フランス詩の本二冊

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宇佐美斉『フランス詩 道しるべ』(臨川書店 1997年)

谷口正子『フランス詩の森―神を探した詩人たち』(国書刊行会 1999年)

                                             

 これからボードレールに関連した本を読んでいこうと思います。まずフランスの近代詩についての概説本から読んでみようと、無作為に本棚から2冊取り出しました。同じフランス詩を論じていても、この二冊は取り上げている詩人で重なるのはボードレールランボーだけですし、論じ方もまったく違います。一口で言えば、『フランス詩 道しるべ』は「道しるべ」と謳っていますが、学術論文に近く専門的で、『フランス詩の森』は、初心者向きに噛んで含めるようにやさしく書かれています。

 

 ボードレールについて、二人がどう見ているかについて、まず宇佐美斉は、フランス詩の流れのなかでボードレールの位置を再検討し、下記のような指摘をしています。

ボードレールは内面的には過激なロマン主義を生きつつ、表現の形式においては反ロマン主義的で、ほとんど古典主義を思わせる秩序と形式の美のうちに、音楽の愉悦と官能の悦楽と悪魔的な諧謔とを歌った。そこには主客未分の「純粋経験」があり、ロマン主義の主観主義でも、高踏派の反主観主義でもない立場にいる。

②『悪の花』の「悪」のフランス語malには、「悪」と「病い」という二つの意味があり、ボードレールは『悪の花』の初版で、冒頭のエピグラフにアグリッパ・ドーヴィニェの「悪」の主題の詩を引用し、ゴーチェへの献辞ではmaladives「病い」という言葉を使っていて、malに二重の意味を含ませている。

ボードレールは、「病い(=悪)」を徹底的に見すえることによって、そこから新しい創造の糧をくみ取った。先行する詩人として、「フィレンツェの美術館におけるレオナルド・ダヴィンチのメデューサ像について」という長詩でメデューサの「悪」の妖しい魅惑と恐怖を歌ったシェリーを挙げている。

ボードレールはベルトランが開拓した散文詩のジャンルを軌道に乗せ、後続のランボーロートレアモン散文詩へとつなげた。ボードレールが散文で意図したのは、リズムも脚韻もなしで詩的な散文を生み出すことであり、もうひとつは、『悪の花』の「パリ情景」でも展開した都会との魂の交流を描くことであった。

ボードレールの詩の日本での受容は、上田敏が『海潮音』で紹介したのを嚆矢とするが、リズムや口調を重視するあまり和風の装飾過多の訳語を用い、倦怠、憂愁や悲哀の面をクローズアップさせているのに対し、荷風ボードレール訳は、日常の平易な言葉を用いながらも品位と風格を保ち、「悪=病い」のテーマをきちんと見すえた正確なボードレール像を提示している。

 

 谷口正子は、ボードレールによってフランス詩が初めて近代的な性格を持つようになったと位置づけ、ボードレールの意識的な詩作態度は後の偶然を排除するマラルメへとつながり、「万物照応」の理論は宇宙そのものと合体しようとしたランボーとつながる、という二つの流れを生んだとしています。とりわけ、「万物照応」をボードレールの美学の中心として捉え、「美女への讃歌」、「髪」など他の詩にも、「万物照応」の世界を呼びおこす「無限」「匂い」「色」「音」「夜」などの言葉が貝細工のようにちりばめられ、具体的な女性の肉感的な姿でさえも、詩人の形而上学的な欲求のなかに吸い込まれて行くと書いています。

 

 谷口正子の本は、カトリック系の機関誌に連載したものをまとめたもので、彼女の立場から言うと、ボードレールの『悪の華』は失われた楽園の再創造を奏でる一大交響曲であり、そこに見られる現世への欠如感は原罪の意識につながるものと論述を進めています。

 

 ボードレール以外の話題でも、いくつか教えられるところや興味深い指摘がありました。『フランス詩 道しるべ』では、

①まず目下わたしのいちばんの関心であるイロジスムに関して、論理性と明晰さを重視するフランス詩の伝統に対し、ヴェルレーヌが「詩法」という詩で「いい間違い」や「朦朧」を提唱し反逆したと書いていたが、これはイロジスムの発生起源に触れるエピソードだと思う。

散文詩の流れについては、文学はそれまで韻文で語られていたが、韻文に見切りをつけて散文にポエジーを注ごうとしたフェヌロンを先駆けとして、18世紀にルソーを中心として散文の発展があり、19世紀のロマン派の時代にそれが一挙に爆発して、ベルトランからボードレールにいたる散文詩の誕生につながる。この流れの逆に、韻文の復権を強く訴えたのが、高踏派から象徴派にいたる詩人たちで、その極北にマラルメがいる、としている。

③19世紀には、散文詩とは別に、自由韻律詩の出現があったが、双方とも韻文のもつ音楽性に代わるものとして、視覚と空間性を重視した。20世紀に入ってルヴェルディがそれを「イメージの詩学」と名づけたが、シュルレアリスムの詩人たちがその手法を意識的に用い、英語圏においても同時期にイマジズムの詩運動が起こった。

ランボー散文詩集『地獄の季節』は、もう一つの散文詩集『イリュミナシオン』と異なり、一人称主語が頻出するが(前者ではjeが340回、後者では59回)、その「私」も、「私とは一個の他者であるJe est un autre.」の「私」であり、「私が考える」のではなく「私は考えられる」、あるいは「私において何者かが考える」という「私」で、先験的な「私」ではない。

ランボーの『地獄の季節』の有名な「太陽と溶けあった海」の永遠性が、同じく有名な「季節の上に死滅する人々から遠く離れて」という語句と呼応しているという指摘も新鮮でした。

 

 『フランス詩の森』は、カトリック系詩人ばかりが取り上げられ、かつ引用の詩もその傾向の強いものが多くて、あまり馴染めませんでしたが、なかでは、「十字架の聖ヨハネボードレールの詩の合体とも言える」と紹介されていたピエール・ジャン・ジューヴの詩が、神秘的な聖性を感じさせるものでした。