芳賀徹の桃源二冊

  
芳賀徹『桃源の水脈―東アジア詩画の比較文化史』(名古屋大学出版会 2019年)
芳賀徹監修『桃源万歳!―東アジア理想郷の系譜』(岡崎市美術博物館 2011年)


 桃源に関する本は、前回の『桃源郷』以外に、これまで杉田英明編『桃花源とユートピア』、芳賀徹「桃花源の系譜」(『文学の東西』所収)や(2011年3月29日記事参照)、国文学研究資料館編『文学における「向う側」』(2013年9月6日記事参照)を読んできました。今回、芳賀徹の桃源論文の集大成ともいえる『桃源の水脈』と岡崎市美術博物館館長時代に開催した美術展の図録を取りあげます(一部の論文は上記と重複しているものもあり)。

 『桃源の水脈』は、芳賀徹が40年前の壮年時代に「比較文学研究」に掲載した論文と、「桃源万歳!」の図録のために執筆した文章、各種雑誌書籍などに寄稿したものや新たに書き下ろした論文を収めています。大元となる陶淵明の作品から始まり、中国や朝鮮でのその後の桃源郷関連の作品、そして日本への影響を奈良時代から現代まで辿っています。『桃源万歳!』では、芳賀徹の論文以外に、辻原登、多田智満子の桃源にまつわるエッセイ、中国、朝鮮、日本の絵画研究者、江戸漢詩の専門家それぞれの論文が掲載されています。この二冊を読めば、桃源郷についての絵画、文学の各種テーマがだいたい理解できるのではないでしょうか。

 この本を読んでいる時期、ちょうど桜が満開で、近所を散歩をしていて、生駒の山裾にピンクの桜の木が点在するなかに、家がぽつぽつと並んでいるのを見て、のどかな心のぬくもるような思いがしました。桃ではなく桜でしたが、桃花源を考える際、この花びらの桃色がきわめて重要な役割を担っていると感じました。

 これまでと重複するかもしれませんが、印象に残った指摘を我流でまとめてみます。
桃源郷は、極楽や地上の楽園、黄金時代など、種々の夢幻の地や時代とともに、クルティウスの言うような詩的トポスと見なすことができる。トポスとは、ホメロスから始まり、中世、ルネサンスを経て、18、9世紀の文学にまで伝わる一群のモチーフで、結尾のトポス、顕彰や弔慰の弁論におけるトポス、かつて排斥されたものを称賛する「逆さまの世界」のトポス、「老人のように円熟した少年」のトポス、「少女に変貌する老婆」のトポスなどがある。

②西洋の理想郷と中国の桃源郷をいくつかの点で比較している。
ア)西洋の楽園の描写では果樹園のなかにある多種の果物が列挙されるが、陶淵明桃源郷は、まことに質朴でつつましく、しかも現実的である。何の理由でか吠えたてる犬の声や、白昼に間の抜けた雄鶏の時を作る声や、雌鶏のそれに応える声がときおり聞こえてきたりするが、それが要で、深く濃い平和を感じさせる。

イ)西洋の牧歌文学では、家畜の飼育と増殖を生業とする牧人が主人公で、エロティックな要素が強く、男女が恋を語らう舞台となっているが、陶淵明桃源郷では、老人と幼童が戯れていて、ほのぼのと心休まる世界を作っている。

ウ)西洋のユートピアは、人智と人力を尽くして自然環境を支配し、幾何学的都市計画のもとに作られ、市民も功利的な理性によって規制されているが、東洋の桃源郷は、根本において老荘的とも言うべきもので、西洋のユートピアのほとんど反対物となっている。

③美のあり方に関しては次のような指摘。
ア)桃源郷への入口に、桃花の谷間や洞窟など幻想的神秘的な情景があるので、いったん桃源の盆地に入りこんだ後は、普通の人たちが出迎え、平凡で親しみ深い風景が広がった方が、最後に残される不思議の感覚はかえって深くなる。

