:GEORGES-OLIVIER CHÂTEAUREYNAUD『LE KIOSQUE ET LE TILLEUL』(ジョルジュ=オリヴィエ・シャトレイノー『東屋と菩提樹』)


GEORGES-OLIVIER CHÂTEAUREYNAUD『LE KIOSQUE ET LE TILLEUL』(BABEL 1997年)
                                   

 昨年のパリでの購入本。はじめて読む作家です。この人の名も、マルセル・シュネデールの『フランス幻想文学史』で知りました。「今日の幻想」という現代作家を紹介した最後の章のなかで、モーリス・ポンス、ジャン=ルイ・ブーケなどと一緒に出ていました。

 幻想小説を、大衆作家の書いたものと純文学作家の書いたものに大きく分けるなら、どちらかといえば後者に属する作品です。一見普通の小説のスタイルを堅持していながら、どこかに異常なところが垣間見えます。なかに一二篇、怪奇小説的な設定がはっきりしたものもありましたが。

 着想が奇抜で、なかなかのストーリーテラーです。微妙なところを細かく描いていて、日常の断片を描いても、それが決して物語的に誇大に増幅されるということがなく、自然に感じられます。一種のリアリズムというのでしょうか。このところ読んでいるマルセル・ベアリュの奔放な想像力とは正反対の道を行っています。

 物語を牽引していく要素としては、心理的なものが多いように思います。とくに男女間の感情や幼い頃の思い出。それが「Une vie en papier(紙の上の一生)」の娘の写真を撮りつづける父親や「La Chaussée d’antan(昔の舗道)」の過去に生きる男のように狂気を帯びてくると、幻想小説の領域に入るのでしょう。

 「Le Joueur de dulceola(ドルセオラを弾く人)」でドルセオラという聞いたことのない楽器が出てきたので、調べてみると、正しくはdolceolaと表記して、ミニチュアピアノのような鍵盤でツィターを弾く楽器のようです。アメリカで20世紀初頭に生まれたきわめてマイナーな楽器で、この物語のなかでも、主人公が「もう一人うまいのがいたが死んでしまったので、僕が第一人者ということになったんだ。」というぐらい演奏者が少なく、「誰もドルセオラなんか聞きたくないわよ」とか「誰もドルセオラなんか盗む奴はいないさ。」というセリフが出てきます。ドルセオラについてはこちらを参照。http://en.wikipedia.org/wiki/Dolceola

 13の短編が収められています。なかでは、本のタイトルになっている「Le Kiosque et le Tilleul(東屋と菩提樹)」が都市を描いた散文詩の味わいがあり、「La Succession Denham(デンハムの遺産)」はハガードの冒険小説の冒頭の展開を彷彿とさせ、「La Femme dans l’ombre(暗闇のなかの女)」はミステリー小説の趣きがあって佳篇。


 各短篇の簡単な内容をご紹介します(ネタバレ注意)。           
○La Femme dans l’ombre(暗闇のなかの女)
妻が失踪し(あるいは殺され)、一人残された夫が、雑誌の出会い欄に告知を出し、暗闇のまま自分を決して見ないという奇妙な条件の女と密会するが、妻に声も匂いもそっくりなことに驚く。途中まではどうなることかと読み進んだが、幽霊譚にはならずに、普通の小説としても読める曖昧な部分を残したまま終わる。その微妙なところがこの作品の魅力か。


Une vie en papier(紙の上の一生)
父親の偏執狂的な情熱で一人の女性の生まれてから死ぬまでの変化が、毎日12枚、9万枚以上の写真に捉えられるというノンフィクション的な味わいの話。実際に自分を撮りつづけた女性写真家がいたと思うが。


Un royaume près de la mer(海沿いの王国)
幼い頃の思い出の場所を天国のように思い、その土地を買う夢を見続ける前科のある男。しかし一緒に住もうと思っている子たちには雨の多い哀しい所だと言われる。トラックに乗ってさまよう親子の姿には、ロードムービーのようなそしてもの悲しい雰囲気が漂う。


