ビュトール『ボードレール』

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M・ビュトール高畠正明訳『ボードレール』(竹内書店 1970年)


 アンチ・ロマン作家によるボードレール論。さすがに作家らしく、評論として、とてもユニークな構成を採用していて、ボードレールが1856年3月13日に友人アスリノーに宛てた、前の晩に見た夢についての手紙をテキストとして、その記述の細部を追って論を展開する形になっています。なので項目の立て方も、例えば「安全な場所」「本」「靴とズボン」「仲介者」「酒」「鳥」「薔薇色と緑色」「紐」「反歌」というように、類書になく謎めいて魅力的です。きわめて文学的な評論と言えるでしょう。 

 ただ夢の手紙に直結した記述は冒頭と最後の部分だけであり、途中はそれ以外の要素が混じっていて、私の読解力が足りないこともあり、その構造が少し分かりにくかったのと、翻訳が一字一句忠実に訳しているせいか、文章がていねい過ぎて読みにくいということがありました。

 ボードレールが見た夢というのは、彼が待ち望んでいた初めての単行本、自分が翻訳したポーの『異常な物語』が出版された当日に見たもので、内容はいかにも精神分析におあつらえ向きな要素に溢れていますが、ビュトールは安易な解釈で済まそうとせず、執拗にボードレールの感性や思念に迫ろうとしています。とくに最後の方、鳥、赤と緑、紐、ネルヴァルの自殺、マネの使いの少年の自殺…と、畳みかけるようにテーマを繋げていく技には引き込まれるような迫力がありました。 

 夢の解釈のいくつかは次のようなもの。
①夢は、友人にばったり出会ったついでに、出たばかりの本を娼家の女主人に届けようとする場面から始まるが、母親から後見人をつけられた屈辱を本を母親に渡すことで復讐しようとしているとする。

②夢では、階段の下の湿ったぬかるみに両足を突っ込んだことに感づき両足を洗おうとするが、実際にボードレールは困窮して、ぼろ靴のせいで、両足を濡らして自分の家に帰ることもあったということである。

③夢の舞台である、デッサンや彫刻が飾られている広大な美術館のような娼家は、ポーが書いているポーが通っていたロンドン郊外の学校についての文章や小説「リジア」の舞台である部屋が反映している。また美術館はボードレールが女性との待ち合わせに使う重要な場所であった。

④夢のなかで、娼家を経営しているのが当時の有力新聞「世紀」で、ボードレールが以前ポーの「異常な物語」を掲載しようともくろんでいた新聞らしい。

⑤娼家に飾ってある絵のなかで、羽根がとてもキラキラしている彩色された鳥禽があるが、これはポーの描く信天翁やペンギン、それに鴉を思い出させるし、その生きた眼はやはりポーの「告げ口心臓」や「黒猫」で重要な役割を果たしている。

⑥娼家の台石のうえに小さな怪物の像があり薔薇色と緑色の顔をしているのは、ボードレールが暁などを表現する際に詩の中で多用している色の組み合わせであり、独自の色彩理論にもとづくもの、またボードレールが好んだアメリカインディアンの顔の彩色でもある。

⑦その小さな怪物は頭からゴム状の太く長い紐を垂らし四肢に巻きつけているが、これは『巴里の憂鬱』の「誘惑」に出てくる悪魔が胴着のまわりに蛇を巻いている姿や、ポーの「黒猫」で猫の首に巻いて殺した綱、ネルヴァルの首吊りの紐、そしてやはり『巴里の憂鬱』の「紐」で描かれている、マネの使い走りをしていた少年が自殺した時の首の肉に喰いこんでなかなか取れなかった紐と関連している。

 それ以外で、印象深かった指摘は、
①『悪の華』の詩「あまりに快活なひとに」の最終節は初版では、「僕の血を注ぎたいのだ、おおわが妹よ!」となっているが、再版以後は「僕の毒を注ぎたいのだ、わが妹よ!」となっている。ボードレールは若い頃から黴毒を患っていて、この詩とは逆に恋人ジャンヌに病気をうつしたことの罪悪感に苛まれていた。そういうこともあって、この詩を捧げたサバティエ夫人とは深い関係を持てず、実際に送ったのは、黒い毒液であるインク壺だった。

②病気をうつした責任と同じように、かつて共和主義者として群衆を扇動した責任があるように感じ、ボードレールはその懲罰を引き受けようとした。

ボードレールにとって、ダンディズムは、着物を額縁にして自分の肉体を芸術作品であるかのように見せる一種の近代的ストイシスムであり、それは死刑囚の自発的な犠牲の悦びにつながるものだ。ボードレールはダンディズムを北アメリカのインディアンに見る。彼らは落ちぶれた身の上にもかかわらずホメロスの壮大さを偲ばせているから。

④『悪の華』初版では、「死」と「酒」の章が隣同士に置かれていて各詩篇が照応している。「恋人たちの死」は「恋人たちの酒」を延長するもので、「芸術家の死」は「孤独な男の酒」に、「貧者の死」は「屑屋の酒」に呼応している。

 その場限りの目的を果たすために書かれる性格を持つ書簡を用いて悪意のボードレールを作り上げることは容易であると、暗にサルトルボードレール論を批判したところもあるかと思えば、1848年から1851年の第二共和政の前・中・後の三つの時期が、『悪の華』初版の三つの章「レスビエンヌ」、「冥府」、「悪の華」や、ジャンヌ・デュヴァル、群衆、エドガー・ポオがボードレールに果たした役割に照応していると指摘するなど、構造主義的な解釈が垣間見えるところもありました。