イ)『西班牙犬の家』に出てくる置時計の文字版には、長い裾を曳く貴婦人と頬ひげのある紳士が描かれ、もう一人の男がその紳士の靴を毎秒1回磨く仕掛けになっている。佐藤春夫の作品では、『田園の憂鬱』でも『美しき町』でも、微細なもののなかに、さらに微細な別世界の映像を追ってゆくミニアチュア的想像力が見られる。

④日本では、江戸時代中頃に、文芸や絵画で桃源郷のトポスが花盛りとなるが、陶淵明の「桃花源記」を、単なる神仙譚としてでなく、田園への郷愁を歌った作品として読み、それを日本の情景に移し替えて、展開していった。

1920年頃の日中知識人のあいだには、トルストイ風の平和主義、肉体労働の再評価、友愛による共同扶助と社会主義運動、さらにはエスペラント運動や新宗教まで含む東アジア共有のコスモポリタンの平等思想、人道主義が共通の背景としてあった。武者小路実篤の「新しき村」運動に感銘を受けた周作人が「新しき村」北京事務所を開設、そこを毛沢東が訪れたという。その後毛沢東が執筆した湖南地方での「新しき村」企画案には実篤の「新しき村」の名前が挙がっている。
以上、『桃源の水脈』より

 福永武彦が一高生の18歳のときに、水城哲男の名で書いた漢文調の詩が引用されていました。桃源喪失の悲哀を歌った「桃源」という長詩ですが、18歳とは思えない格調の高い美文調で、語彙も豊富でびっくりしました。


 次は『桃源万歳!』より。
①恐れは未来の観念につながり、なつかしさは過去の観念につながる。なつかしさを宗教やイデオロギーに仕立てることは難しいが、怖れならできる。原罪を設定し、未来に向けて、罪から解放、救済されるように人間を駆り立てることができる。罪の烙印のある過去の楽園に戻ることはできない(辻原登)。

②遠近法は、ひょっとしたら、天上からみつめ宰領する唯一神、唯一の視点を横倒しして、水平にしただけではないだろうか。いちばん奥の中心点には、画面に見入る〈私〉をみつめている神の目がある(辻原登)。

山水画が、本質的に桃源郷に親和的という指摘が二人からあった。
ア)私たちが山水画の世界に遊ぶとき、いつも、川や滝、霧に煙る森、立ちはだかる険しい岩峰のさらにその向こう、いわば風と景(ひかり)の奥行きの最深部に、無意識裡に桃源郷の入口をさぐっている。それはなつかしい過去にあるのだ(辻原登)。
イ)すべての中国の山水画は、陶淵明が理想とした桃源郷のような世界を描くと言うこともできるのである(宮崎法子)。

④江戸期の漢詩を見ると、桃源のテーマは江戸中期以後に多くなるが、京都大阪の詩人によるものが江戸の詩人よりも多い。その頃から、日本の漢詩の作風は大きく変わり、それまでの盛唐詩や明詩の高雅な表現を模倣する格調派の詩風から、詩人の内部にある詩情を平明かつ写実的に表現する性霊派の詩風への転換が起こった(揖斐高)。

⑤西洋で桃源郷に当るのはアルカディアだが、実際のその土地は不毛の地で粗野な人たちしか住んでなかったという。もともとテオクリトスが故郷のシチリアを懐古しながら理想郷を歌ったが、ウェルギリウスが同じテーマで歌おうとしたとき、すでにシチリア古代ローマの属州となって姿を変えていたので、ギリシアの山間地であるアルカディアを、現地を見ないまま理想郷として歌ったのが始まり(小針由紀隆)。

 最後に、絵画作品で気に入ったものは下記のとおり。
伝仇英『桃花源図巻』、金喜誠『樵客初傳図・競引還家図』、呉春『武陵桃源図』、木下逸雲『桃花源図』、春木南溟『武陵桃源図』、奥村美佳『隠れ里』。ちなみに『桃源の水脈』の表紙の絵は奥村美佳の『桃花の谷』です。