滝沢精一郎『日本人のユートピア』


滝沢精一郎『日本人のユートピア―茶室と隠れ里』(雄山閣 1978年)


 引き続き日本のユートピアの話。著者は民俗学や中国古典の知識が豊富で、読んでいていろんな話が次々出てきます。別の見方をすれば、話がどんどん脱線して、知ってることに引っ張られて論が展開しているようにも見えます。羅列型とでも言うのでしょうか、簡潔明瞭に論理的に分かりやすく説明する叙述と対極にあります。これは民俗学にありがちなことかもしれません。むかし小学校の先生で、授業の半分が漫談のような人が居ましたが、その先生を思い出しました。

 著者の力説したいことは、この本の後半、第三章から第四章にかけてにあると感じられました。それはかつて日本の片隅にあった共同体、国から隔絶された場所で自足していた平和な暮らしが、次々に消えて行くことへの嘆きです。桃花源、隠れ里、なくなって行く習俗への愛惜がひしひしと伝わってきます。

 日本では、むかし、容易には行き着くことのできない、山また山に限られ塞えぎられた村を、「小国(おぐに)」と呼び、海岸地帯の陸路からは易々とは行けぬような場所にある、意外にほっかりと広く豊かそうな風光の地を「フクラ」と呼んでいたと言います。こうした村々には平和境のイメージがあり、無病息災で幸福かつ裕福な一種の理想境として夢見られていたということです。

 明治・大正までは、役場や学校とまったく縁のない生活を送っていた村がたくさんあり、新潟県山形県の境にある三面(みおもて)村のように、昭和になって初めて発見された村もあると言います。自給自足で暮らせた時代は遠く去り、蕨(わらび)や薇(ぜんまい)をいくら採ってみても、中学高校の学資には足りないのが現代の生活。

 教育免除地というのが昔あったらしいのですが、それも廃され、中学校まで義務教育ということになり、山間部にも小さな学校ができたと言います。夜になって教室で騒ぐ音がするので先生が見に行ったところ狸の仕業。「グランドの隅にしつらわれた土俵の上で、相手のない角力をとっている一匹の狸の姿をのぞみ・・・思わず泣いた教師の談も伝えられている」(p81)とまことしやかに書かれていますが、本当かどうか。

 昔は、椀や盆、こけしを作る木地師が工房を諸国の峰に設けたり、修験者や山窩(関東では箕作りと呼ばれ、竹製品と関係がある)とかマタギと呼ばれる人たちが、山中の人里離れたところに住まいしたり、また平家の落人部落があったりするなど、一種の隠れ里が各地にあったらしい。

 昔の人々には、鯨や熊が一人では捕れないことからも分かるように、〈ゆい〉とか〈もやい〉とか称される共同作業の歴史があり、〈まつり〉や〈村の一座〉で、誰もが謙虚に神に奉仕し、神の徳を讃え、幸福を授かろうとしていたが、いまは、人はとみにこの精神を失い、すべてに傍観者の立場に立とうとしていると著者は嘆きます。

 著者は、テレビ番組「遠くへ行きたい」や「新日本紀行」の取材地を羅列しながら、日本の秘境に近いような各地のそれぞれの魅力を語っていきますが、片やそうした村が、SLの廃線により廃れていったり、渡し船がなくなったり、ダムで湖底に沈んだりして、閉村していく様子が語られています。すでに昭和52年には、全国過疎地域対策促進連盟というのがあって「過疎地域市町村名一覧」を発行しており、全国で総計1093か所が挙げられているとのこと。今から50年も前にすでにこんな状態になっていたのかと、驚くばかりです。

 ところどころに、詩歌も挟まれて、情感を盛り上げます。
桃源の路の細さよ冬ごもり(蕪村)

緑揺する風や洩り来る日の影や林は見する夢遠き国(窪田空穂)

浅緑敷きては遠き草の中わがふる里の響ききこゆる(窪田空穂)

かたはらに秋草の花語るらく亡びしものは懐かしきかな(牧水)

ふるさとを出で来し子等の/相会ひて/よろこぶにまさるかなしみはなし(啄木)

 本筋から脱線した著者の該博な知識のいくつかをご紹介します。
中国人は〈厚葬〉である・・・親孝行の息子は、その生前から棺桶の製作に入る。親はまたでき上がるのを楽しみに、これに入ったり出たり、寝たりする/p29

中国では一月しても二月しても雨の降らぬ地域もある・・・コップ一杯の水で口を漱ぎ、鯨が汐を吹くように、空を仰いで水を吹き、それを顔に受け、地面に滴らぬように両手でしっかり顔をおさえ、顔を左右に振って顔を洗う/p30

狐と狸・・・元来これは同じ動物であったのが、陽性と陰性に分けて、狸と狐にしたのだという説もある/p89

梶井基次郎の「闇の絵巻」は冒頭に、暗闇の中を棒を突き出し突き出しして走る盗賊の話が見える。これを読んだ時、これは山窩の走法だと思った/p181

 大倭紫陽花邑というのが、新しき村一燈園と並んで、日本のユートピア運動の一つとして紹介されていました。新興宗教の一種みたいで、福祉施設を運営したりしているとのこと。地図で見てみると、奈良国際ゴルフ倶楽部のすぐそばにあるようです。