:文学における「向う側」

                                   
国文学研究資料館編『文学における「向う側」』(明治書院 1985年)


 二年ほど前、古本屋で買った本。不思議なタイトルだったので、なにかなと思って手に取ってみると、平川祐弘芳賀徹両氏が、それぞれ桃源郷について書いていたので購入したもの。
                                   
 国文学研究資料館が海外からゲストを招いて開いている共同研究の結果報告。この時のゲスト鶴田欣也氏の問題提起は、私の趣味に合っていて好ましく、また問題点が分かりやすくはっきりと示されていてすばらしい。それに答えての平川祐弘芳賀徹両氏の桃源郷についての文章がやはり群を抜いて味わいがあり面白く読めました。

 国文学資料館の百川、山中両名の論文は、鶴田氏の問題提起を正面から捉えていない上に、癖が強く学生が書いた論文のような生硬な印象で、ついていけませんでした。平川氏は論文の最後の註に「この種の共同研究に際しては提出された玉石混淆の論文を吟味して精選することが本来進行係の務めではないかと思われる。より厳しい学問的規律が維持されることを祈ってやまない(p112)」という異例のコメントを残しています。また鶴田氏の論文で、「フランソワ」であるべきところが「ソランソワ」になっていて、その誤植が八カ所にわたって延々と続くのはどうしたことでしょうか。


 鶴田氏の問題提起は、日本の近代文学を代表する作品に「異界との接触」をテーマとしているものがいくつかあるとして、10作ほどの作品を明示し、その特徴を、①主人公は若い男性で、個我の確立したインテリ層である、②異界へ行くまでの道行の部分が描かれている、③異界の主役は女性でありケア・テイカー(世話する者)として母性の強い存在である、④主人公が退行的なふるまいをする、としたうえで、①日本の伝統的な文学にも見られるものか、②日本以外の国では同じような作品が書かれているか、と問うものです。

 ちなみにその10作品とは、幸田露伴「対髑髏」、泉鏡花高野聖」、夏目漱石草枕」、芥川龍之介素戔嗚尊」、谷崎潤一郎蘆刈」、川端康成「雪国」、太宰治お伽草紙浦島さん」、安部公房砂の女」、古井由吉「聖」。

 鶴田氏は自ら問いながら、中国の桃花源の物語、西洋のユートピア文学や、西洋近代文学のポーなどいくつかの作品、また日本の謡曲などとの比較を試み、「桃花源の物語には魑魅魍魎という言葉によって代表される夜の部分が欠けている(p21)」とか、西洋のユートピアは「根本において老荘的ともいうべき桃源の平和郷とはほとんど反対物で・・・人智と人力を尽して自然環境を支配し、厳密な幾何学的都市計画のもとに城塞か神殿のように構築された石材と煉瓦の都市である(p23)」などの点を指摘しています。

 鶴田氏の「文学はこういう向う側と緊密な関係にある。緊密な関係どころか向う側そのものだということもできそうである(p6)」という言葉には親しみを覚えました。

 さらに鶴田氏は巻末の論文で、今度は西洋の「向う側」を描いたと思しき小説4編を取り上げ、日本の「向う側」小説との比較を試みています。その4編とは、フケー『ウンディーネ』、ハッガード『洞窟の女王』、ハドスン『緑の館』、フールニエ『さすらいの青春(ル・グラン・モーヌ)』です。

 そして西洋の「向う側」作品に見られる際だった特徴として、①人間の自然に対する支配欲求が見られる、②女性は象徴的存在として、完全な美、完全な清純、完全な執念という形をとる、③原罪以前の汚れなき清らかな世界の復元を希う根強い願望がある、④向う側とこちら側の結合を主張する、といった点を挙げています。


 平川祐弘氏の「東と西の桃源郷」は、ラフカディオ・ハーンが『今古奇観』のフランス語抄訳をもとにして英文で書いた物語「The Story of Ming-Y」を取り上げ、日本の近代文学以外でも「向う側」を描いた作品があることの証拠としています。今古奇観の原話(中国語)、そのフランス語抄訳、ハーンの英文、原話の立間祥介訳(東洋文庫)、ハーン英文の日本語訳(平川氏自身の訳)などを比較し、また森亮の研究も加え、平川氏ならではの重層的な分析がなされており、その手際は鮮やかです。

 ハーンがいかに華麗にまた高雅にこの物語を脚色していったか(原文の5倍の量になっている!)、そしてその脚色にはハーンの心の奥底の母性願望が表われていることを説くと同時に、ハーンがつけ加えたのは、ハーンがポーから影響を受けて抱いていた西洋の理想郷の姿が反映しているとし、この物語が東洋と西洋の合体であることを証明しています。


 芳賀徹氏の「大正日本の小桃源」は、鶴田氏の設問に正面から答えてはいませんが、佐藤春夫の「西班牙犬の家」を題材にして、その物語の展開の順を追いながら、当時春夫が読んでいたというポーのいくつかの短編の影響を読みとり、さらに春夫の西洋建築への憧れ(当時二科展に連続入選する洋画家であり建築マニアだった!)を指摘しています。

 解説を読みながら、この作品のモダンでありながらどこか幼いとぼけたような味わいにすっかり魅了されました。この作品をはじめ「田園の憂欝」や「美しい町」で佐藤春夫が駆使している「微細なもののなかにさらに微細な別世界の映像を追ってゆく、ミニアチュア的想像力(p160)」は素敵です。

 堀口捨己という建築家の存在を知りました。掲載されている彼が設計した「紫烟荘」の写真(p155)を見るとまさしく西班牙犬の家を彷彿とさせるデザインです。


 徳江元正氏の「説話から見た他界」では、大和春日野の地下に地獄や龍宮があったこと(p69)、興福寺の下にも龍宮城があったこと(p72)、箕面の滝壺が龍宮の入口で(p73)、布引の滝壺の底には龍宮城がある(p76)という伝説を知り驚愕しました。「滝口・滝壺は、風穴・人穴・岩屋・洞窟などと同じく、他界への入口と観想されていた(p77)」ということです。

 長くなりますので、これくらいで。