:富士川英郎の晩年の随筆三冊

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富士川英郎『讀書好日』(小澤書店 1987年)
富士川英郎『讀書游心―夕陽無限好』(小澤書店 1989年)
富士川英郎『讀書輭適』(小澤書店 1991年)


 肩の凝らない文学エッセイを好んでおりますが、富士川英郎の文章は『失われたファウナ』『黒い風琴』の二著に接して以来とりこになり、『茶前酒後』『書物と詩の世界』『西東詩話』(2008年5月23日記事参照)などを愛読しております。
 
 まさに文人のイメージがぴったり。本職は独文学者ですが、ドイツに限らず広く古今東西浩瀚な書物に亘った文学的考察が気品のあるゆったりとした語り口で述べられています。文章を読んでいるだけで心地よい。それとどこかに、つねに西洋との関係を意識した比較文学的な目線が感じられるところが特徴でしょうか。

 今回は、第一随筆集『書物と詩の世界』に続く晩年の随筆集を三冊読んでみました。どの本にも共通するのは、いくつかの違った分野が混在していることで、大きく分けると、近代の詩人文人の作品をストレートに論じたもの、先師同朋の思い出や手紙を紹介するもの、江戸時代の漢詩をめぐるもの、父親富士川游を含む日本の近代医学史に関するもの、東京や鎌倉の思い出を綴ったものなどです。

 発行年が遅くなっていくにつれて、まとまった論文が少なくなり、断片的、小文を集めた印象があるのは否めません。以前どこかで読んだことがあるという感じも多々ありました。しかし、文章の味わいは変わらず、著者ならではの落ち着いた整った美しさがあります。


 『讀書好日』でとりわけ素晴らしいエッセイは「蝙蝠の詩」ですが、『失われたファウナ』の補遺として書かれたと言えるもので、蝙蝠に関する詩を、杢太郎の「残照」という詩から始まり、蕪村の句、ボードレール「憂悶」、ゲオルク・ハイムの「オフェリア」、ゲオルク・トラークル、萩原朔太郎「くづれる肉體」「黒い蝙蝠」、リルケの『ドゥイノ悲歌』の「第八の悲歌」、立原道造「何處へ?」と辿って、最後に鎌倉での著者の現実の体験に話を移して終わるという絶妙のエッセイです。

 萩原朔太郎の西洋への憧れを論じた「萩原朔太郎の『西洋の圖』」もなかなか面白く、朔太郎が愛したオルゴールの郷愁の調べに着目し、西洋への憧れが、「妙に静謐で、『時』の流れがとまってしまったような、遠い追憶の世界への『郷愁の圖』と重なりあって、そのなかに吸収されてしまっている (p64)」と憧れと郷愁の相似を示唆する好編です。

 他にも、堀辰雄の外国文学の愛読書を追いかけた「堀辰雄とドイツ文學」、尾崎喜八山内義雄の手紙を敬慕を籠めつつ紹介した文章、『ライネケ・フックス』や『ファウスト』の初期翻訳史上の奮闘ぶりを語ったエッセイが読ませました。

 いくつか印象に残った文章では、「上品な、老いた貴公子・・・脆い陰影のようなものがただよって・・・一種の知的な憂愁の雰囲気が彼を静かにつつんでいた(p23)」というふと見かけた晩年の木下杢太郎の姿や、『ファウスト』全訳を畢生の仕事と決めながら病魔のために果たせなかった藤代禎輔が入院先で詠んだ「病める身の寝覚の夜半の折々はFaustの曲思ひ浮べつ(p114)」という短歌、鎌倉の風物を追憶し、昔通勤で通っていた電車の窓から見えた風景が、記憶の中に、「擦りきれたフィルムのように、或は古くなった写真帖のように、所どころはっきりした映像を残したまま、しまわれている (p339)」といった文章など、感慨深いものがあります。

 宍戸俊治という隠れた医学研究者が医学雑誌に寄稿した「鎌鼬考」「轆轤首考」というのがあるのを知りましたが一度読んでみたいものです。

 竹山道雄が著者への手紙のなかで、「近頃はむかし買って読まずに積んで置いた書物をとりだして、いろいろ読んでいますが、これが大へん楽しい(p308)」と書いているのは、まさに私の今日の心境です。

 イギリスの日本研究者の意向で建てられた石碑に落書きをする世の風潮に、「思い上がった赤の学生や、痴呆な若者たちのした落書によって、碑文もよく読みとれないありさま (p376)」と憤慨していますが、これが書かれた昭和48年を考えると耳が痛くなりました。


