山村嘉己と杉本秀太郎のボードレール論

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山村嘉己『遊歩道のボードレール』(玄文社 1986年)
杉本秀太郎ボードレール」(『杉本秀太郎文粋1エロスの図柄―ボードレール/ピサネロまたは装飾論』所収)(筑摩書房 1996年)                                         


 二人の文章の印象がまるで違っているのは、ご本人の性格もあるでしょうが、発表の媒体にも影響されていると思います。山村嘉己の本は、大学生協の雑誌に書いた連載をまとめたもので、ボードレールのことをあまり知らない学生を視野に入れているので、基本的な情報を丁寧に説明し、文章も素直でたいへん読みやすい。それに対し、杉本秀太郎の「ボードレール」は、各種雑誌への発表論文と『「悪の花」註釈』の本人担当部分を併せたもので、ボードレールをある程度読みこんだ人や専門家を対象に考えているらしく、通説の裏を行くような少し斜に構えたところがあります。


 『遊歩道のボードレール』の特徴は、詩の引用が多く、それも詩の全体を引用していること、また図版もたくさん入っていること。図版は、ボードレールの肖像、「悪の華」の挿画、パリ情景に関連した版画、ボードレールが評している画家の作品、テーマに関連した絵などで、メリヨン、ロップス、ブラックモン、ゴヤ、レーテル、クールベドラクロワ、マネなどによるもの。印刷状態は悪いですが、類書のなかでは図版が充実しているほうだと思います。したがって、本人の文章は量が少なくなっています。
                                          
 これまでにあまり見られなかった(ように思う)論点としては、
①再版で「巴里情景」が追加されたこと、さらに晩年に散文詩『巴里の憂鬱』の完成に力を注いでいたことを取り上げ、当時オスマンの都市改造で、ゴーチェやネルヴァルと遊歩した通りが取り払われるなどパリの街路が大きく変貌しているなかで、なつかしいパリを詩のなかに留めようとしたという解釈。

②ジャキェ=ルウの指摘していることで、ボードレールの水はいつも死の面影を宿しており、キスのときに溢れる水、すなわち唾液にも死の影が忍び寄っていること。

③「profond(深い)」という形容詞の数が『悪の華』でよく使われており(P・ギローによると44番目の頻度)、海が深淵というイメージも『悪の華』に18回出現していて(これもジャキェ=ルウの指摘)、ボードレールにとっては海の深淵が最後の終焉の地であったこと。


 杉本秀太郎の文章は一種の悪文で、どこで訓練を受けたのか人の意表をつこうという姿勢が旺盛なあまり、説明不足で分かりにくいところがあります。突拍子もないものも含め論点は数多くありましたが、いくつか紹介しておきます。

①『悪の花』を構成するにあたって、ある見世物小屋を設定し、この舞台に登場する役者を配置し、そのうえで劇の傍観者でもある道化を配し、楽屋にかかっている版画について語ったり、役者がパリの街をさまよってその風景を描写する、といった具合に進行すると解釈しているのは独創的。→と思ったら、付記でスタロバンスキにヒントを得たと書いてあり、また後段でバルベー・ドールヴィイの「『悪の花』は名を明かさずに作者当人が俳優となって、いたる所に登場しているドラマである」という言葉もあった。

②詩の評釈に関して言えば、「照応」という詩は、「自然」という語が「女性」を指していて男との合一を歌ったものというふうに性的な解釈に偏していたり、「秋の歌」では、「断頭台」を「火刑台」と読み取り、かつ柩の蓋に釘を打つ音は死者として聞いているという解釈をしたり、「一騎打ち」は、劇中劇の決闘を見ている二人の人物の会話として考えたり、また「毒物」では、「毒物」が「惚れ薬」であり背後にトリスタン伝説があると解釈するなど、詩そのものに常に何かの補助線を引くことで新しく読みなおそうとしているのは、独創的だが不自然であまり感心できない。

③ただ、「高翔」という詩が、ワグナーの圧倒的な影響のもとに作られたと説明しているところや、「異郷の香り」には、音楽の陶酔がもたらす世界に近似した宇宙を作ることに成功しているとしているところ、「前生」の詩に、無限系列の入子構造を見出しているところなどは、鋭い指摘だと思います。

杉本秀太郎も、水の魔力に言及していて、「八方塞がり」という詩で、深い穴に降りてゆく地獄堕ちの男が、底に溜まっている腐水に蠢く粘性の怪物の口に吸いこまれるという場面を、湿気の感じられないピラネージの版画と併せて考察していますが、他にボードレールの「散文詩プラン」にも「天に近く据えられた貯水槽から漏れる水」というピラネージに想を得たと思われる断片があり、ここでも湿気がはびこっているとの指摘がありました。