出口裕弘『ボードレール』と矢野峰人の「ボードレール」

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出口裕弘ボードレール』(紀伊國屋書店 1969年)
矢野峰人ボードレール」(『欧米作家と日本近代文学 フランス篇』所収)(教育出版センター 1974年)


 出口裕弘の『ボードレール』は読みだしてすぐ、以前読んでこのブログでも取り上げたことに気づきましたが(2008年10月18日記事)、すっかり忘れているので、そのまま読み進めました。矢野峰人のものは、ひと月ほど前に読んだ佐藤正彰の本で、明治期のボードレール移入に詳しいと紹介されていたので、購入したものです。この二つはまったくテイストが異なります。


 08年の記事と重複するかもしれませんが、出口裕弘の視点で独自性を感じたのは、ニーチェバタイユの系譜にボードレールを置いて考えているという点で、ボードレールのダンディズムと自己滅却の性格がより鮮明に理解できたように思います。もうひとつの特徴は、宗教者としての側面にはほとんど触れず、革命者ボードレールに焦点を当てている点。これは執筆の年代が学生運動華やかなりし頃と重なるからでしょうか。またメーストルとの関係について紙面を多く割いて説明しているのは貴重です。

 今回新たに印象に残ったフレーズは、

「天使でもなく獣でもない」人間が・・・中間者だと・・・言っているのではなくて・・・人間にあっては「天使をまねる」ことと「獣になる」こととは弁別しえぬ混沌の中にある、それが人間の構造それ自体だと言っている/p63

現代に至ってついに神は死に、人間の勝利という形を取ってサタンが勝利した、人間は神を殺しついでにサタンの存在を一笑に付すことによってまさしくサタンの制覇を招来したのだ/p112


 これまで読んできて、たぶん見過ごしたか覚えていないかだと思いますが、新たに知り得たことは、ボードレールがルイ・ル・グラン中学校を退校処分になったのは、級友をかばった「侠気」から教師と衝突したのが原因ということ(p72)、ボードレールが草案として残した散文詩には、「パリ風物」の系列と「夢解釈」という系列があると言い、「崩壊の前兆」と「階段」の一部が引用されていましたが、これがなかなかいい(p141、154)


 矢野峰人の評論は、前回読んだ関川左木夫が扱っている時代と重複するものでしたが、関川があまり書いてなかったことでいくつか印象深い記述がありました。

ボードレールの日本への移入の先駆けとしては、ラフカディオ・ハーンがいる。明治35年以前の東京帝大での講義で、ボードレールを取り上げ、散文詩「月の賜物」を英訳で紹介し評しており、明治36年には、「フランスロマン派の作家」と題する講義の中でもボードレールについて話したとのこと(p64)。→この講義録は全集に入っていればぜひ読んでみたい。

ボードレールの日本詩壇への影響は、露風などより木下杢太郎の詩の方が大きかったのではないか。杢太郎はボードレールの「異国の香」と「シテールへの旅」を愛読しており(p72)、杢太郎の詩「暮れゆく島」には「異国の香」の影響が歴然としているとのこと(p88)。

③明治期の作家たちがボードレールの情報源として唯一よりどころにしていたスターム訳『ボードレール詩集』には、甚だしい誤訳がたくさんあったが、誰もこれに気がつかなかったこと(p82)。ちなみに、この本は、フィオナ・マクロウドが監修した「カンタベリー詩人叢書」の一冊。

島崎藤村もまたある時期ボードレールを愛読していたらしく、あちこちの文章に、「秋の歌」、「航海」などの詩について、またモンパルナスの墓地のボードレールの墓に詣でたことなどを書いているとのこと(p93~94)。

大正元年から二年にかけて、雑誌「朱欒」に、フランス語から直接訳したと思われるボードレール散文詩が掲載されており、訳者は「無名氏」と書かれているが、それが誰か明らかでないとしたうえで、その訳しぶりを褒めている(p95~96)。

 明治45年2月の「早稲田文学」に掲載された後藤末雄訳の『人工楽園』は、この時点ではまだ英訳も出ていないので、ボードレール移入史上、重要な意義があるとしているが(p92)、後藤末雄はこのときまだ大学の二年生というから驚き。また「アステイオン」92号の張競「夢を種蒔く人・厨川白村」で、白村が野口米次郎の英詩集についての評を読売新聞に、また博引傍証を尽くした「ポー論」を「明星」に発表したのが、まだ東京帝大の学生時代と書かれていましたから、昔の大学生は早熟だった、というか勉強熱心だったことが分かります。