 『讀書游心』には、やはり木下杢太郎や堀口大學尾崎喜八矢野峰人らへの追慕と、学生時代の読書について、漢詩、医学史、東京の思い出といった文章が綴られていますが、とりわけ「岸田俊子萩原朔太郎』」、「個人雑誌の話」の二篇が面白い。

 「岸田俊子萩原朔太郎』」は書評ですが、萩原朔太郎の詩的イメージを、生命力という視点から、光と色、上方への伸長と横への広がりという二つの軸にそって考え、動的な動きの詩から、次第に静的なものへ移り変わっていくことを述べたこの本の内容に興味を持ちました。

 「個人雑誌の話」では、萩原朔太郎の「生理」という個人雑誌の雑記の面白さを紹介しているほか、永井荷風の個人雑誌「文明」や日夏耿之介の「奢灞都」「游牧記」「戯苑」などに触れています。

 『讀書好日』でも尾崎喜八の手紙が紹介されていましたが、リルケをとても美しく語っていますので、少し引用します。「噴水から公園の夕暮へ、夕暮の空から星へ、そして星から星の『こころ』へとひろがりながら深まってゆくあの行方も知れぬ夢の造型にはただ驚くばかりです(リルケの「噴水について」という詩を語っている。『讀書好日』 p224)」、「彼(リルケのこと)の紫陽花いろの大きなうつろの眼と、併呑するような大きな暗い口と、麝香のような匂のこもった深い幅広な息づかいと、不思議を行なうしなやかな指を持つ異常に長い手と、死に瀕した巨獣のような重い体躯のうねりとが常に感じられた(『讀書游心』p77)」。

 「インゼル袖珍文庫」というエッセイのなかで、著者の古本購入に筆が及んでいますが、「喜寿もすぎてしまった今では、もう古本街に出向く元気がない。たまに百貨店などで催される古書展に出かけても、ひどく疲れてしまうのである」と言いながらも、「いまでは諸方から送られてくる古書目録によって、欲しい本を注文することで満足している(p93)」と、その齢でもまだ買ってるではないかと、驚きました。

 末尾のエッセイ「夕陽無限好」では、ヘッセの「老年について」という随筆を紹介しながら次のように語っていますが、しんみりとしてしまいます。「この『観想の生』の小春日和には何處からともなく、死の影がいつもさしている。その『死』はもはや青年の頃の甘美な、憧れの対象としての『死』ではなく、また、ひたすらに恐怖し、嫌悪すべき暗闇でもないが、『老年』の地平線の彼方にあって、夕日が沈んでゆくように、われわれがそこに辿りつく場所として、いつも意識されているものなのである(p226)」


 『讀書輭適』は、菅茶山から始まり、富士川游、医学史学者の面々、萩原朔太郎日夏耿之介と続き、書評や本の話に移って、最後は鎌倉の話に至ります。富士川游のあたりでは漢文読み下し文の引用が多くいささか辟易するところがありました。

 なかで面白かったのは、「わが国の詩・・・決定的な転回と展望をもたらしたのは朔太郎・・・口語詩の完成者であるとか、病的な鋭い感覚と、近代人の憂欝を自由に歌いあげた象徴詩人であるとか、いろいろ言われているが、しかし、もっと重大なのは、なによりも先ず詩の解放者であった (p126)」と萩原朔太郎を高く称揚している「萩原朔太郎のこと」、

 「朔太郎独特の詩情に溢れた散文詩(p134)」と言う「大井町」と、「気質のうちに、『あいあざむ』・・・『人生孤独』という感じを、宿命的に持って生まれた朔太郎が、妻と離婚したのちの独身生活と、孤独感とを自ら語って、惻々として読者の胸に迫ってくるようなエッセイ (p136)」と言う「秋宵記」の二つのエッセイを紹介している「萩原朔太郎の散文」、

 さらに、「『ゴシック・ロマン體』と称するスタイルの詩がいまだ見出されない(p137)」第一詩集『轉身の頌』から、『黒衣聖母』、『黄眠帖』、そして最後の『咒文』に至るまで、日夏耿之介の詩集を引用し鑑賞しながら、「耿之介の晩年の詩集においては、その鬱然たる『ゴシック・ロマン體』の詩の群が、堅牢で、ゆるぎない城のように聳えたっている(p144)」と特徴づけている「日夏耿之介の詩」。

 「繪畫のなかの本」も面白く読めました。ドイツの《Philobiblon》(「愛書」)という雑誌に載ったエッセイからヒントを得て、日本の絵画にも同様のものを探そうということから書き起こして、『法然上人繪傳』のなかに畫かれている本に筆が及びますが、そのなかで、「法然上人が『暗夜に眼から光を放って讀書』しているさま(p183)」を、部屋の外から弟子の正信房が覗き見るシーンが紹介されています。なんとも鬼気迫るものがあります。