:岡谷公二『ピエル・ロティの館―エグゾティスムという病い』(作品社 2000年)


 むかし『Azyade』を読みそのフランス語の美しさに感嘆したことがあったこと、また異郷趣味への興味から読んでみました。とても面白く読めました。導入部はなかなか読ませます。自らの体験から入って行く姿勢に説得力があって好ましく感じられます。

 全体を通して主張がはっきりしており、それに沿って構成をしっかり作っているので、このところ佐藤朔のエッセイの寄せ集めを読んだときの散漫な印象とは違って、何かを追求して行くにつれて新たな状況が展開していくノンフィクション的なわくわく感がありました。


 とりとめない文学的な空想よりも、現実的なものに基づく想像力を大事にするというロティの感性の特徴を、ロティ自身が自分は文学者というより海軍軍人と思っていることや、幼いころからのいろんなものの蒐集癖、自ら絵を描きながら画家についての論評は一切なかったこと、本をあまり読まなかったことなどの事実を丹念に追いながら、明らかにしています。


 異国の風物を作品に盛り込んだことから一時的な流行作家となり、それが災いして現在の先鋭的な批評家からは二流作家とみなされていますが、実は、日記や手紙をもとにした断片的脱線的構造を持つアンチロマン的手法をいち早く取り入れた作家であること、昔あまり評価されなかった作品『少年の物語』『死と憐れみの書』『青春』『若く貧しい士官』『わが弟分イヴ』などに良質のものがあることを指摘しています。幸い『死と憐れみの書』『青春』を所持しているので、さっそく読んでみようと思います。


 ロベール・ド・モンテスキューの伝記を読んだ時、フランスの社交サロンの豪華さに目を見晴らされましたが、今回もロティのサロンの仮装パーティ(写真がいくつか掲載されている)の大掛かりなことにびっくりしました。


 ロティの人生を決定したのが幼少期の体験であり、そのなかで兄が果たした役割の大きかったことは、例えば「僕たちの家の庭のどこか、たとえば池の洞窟の背後の忍冬(すいかずら)の大きな垣根のあたりに入り口があって、そこからこのすてきな島(タヒチ)に入ってゆけないのだけが残念だね」(p72)というタヒチの兄からの愛情溢れる手紙などに伺えます。


 著者は、西欧人の急激なオリエント熱は植民地化を進めていた西欧独自の体験だとしていますが、日本人も明治期や敗戦後の欧米への憧れというものをかなり国民的に経験したのではないでしょうか。少なくとも私は中学生の頃に猛烈に西洋に憧れそれがいまも細々と続いています。


 新しく得た知見としては、クロード・ファレール(実は今『L’autre côté...―contes insolites(彼岸奇譚集)』を読んでいるところ)がロティの部下だったこと、パリのブラシオン通りの屠殺場跡で古書市が開かれていること、exotismeという言葉の初出が1845年であること、ゴーギャンも七年間船員だったこと、ゴーギャンにインカの血が流れている可能性があること、など。


 以下引用です。

ロティ、スティーヴンソン、そしてもう一人のエグゾティスムの作家ラフカディオ・ハーンが、1850年という全く同年の、そしてゴーギャンが彼らよりわずか二年前の生まれであるという事実は、決して偶然ではない/p54

西欧という過度に成熟した社会を冒した病いなのであり、時代の閉塞から逃れようとしている点では、世紀末のデカダンスの双生児と言っていい。そこには、同じ、腐敗しかけた果実のもつ独特の甘美さ、あやうさ、おぞましさがある/p54

彼が本を読まなかったのは有名で、彼は、こともあろうに、・・・アカデミー・フランセーズの入会演説において、このことを公言している・・・「私は決して本を読まない」とは、書物に明け暮れている人々や世界に対する明らかな批判である。彼は、書物や絵画より、もっと直接に身体に訴えるもの、おのれの肉体がじかに見、きき、感じ、ふれることのできるもの、具体的には、大海原や、樹木や花々、蝶や貝殻、彼がもっとも愛した動物であった猫をはじめとする動物たち、日々の生活をともにしていた水夫たち、女たち、異国での体験から多くのものを学んだ/p91

人物の造型、劇的な葛藤、心理の剔抉―ロティはそうしたものにあまり関心を払わなかった。日記や手紙のおびただしい引用、本筋と関係のない叙述の挿入、断片性、小説の緊張をそぐ、近代小説の王道にそむいたロティの書き方・・・このような反小説性は、彼の素質であり、本能の択ぶところであって、少しも批評性を伴ってはいない。その点で彼はきわめて素朴である。しかし、・・・物語にあきた私たちの眼に、新鮮に映ることもたしかである/p122

『アジャデ』の作者としてデビューする前、ロティが絵入り新聞や雑誌のための、このようなペンと絵筆を以てする有能なリポーターだったことを知っておく必要がある/p125

自分の位置を正確に測定し、先行する人々の業績に対して自分が何をつけ加えうるかを問うてから一歩を踏み出すという、文学を含め近代の創造者たちすべてに課されている手続きを、ロティもルーセルも踏んでいない。彼らと作品とのかかわりは、もっとプリミティヴで素朴であり、こうした批評性とはかけ離れている・・・ルーセルをロティに近づけたのは、多分この素朴さである/p197