に言及があったこと(p96)。
マラルメが英語の教科書や神話の入門書を書いたことは、余技的な作品として見られがちだが、実はマラルメの本質が反映していること。例えば『英語の単語』のなかで、母音と二重母音は肉のようなもの、子音は骨格のようなものと言い、FとLが続くと、飛翔するあるいは空間を打つ行為を表現することが多く、Dは沈む、掘る、しずくとなって落ちるというような動作や、澱み、精神の鈍重さなどを表現していると書いていて(p140)、こんな英語の先生だったら面白いと思ったが、これはマラルメの詩作においても、「音のひとつひとつがその固有の本質的価値を再び見出さねばならない」と言うとおり、iには鋭い明るさ、uには不気味な鋭さ、oのゆたかでまろやかな響きに、nの否定的性格、またvには女性的なものを見る(p206)のと同じ考え方に基づいている。
⑦語を構成する音に目を留める一方、語が一要素としての役割を果たす上位の統一体、すなわち詩句、詩文全体にも留意し(p206)、真の意味を暗示するような、「テクストの下にひそむ旋律ないし歌を内包していなければならない」(p215)としているところはさすが。
マラルメは機会あるごとに、挨拶の代りに短い詩を書き送ったりし、それをまとめた『折りふしの詩』という詩集もあるが、これらの詩の中にも、音階やアルペジオの練習のような、語、響き、リズムに関する探究があったという(p188)。この折りふしの詩は俳句の挨拶句に近いものがあると思う。
マラルメの関心のあったテーマ群が、生涯のいくつかの場面のなかで紹介されていた。それをバラバラに列挙すると、虚無、真夜中、死、喪、闇、冬、墓、扇、翼、夢、美、死、鏡の反射、意識。


 あといくつか面白いところがありましたので、まとめて書いておきます。マラルメとメリー・ローランの関係は、柏倉康夫の本ではプラトニックな印象がありましたが、この本では直接的な肉体関係を指摘していたこと(p159)、ワーグナーの音楽についてマラルメは賞賛したが留保つきで、騒然とした音楽という点でマラルメと反するものがあったと指摘していたこと(p163)、マラルメが最後に妻と娘に残した遺書?の最後に、彼方への憧れと悔恨が混じったような表現、「一生はとても美しいものになるはずだったと信じてくれ」というフレーズがあったこと(p244)。