:キューゲル『象徴詩と變化の手法』


                                  
ジェイムス・L・キューゲル荒木亨訳『象徴詩と變化の手法』(東海大学出版会 1981年)

                                   
 30年近く前に読んで好印象を持った記憶がありますが、内容は忘れていたので、象徴主義詩シリーズには欠かせないと再読してみました。一言でいえば、これまで読んできた本がいちように詩史や人物像から筆を進めているのに対し、この本は直接に象徴詩作品の美に迫ろうとしています。

 著者はユダヤアメリカ人で原書は英語ですが、フランス語、ロシア語にも精通していて、視野の広さには驚くべきものがあります。考察の手法は、シクロフスキイなどロシア・フォルマリズムの影響下にあるようです。詩の美が因ってきたるところを懇切丁寧に考察しており、考えようによっては、象徴主義的な詩を作るための手引書のような感じも受けます。


 私の理解した範囲で、内容を簡単にご紹介しますと、
象徴主義というのは運動体としては曖昧で、浪漫主義のように感性の大規模な変化をもたらさなかったし、シュルレアリズムや自然主義のような美学的主張を持っていなかったが(p23)、新しい技術工学がもたらす時代の主潮に対する不満が詩人たちのまとまりを作り(p29)、斬新なものを作ろうという感覚のなかで誕生した(p35)。
②象徴派の特徴は、詩の神秘性を重視したこと。すべてを言わないこと、すべてが言われたわけではないとそれとなく仄めかすことによって、不可解さをつくり出そうとした(p54)。
③その仄めかしのパターン:(一)「アキテーヌの王子」といったような固有の名前による仄めかし。本来は言及されている人物が周知されている筈だが、そうでないので象徴主義的感覚を生むことになる。(二)「墓の夜」というような未知の物語を喚起する言葉の使い方。(三)「黒い太陽」、「死んだ星」というように、矛盾や両立不可能性を孕んだ言葉遣い。それによって緊張状態を高めている(p64)。
④そうした喚起力のある仄めかしの断片同士が、イメージの関連や文法的脈絡をつくり出しながら、ある方向へ詩を導いていく。トーンの強さが鍵で、そうした繋がりが弱まり複雑さが形づくられると、詩は壊れてしまう(p72)。
⑤単一の仄めかしのイメージからなるものもあり、ギッピウスの「大騒ぎ」では、弾丸(たま)のまわりをまわる犬の屍骸が詩の中心的イメージであり、それをめぐって詩全体が形づくられているが、結局中心が不可解なので、詩全体の印象が不可解になる(p82)。
⑥もう一つは「動機」が不可解という手法。「狂人が枯れたゼラニウムを揺するやうに/真夜中は記憶を揺する」(エリオット)のような詩句は、叙述されているものはそれぞれが想像可能で理解し得るが、狂人の行為の意味はついに分からないままである。こうした「動機の詩」は題材が限定され、怪奇な景色、死の予感などゴシック小説の衣裳を身にまとう(p91)。
⑦語り手の人物像が分からないことから来る不可解さもある。語り手がある美人を待ちながら、彼女に質問を矢継ぎ早に投げかけるが、語り手が謎なので美人も謎のままである。詩が饒舌であるにもかかわらず、一切のことを言わずにおく手法(p106)。
象徴主義は、詩を社会的、倫理的、時事的問題から隔離しようとする試みだったが、ロシア革命と世界大戦の後では、疑問の眼で見られることになった(p127)。


 象徴詩の不可解さをつくり出す技巧を著者は「techniques of strangeness」と呼び(p12)、この本のタイトルともなっています。訳者は「strangeness」を「變化(へんぐゑ)」と訳していますが、「變化」は「お化け」とか「姿を変える」という意味が強いので、「不可解」とか「奇妙さ」という訳語のほうがふさわしいように思います。

 この本を読んで、フランス象徴主義がロシアに与えた影響が大きいことがよく分かりました。引用されているロシアの詩が魅力的だったし、ロシア象徴主義の作品は他にもたくさんありそうなので、ソログープやベールイなどの訳詩が出てないか探してみようと思います。

 象徴派の特質を語る際に「音楽からその富を奪還する」という言葉がよく取り上げられます。音楽性という意味で言われたものなんでしょうが、どんな音楽がこの場合ふさわしいか考えてみると、この本の不可解というキーワードからして、怪しい低弦の律動のある暗示的な音楽ではないでしょうか。となるとやはりロマン派以降、とくにワーグナーからの後期ロマン派、ドビュッシー以降のフランス音楽、リャードフやムソルグスキーリムスキー・コルサコフストラヴィンスキーなどのロシア系音楽などを思い浮かべてしまいます。