:柏倉康夫『マラルメの火曜会』


柏倉康夫『マラルメの火曜会―世紀末パリの芸術家たち』(丸善株式会社 1994年)


 これからしばらくマラルメ関係の本を読むつもりですが、いちばん読みやすそうなこの本から。この著者については以前『マラルメの「大鴉」』というのを読んだことがあります。

 この本はマラルメの交友録といったもので、パリ近郊のヴァルヴァンに居を構えてからそこを訪れた人たちや、パリの中心部ローマ街に住んでいた時の火曜会のメンバーの話などが次々と出てきます。登場人物は、マネから始まって、リラダン、ホイスラー、デュジャルダン、ゴーギャンドビュッシーベルト・モリゾヴァレリー、ルドンなど。火曜会メンバーのレニエについてあまり触れられていなかったのが不満。


 マラルメの詩の秘密に直接触れるような部分としては、
マラルメはヴァルヴァンでの仕事部屋を「日本の部屋」と称して団扇や浮世絵を置くなど、「ジャポニスムの影響を強く受けた世代」(p6)とあった。もしマラルメが間接的にでも和歌に触れていたら、象徴主義理論は日本的な余情の美学の影響を受けているという可能性はないだろうか。

②雑誌「ワーグナー評論」の創刊メンバーの一人であるウィゼワが、マラルメの詩のうち難解なものの典型としたという詩がすばらしい。一部しか引用できないが、この詩の魅力の淵源を追求することで、マラルメの手法が解明できるように思われる。「・・・不死鳥に焼かれた宵ごとの夢/だがこの夢の灰を納める骨壺もない/・・・/・・・(何故なら、部屋の主は虚無が自慢の/この唯一の品を抱えて黄泉の河へ、涙を汲みに行ったのだ)/・・・/水の精が忘却の閉じこめられた鏡の面で/力なく裸形の姿を横たえたと見えるうちに/確然と大熊座の七重奏があらわれいでる」(p121)

③「人間の顔はそれ自体で充実している生まれたままのもので、人を引きつける力を持っている。だが、それは描写しようとすると、かえっておおい隠されてしまうといった性質のもので、(それを現前させるのは)一般には喚起などと呼ばれているが、私はまた、示唆とか暗示とかいう言い方でも呼べると思う・・・文芸の魔法とは、精神というこの飛び散りやすいもの、元来、物のもつ音楽性としか関係のないものを、現実という一握りの埃から解放すること以外にない(マラルメ「音楽と文芸」)」(p147)の一文。

マラルメの「エロディアード」の魅力について、ヴァレリーが友人への手紙の中で書いている言葉。「これらの詩が宝石のごとく磨き上げられた眩い光芒を放ちながら、同時に、底無しで深さを測りえず、夢と交感の不思議な基部をもっているからだ。これらの詩句の下には、幾層もの観念連合、多種多様な喚起がある、―一切は硬質の輝く外見を装い、夢想をもって見ることをせず、理性的推論をもって捜し求める者には、難解なものと映ずる」(p200)。

マラルメが詩の技法について語った言葉をヴァレリーが記録している。「私は句読点を廃するに到った。詩句は未だかつて聞かれぬ一全体であり、新しい一言であり、句読点をつける者は、松葉杖を必要とするわけで、その文は独り立ちできない」、「脚韻は詩人にとってあたかも存在しないかのように、おのずと在らなければならぬ」、「自由詩について」は「仕切りなしで詩句を作ることの困難」を吐露し、「十二音綴句」は「羞恥心」から避けようとしていたこと(p206)。

⑥「『骰子一擲』のページ構成法には、二つの目標が見て取れた。第一は活字の種類、それが頁の中で占める位置、周囲の空白の量感の違いによって、言葉のそれぞれに、異なる重要度、音色、律動をあたえ、思想の微妙に変化するニュアンスを、いわば動態の状態で表現すること。そしてもう一つは、テクスト全体を『建築的な構成』を持った空間に仕上げることであった。これまでの詩が、直線的に配列されていたのに対し、マラルメは『面の詩』を意図したのである」(p210)。


 いろいろ知りえたことを下記に。
私の探求書リストに載っているアンリ・カザリスがマラルメの友人で、詩人でかつ医者でもあったということ(p67)、詩人のモーリス・ロリナが作曲家であり、さらに歌手としても一流だったということ(p133)、ドビュッシーが自作「半獣神の午後への前奏曲」について唐草模様の音楽と語っていること(p167)、マラルメの句読点を廃するという説に影響を受けてヴァレリーもしばらく句読点のない詩を書いていたこと(p207)、印象派の画家たちが作品から夢を追放し純粋に目に見えるものに絶対の信頼を置いているのに対し、ルドンの絵は不可視の世界を顕在化しようとしていることに、マラルメが親近性を感じていたこと(p219)。


 いくつかおかしな記述が目につきました。
カチュール・マンデス夫妻とリラダンワーグナーを訪ねた記述で、「隣国ドイツのルツェルンに・・・訪ねた」(p38)と書いていますが、これはスイスの間違いでしょう。
また、オショーネシーというイギリスの詩人がマラルメの近況を伝えた雑誌の文章に、「マラルメがイギリスの作家ベックフォードの傑作『ヴァテック』を翻訳している」(p43)というのがありましたが、もともとフランス語で書かれた作品なのでおかしいし、実際にはマラルメは序文を書いただけのようです。