:マラルメ詩集二冊

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鈴木信太郎訳『マラルメ詩集』(岩波文庫 1991年)
加藤美雄訳『マラルメ詩集』(関西大学出版部 1987年)


 ヴァレリーが言うように、マラルメは音韻が重要ということになると、訳詩だけを読んでいては、半分も理解できないということになりますが、訳詩集を二種類読んでみました。この二冊に共通するのは、注釈の多さで、鈴木信太郎の註釈は、詩の成立の考証が中心で、詩に使われた言葉については、何を指しているかを示すだけで難しい単語の説明はありません。輪をかけて難しくしているのは翻訳の漢語で、何の説明もありません。また加藤美雄の本では、フランス学者の注釈の紹介に重きが置かれていました。

 注釈を読んでいて感じたことがいくつかありますが、まず一つ目は、詩を一読して、自分なりの印象がある程度なければ、いくら解説を読んでもピンとこないということ。二つ目は、おそらくフランスの研究者の伝統を引き継いだものと思われますが、鈴木信太郎も加藤美雄も、詩人の詩作の苦悶に寄り添った解釈をしているのが不満なことです。詩作品に対してはロマン派的な表現から脱出していると評価しながら、自分自身は、詩人の苦悶という極めてロマン派的な人間像にこだわり過ぎているという気がしました。これは松室三郎の「―その純(きよ)らかな爪が 高々と 夫々の縞瑪瑙をかかげて」の解釈を読んだ時に感じたことでしたが、鈴木信太郎は松室三郎の師であったわけです。

 三つ目は、フランス人の研究者たちの注釈も含めて、マラルメの詩に対しては、どの詩に対しても解釈過多という気がしたことです。他の詩人でこれだけの注釈がつくでしょうか。とくに気になったのは、詩の何か一つの言葉が別の何かを意味しているというような解釈が多々見られたことで、それなら初めから詩を書かずに散文で説明するか、本人が詩の前置きで意味を説明するかしなくはならないでしょう。研究者たちは詩に正しいひとつの意味があると思い込んでいて一人相撲をしているのではないでしょうか。果たして詩の解釈というものが成立し得るのでしょうか。

 さらに、加藤美雄の本に引用されているフランスの研究者の想像力逞しい解釈を読んでいて、解釈の研究というジャンルが可能な気がしてきました。同じ詩を別々の研究者が説明しますが、詩の初めの方に出てくる一つの語句の取りようによってその後の詩の解釈が大きく方向づけられてしまい、気がついてみると、二人の解釈はまるで別の詩を扱っているかのように隔たってしまっています。解釈過多の弊害と言えるでしょうが、なぜそうしたことになるかその過程を研究するのも面白いかもしれません。

 もっとイメージを大事にして楽しめばいいのではないでしょうか。加藤美雄の本の序で、1973年にグラスゴーで行われたマラルメ討論会の様子を報告していますが、そのなかで、チャールズ・チャドウィックが、マラルメが鳥のイマージュに憑かれているとして鳥の飛翔に関する様々な単語を抽出して見せたジャン・ポール・ヴェーベルの論文を批判したと紹介されていました。私はヴェーベルのほうが正しい読み方をしていると思います。

 例えば、加藤美雄訳で例をとりますが、「宿命の法則の影が」(p205)の詩については、黒と闇(黒檀、死、暗闇、隠者、翳、醜悪、倦怠)が光と火(豪奢、花飾り、輝いて、放射、火焔、星、点火)と激しくせめぎあうさまを鑑賞すればいいでしょうし、「美わしい自殺が勝ち誇って」(p215)のなかでは、余燼(もえぐい)→血潮→黄金と嵐→高鳴る笑い→緋色(あけいろ)→光彩(かがやき)→財宝→炬火(ほのお)→歓喜勝鬨(かちどき)→燦然→兜→薔薇という系譜に対して、不在の墓→暗闇→真夜中→炬火(ほのお)もなく→消え失せた夕空の系譜が対されているのを感じ取り、「浄らかな爪が、高々と、縞瑪瑙をかかげながら」(p220)では、ここでもやはり闇(真夜中、宵、遺骨壺、みえず、うつろの、虚無、屍、忘却)と光(灯火、焼かれた、火、金色、きらめき)の闘争、「水の精にむかい火を跳ねあげる一角獣」という水と火の闘争をたっぷりと味わえばいいのです。

 二冊の詩集を読んで、何も感じ取れない詩や難解過ぎて読むに堪えない詩は無視することにし、私が感銘を受けて、フランス語で読んでみたいと思った詩は、「あらはれ」「罰せられた道化」「窓」「群芳譜」「陽春」「―ほろ苦き無為に 倦じて」「海の微風」「溜息」「エロディヤード」「聖女」「小唄一」「―闇が 宿命の法により」「―処女であり、生気にあふれ、美しい今日」「―美しい捨身の行を 誇らしくも」「―高々とその純らかな爪が 縞瑪瑙を縕げ」「シャルル・ボードレールの墓」「―誇らしい自負心は みな 夕暮に」「―壺の底から 一跳びに躍り出た」「―ダンテル編みの窓掛は 自ずと」「時間の香油の沁込んだ如何なる絹の」「―密雲の崩れんばかりに覆う空」「―都パフォスの名の上に 古書が閉じられ」。とくに、数編のソネットと言われる4篇と、晩年のソンネ6篇は圧巻です。


 鈴木信太郎訳本に収められたヴァレリーの文章は、当時の風潮に対するマラルメの詩の重要性を語っていて、核心をついていると思われたので、要点のいくつかを書いておきます。
①新聞紙が普及してから、平易に読めるということが規準となり、誰でも書き得るようなものしか読もうとしなくなった。文学は人を楽しませ時間をつぶさせることが目的だが、快楽と労苦とは互に相容れないとする素朴な信念によって、読者に努力を要求しなくなった。書き手は構想のあらゆる探究を破棄した。
マラルメはこれに対し、雄弁、物語、格言、情熱など、大衆の気に入るあらゆるものを排除した。思いも寄らぬ語法の使用。自然な抒情にも引き込まれず、手垢のついた語法にも汚されない。その姿勢が、月並の術策や、欠点や、くだらなさや、誇張に対して、徐々に読者を敏感にさせていった。
マラルメの詩は、奇怪にも歌を歌うような麻酔させるような語の近接や、音楽的爆発によって、魔法の呪文の印象がある。その効力は、詩の意味よりもその音響性、その形態の怪奇のなかに存在する。むしろ晦渋性こそは、呪文にとって本質であった。我々は詩を理解するというのではなく、詩そのものに成るのである。
④文学的言語というものは、日常語から詩人が求める効果に最も適合している単語、修辞、表現法を引抜くのである。一般に、修辞は装飾と同様に余計なもので無くても差支えないように思われているが、マラルメの思考のなかでは、それが本質的な要素となっているのだ。


 加藤美雄の本では、マラルメの詩の大きな転機として、晦渋な象徴的詩人に変貌させたトゥルノンの夜からの苦悩の七年(1866年〜1873年頃)(p136)と、詩形が十四行詩かそれに近いごく短いものになった晩年(「散文」発表の1885年頃)(p152)をあげていますが、このあたりにマラルメに何が起こったのか、気になるところです。