川合康三『桃源郷』


川合康三桃源郷―中国の楽園思想』(講談社 2013年)


 日本の常世の話の次は、中国の桃源郷についての本。常世とか桃源郷、またユートピアなど、人々が現実とは別のもう一つの世界を思い描くのは世界共通の現象ですが、中国における独自のあり方について、中国古典文学が専門の著者が、詩などの作品を通じて概観しています。神仙世界に始まり、士大夫が官界から逃れて私人として自由に生きる隠逸という生き方、西洋のユートピアに近い理想の国、現実のなかで楽園を築こうとした庭園や隠れ里、最後にタイトルともなっている桃源郷について論じています。

 まず、仙界は、中国で独自に形成されたもので、仙人になって不老長寿を得るという一点に絞られ、仙界がどんな様子かは詳述されていないところに特徴があるとのこと。精神的な内容よりも身体的側面に関心が集中していて、魂が逃げて行かないように肉体に閉じ込めようとしたり、仙人そのものが空に舞ったり、仙人は食べ物を食べないといったことが語られています。古代の中国では、歴代の皇帝が、不死を求めてさまざまな修練や服薬などを試みますが、一方では、仙界に対する疑念はつねに付きまとい、後代の詩文では、仙界への憧れを語りながらも、最後に否定したり、現世の快楽を賛美したりするようになるということです。

 次の隠逸というのは、国の中心で政治の実務に就く士大夫という生き方への反発から、山中など周縁に世を避けて生活し、精神の気高さ、自由を得ようとするものですが、決して世をはかなむ態度ではないということ、また、西洋の隠者は、苦行や戒律の下で生活する宗教者であり、日本の場合も、世俗を捨てて出家するという仏教的な要素がありますが、中国の隠逸には宗教的な要素がないことが指摘されていました。中国では高潔さを尊ぶ風潮があり、隠者としての名声が高まって再び政治の中枢に召しだされるということもあったということです。

 中国では「楽土」という言葉があり、中国の古い時代の詩に、生活苦から逃れられる場所としてよく登場していたと言います。圧政を収穫物を食べる鼠に譬え、「楽土」への希求を語るが、具体的にどんな国か記述されることはないとのこと。また、遠いところにある理想の国と言われる「華胥氏(かしょし)の国」も、人々のあいだに身分の差がない、愛憎がない、利害がないと、すべて否定の形で語られていると言います。とにかく今居る場所から逃れられることが大事だったわけです。

 架空の国を夢見るのではなく、地上に楽園を実現しようとするのが、造園と隠れ里ということになります。庭園では、周囲120キロメートルにも及ぶという漢の上林園や、王維の輞川(もうせん)荘など歴代詩人の所有する庭が紹介されています。実際の庭はともかく、それが詩文に表現されると、楽園と同一の色調を帯びることが感じられました。上林園の場合は、詩と文の中間の表現形式である賦で、園のなかの動物や植物が豪華絢爛に描かれる一節、王維の庭園の場合は、庭の20の場所のそれぞれの自然美を友人の詩人とともに歌った絶句の一部が引用されていました。隠れ里では、主君の仇を討つために数百人の徒党を率いて山中に籠り、一つの共同体を作った田疇(でんちゅう)の例が挙げられていました。結局、復讐はできないまま、平和に暮らし、そのことが陶淵明の詩に歌われているということです。

 桃源郷については、意外なことに、陶淵明の「桃花源記」のあと、同類の楽園物語がわずかしか書かれることがなかったということで、その一例として、王績の「酔郷記」が紹介されていましたが、先述の「華胥氏の国」と似ていて、明暗、寒暑の区別がなく、喜怒哀楽のない平板な国で、人々が楽し気に暮らす「桃花源記」の様子とはまったく違っているということです。他に、唐時代に、王維、韓愈、劉禹錫が桃源をテーマにした詩を書いていますが、いずれも桃花源を仙界として受け止めているという点で、陶淵明の「桃花源」とは異なること、また、志怪小説でも異界に踏み迷う話は多いが、いずれもこの世ではありえない事柄が書かれており、不思議ではあるが合理的に説明できる世界を描いている「桃花源記」と異なることが指摘されていました。