藤縄謙三『ギリシア文化と日本文化』

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 藤縄謙三『ギリシア文化と日本文化―神話・歴史・風土』(平凡社 1994年)

 

 

 飲んでいて、ギリシア神話と日本神話の類似について喋っていたら、また興味が湧いてきて、その関連の本を読んでみました。藤縄謙三という名前は学生時代から知っていて、たしか『ホメロスの世界』か何かをその頃買った記憶がありますが、そのうち読まないまま古本屋に売ってしまったようです。今この本を読んでみて、たいへん後悔しております。

 

 近頃まれなくらい私の趣味にフィットして、読みながら何度も快哉を叫びました。ギリシアの専門家ではありますが、社会、歴史の分野の人なのに、ホメロスや抒情詩、牧歌詩など文学畑にも精通しているのに感心しますが、さらに驚きなのは日本の古典文学にも深い理解を示していることです。文章がとてもこなれていて読みやすく、痴呆症寸前の私の頭にもするりと入ってきます。翻訳も然り。マルクスの引用などでも(p326)、自分で手を加えて分かりやすく直しています。たくさんの知識を自分の頭のなかで咀嚼して整理し、自分なりの考えとして体系的に述べていて、そのため章や項目だてがあっても断片的でなく、ひとつの長編物語のように脈絡を持って綴られているのがすばらしいところです。

 

 そしてその底流に一貫して聞こえてくるのは、次のような感慨です。「四季の移り変わりに即応して営まれた日本人の生活は終り、俳句の季語も意味不明になりつつある。要するに日本の固有文化は今や死滅しつつあり、しかも古典文化として生き続けるのも困難な状況にある。私の書物は、実はその死を予感して歎く挽歌であったようである」(p387)。

 

 いくつかその主張のポイントを私なりに紹介してみますと、まずギリシア文化と日本文化の比較に関しては、

ギリシアでは地母神崇拝が根底にあり聖なるものは人々の身辺に存在したが、日本人は生活の場から離れた所に神を敬して遠ざけていた。そのため、神話を基盤としてその上に何かが発展形成されるということがなかったし、遠くのもの、異国的なものに対する憧憬や劣等感、また遠くの権威に頼ろうとする習性が生まれた(p40~43)。

②国家的な不幸が起こった際、ギリシア人は神の正義について考えたが、日本人は神の祟りと考えた(p49)。

③日本人が歴史を川の流れに喩えるのに対して、西洋人は歴史を何か構築物のようなものと見ている(p111)。

ギリシア人は先天的に視覚的であり、幾何学的な精神の持ち主であったのに対し、日本人は陰影とか、おぼろげな景色とかを愛して来た(p132)。ともに「thauma idesthai(見て驚嘆すべきもの)」、「見れど飽かぬ」という共通した表現はあるが、その対象は、ギリシアが武器や戦車や城壁、染めた糸や衣類など人工的な製作物であるのに対し、万葉時代の日本人は、椿や萩、浜辺や月夜の景色など、すべて自然のものである(p148)。

⑤日本の抒情詩は、自らの内面に注意を向け自分一人の悲哀の情に耽るもので、主体の情感を歌おうとしているが、ギリシアでは、悲劇も喜劇も神殿建築も彫刻もポリスの公共事業として行なわれ、抒情詩人でさえ公共の世界を常に意識しており、孤独な情緒に耽るということが少なかった(p168~170)。

⑥西洋においては、人々は平等の立場に立って定理を基準にして判断を下していたが、日本では、真理は師から弟子へ親子関係のように相続されてゆくものであった。そのため真理を普遍的また公共的なものと考えない傾向が生まれ、芸術に向かう場合も、作品そのものよりも作者の内心や人柄の方に人々は関心を持つようになっている(p185)。