○Rêveur de fond(夢見る人)
危険なスポーツが好きで男がみんな子どもに見えてしまう豊満過ぎる女性と、夢ばかり見ている臆病な男性が長年付き合っているが、なかなかお互いの愛を告白できないでいる。ある日、いつになく女性の愛を感じた男性が、夜なんとか彼女の部屋を訪ねようとしてできないまま酒におぼれ、その勢いで窓からの侵入を試みるが、賊と思った彼女に撃ち倒されてしまう。しかしそれがきっかけで・・・。男のいじけた妄想がリアルに描けている。二人がとてもいじらしい。


○Le Kiosque et le Tilleul(東屋と菩提樹
ユルスナールの作品のような散文詩叙事詩的な一篇。王が遠征に行っている間に、幼い頃過ごした東屋と菩提樹が壊され、そのショックで町を一寸たりとも変えてはならんと命じた。そうして町は王の思い出の詰まった中心部だけ手つかずのまま残り、同心円状に外へ外へと広がって行くことになったのである。


Icare sauvé des cieux(空に助けられたイカルス)
明らかな空想的物語。翼が背中に生えてきた男の苦しみと、それを見守りながらいつしか夫が飛び立つことを夢みる妻の外科医。二人の齟齬がついにアルプスの山中での夫の墜落につながる。夫は飛ぶことはできなかったが、翼のおかげでかろうじて死を免れることはできた。


La Chaussée d’antan(昔の舗道)
過去に生きる男が登場。映画監督が撮影に必要な1930年代のブラジャーを探した末にある男の家に辿り着く。古色蒼然としたその家の中から、その男は60年前の新品同様のブラジャーを差し出したのだった。


×L’Homme de Blida ou le Malheur ridicule(ブリダの男あるいは滑稽な不運)
つかみどころのない話。兄弟と二人の女が浜辺で出会う。ぼんやりした兄とちゃきちゃきした弟の対比。女性にも消極的な兄は戦争へ行った時のことを語りたがらないが、どうやら行ってないらしいのだった。

○La Succession Denham(デンハムの遺産)
ハガードの小説のような導入部のハラハラ感。南洋の島に住む叔父の遺品から出て来た葉っぱに刻まれた装飾。言語学者がそれを文字として解読した。そこには神話のような物語が展開し、最後には原住民が白人によって征服される悲劇が描かれていた。


○La Tête(頭)
怪奇小説。ありえない話。死刑囚の首が切られてなお生きているのを見た執行人の見習いが、首に哀れを催し、親方に内緒で首を持ち出しその首と12日間さまよったあげく医者の所へ助けを求めに来た。医者はその見習いを一人帰らせ、首と十分話し合った末処置を施す。切られた首を安楽死させることについてはどんな罪が適用されるのか。


○Iris et le pensionnaire(アイリスと寄宿生)
孤児院の17歳の少年が大人の女性の魅力に眩惑される瞬間をとらえた好篇。同じ駅から長距離列車に乗った少年と女性。少年は女性が食堂車に行っている間にスカーフを盗んで顔に押し当てる。翌朝、列車を下りた少年が窓辺の女性と目が合った時、女性はまた同じようなスカーフをしていて、それが虹色に輝くのだった。


Le Joueur de dulceola(ドルセオラを弾く人)
主人公の男の内面のモノローグ。長年留守にしていた故郷に戻り、最愛の女性が自殺らしき死に方をしたことを知る。かつての思い出と、幼馴染との再会が交錯し、ジンの酔いの中で、朦朧とした一夜が明ける。


Le Seul Mortel(胸に一つ残された「死すべき」の印)
不可思議な出来ごとは胸に記された「死すべき」という文字。海外の隊に配属された主人公が自由時間にある家で若い女性の歓待を受ける。4回目の訪問時に二人は結ばれた。が目覚めた時彼の胸には「死すべき」という青い文字が刻まれていて、それは日々変化し、ついにその文字が全身を覆うまでになってしまう。月日が流れ胸にあった最初の文字だけが残った時、主人公はその運命を受け入れるのだ。