⑦「国家」を意味する「おほやけ」が「大宅」すなわち支配者の家を指す語であるように、日本では家の中の秩序関係がそのまま拡大して国家の秩序の原理なっているが、ギリシアでは、一夫一婦の単婚小家族が原則でどの家も基本的には同一の構造であったから、特定の家が他の家々を完全に包み込んでしまうことはなく、王と一般自由民の関係も、政治的な思惑による同等の関係であった(p199~204)。

ギリシア人は宇宙の形成を生殖の過程として理解する傾向があり、牧歌的な生活というのはこの宇宙的なエロスの力の中で生きることであった。それゆえ西洋の牧歌的文学の伝統は青春の文学であり、季節のうちでは春が傑出して愛好されていた。それに対して日本の伝統的文学には、西洋の牧畜や農業のような生産活動との結びつきがなく、秋が最も好まれたのも、秋が収穫の季節だからではなく、もの悲しさや紅葉の美しさのためであった(p340~352)

⑨西洋における牧歌的な生活の理想は、神話的な黄金時代の楽園、若々しいエデンの園のような生活へと近づくことであったが、日本における自然への没入の思想は、自己を清らかにして極楽浄土に近づくことを意味し、また芭蕉の「うき我をさびしがらせよ閑古鳥」のように老人趣味的であった。中国の陶淵明の桃源境は、ギリシア人やヘブライ人の理想郷と類似していて、労働のない極楽とは違って、軽度の楽しい労働のある世界である(p368~372)。

 

 それ以外に印象に残った指摘では、

①『日本書紀』のどのページにも、大小の天変地異や災害や疫病についての記述があるように、天皇は神霊に満ちた国土の生動と呼応すべき存在であった(p64~66)。

②18世紀の古典主義までは、古代ギリシアの美は永久に通用すべき美の模範とされていたが、19世紀の歴史主義の登場によって、古代ギリシアの美も歴史的な形成物に過ぎなくなり、相対的な価値しか持たなくなった(p108)。

③古代、中世、近代という三時代区分の起源は、ルネサンス時代の人々が中世的世界を脱却しようとして、古代のギリシア・ローマを模範と考え古代への回帰を希求したことにあり、日本で同じ時代概念を考えるのはおかしい(p118)。

④短歌のいくつかに視覚から聴覚へという構成が見られるが、これは日本的な精神の構造を示しており、叙景詩に抒情性を与えている(p157)。この典型的な和歌の構造は、庭園の風景を観賞したあと薄暗い部屋で湯の沸く音を聴く茶室の時間構成と似てはいないか(p159)。

⑤古代人の原始的な信仰では、霊魂は現世と完全に異なった土地へ行くのではなく、人間の間近に留まって地下で死後の生活を営む。この信仰から埋葬の必要が生じ、子孫によって規則的に供物が捧げられることになる。またこれが、食物調理のための火に清浄なものを見る「かまど」の崇拝と合わさり、家族宗教という一つの宗教を成立させていた(p191~192)。

プラトンは支配者階層内だけの共産主義を説いていた。結婚には優生学的な配慮を行ない、悪い親から生まれた子どもや不具の子どもは内密理に葬ることにして、人口数を一定にするという内容(p224)。→プラトンがこんなことを書いているとは!

アリストテレスによれば、人間の幸福は無為の生活ではあり得ない。幸福とは良く行なうことであって、一種の行為にほかならない。この行為は、必ずしも他人と関係を持つ必要はなく、自分自身のためになされる思惟が最も行為的であり、それゆえ観想的生活がすぐれて幸福な生活ということになる(p240)。

ユートピア思想とか革命思想とかは、牧歌的な理想の伝統を地盤にして育ったもの(p323)。

科学的精神だけでは工業文明は成立せず、そこには人間の労働を節約しようという一種の怠惰の精神がなければならない。しかし、機械の発明による産業革命は、結果的には労働の強化を生み出しただけであった(p326)。それを見ていたウィリアム・モリスは、工業をなるべく工芸の如きものに変質させ、労働というものを苦痛から解き放ち、人生最大の喜びに転化することを考えた(p330)。