安永壽延『日本のユートピア思想』


安永壽延『日本のユートピア思想』(法政大学出版局 1971年)


 前回に引き続き、日本のユートピアに関連した本。前回が羅列型とすれば、今回は一転、論理型です。60年代特有の鼻息の荒さがあり、和辻哲郎折口信夫など名だたる先人を一刀両断にしています。同時に、根底に60年代特有の生硬なイデオロギーがあって、著者が目指している方向には違和感がありました。

 読みにくい文章だと思いながら読み進んでいると、最後の第Ⅲ章の安藤昌益のところあたりからは読みやすくなりましたが、あとがきを読んで、その理由が氷解しました。もともと安藤昌益の論文が書かれ、それを深めて行くうちに、日本の古代に遡っていって第Ⅰ章の「常世の国」が書かれ、古代と近世の間の空隙を埋めるための付けたしのように第Ⅱ章の「弥勒の世」が書かれたということです。やはり著者自身の思い入れが強い第Ⅲ章に、人を引き付ける力があったということです。


 安藤昌益については、高校の歴史で教わりましたが、農業を軸にした独自の思想を展開した人という程度の知識しかありませんでした。これがなかなか極端な面白い考え方でびっくりしました。この本を読んだだけでの理解ですが、「直耕」という概念が軸で、簡単に言うと、人間は自然のなかで生まれた存在だから、すべての人が農業から離れて生きてはならないということのようです。もう少し順を追って書くと、

①自然は季節の変化のなかで、植物の生育をもたらし、循環していて、いわば自然も労働している。植物と同様に、虫、魚、鳥、獣も食を取るために働いている。それが自然の原理であり、人間が耕すのもその一形態にすぎない。

②労働は人間存在の根本的なあり方であり、すべての人間が一様に直耕に従事するかぎり、不平等があるはずがない。原野の人は殻を出し、山里の人は薪木を出し、海浜の人は魚を出し、互いに交易する。

③肉体的労働こそが人間のなす業であり、学問など精神的な労働のみの専従は認められない。歌舞音曲のたぐいも自然に反するものである。直耕を行なったうえで、そうした理念の実現を志すべき。

④聖人や支配階級とそのまわりの知識人は、いずれも「衆人直耕」の成果を盗む「不耕貪食」の徒であり、「国の虱」でありながら民衆を支配し教導している。彼らは天子の名を詐称しているにすぎず、自然直耕の論理を実践する農民こそ真実の天子である。

⑤金銀財貨は欲心ののもとであり、諸悪の根源である。私欲は、聖人が衆人の上に立って不耕貪食して華美を尽くすのを見て羨むことから生じる。

 著者は、昌益の考え方を紹介しながらも、それに対して、自然が植物をはぐくんでいる以上人間が耕す必要があるのかとか、「直耕」概念には生産力の発展の観念が欠落しているとか、昌益は学問や歌舞音曲を排したことによって人間の豊かさを痩せたものにしてしまったとか、いろいろ指摘しています。とりわけ、ユートピア思想というものが本来持っている実現不可能性、すなわちどうすればユートピアをもたらすことができるかという論理がないことがいちばんの嘆きのようです。

 私のおぼろな知識の範囲で言えば、ルソーの「不平等起源論」で論じられたような人間の原初の状態を維持しようという思想のような気がします。安藤昌益の時代は農業の占める比率が高かったので、こういう考え方も不自然ではなかったのでしょう。農業人口が1%を切ったとも言われる現在の状態では、分業を元に戻すのは並大抵なことではありませんが、物事の本質をついた議論のように思えます。分業が生まれるのは、技術の発展がひとつの鍵になると思います。技術史についての本はありますが、分業によって社会がどのように変化していったかの視点で書かれた本はないものでしょうか。


 常世の国については、「根の国」、「妣の国」と呼ばれたような日本古来の土着的な空間であったものが、次第に伊勢の東方海上へと収斂し、伊勢を媒介として常世の国が至福のシンボルとして大和王権へ吸引されて行く道筋が示されていて、その時代に田道間守の常世の国への遠征が語られるようになったのはそうした文脈から生じたものとしています。


 「弥勒の世」の章でも、
①日本も中国もともに、弥勒信仰というものがインドから伝えられて、初めて時間的に未来の彼方へ向けて願望を投影するという精神のあり方を教えられたこと、
弥勒信仰は西洋の千年王国論と似ているところはあるが、破壊と混乱の黙示録的状況を示す西洋と比べて、楽観的な明るさがあること、
阿弥陀信仰より弥勒信仰の方が先に伝えられたが、末法思想の展開とともに阿弥陀信仰が優勢になってきたこと、
④その理由としては、阿弥陀信仰は従来の願望のあり方に近く馴染みやすいうえに、死後すぐに成仏が約束されるという点が受け入れられたこと、
浄土教の描く西方浄土は、金銀珠玉で飾られたきわめて物質的な世界であり、そこでは労働の観念は完全に消滅していることなど、
いろいろと指摘がありました。

 この章では、インドから中国を経て日本に伝わった仏教の壮大な歴史とその世界観が語られていましたが、いろんなお経が釈迦の没後に生まれているようで、いったい仏教の経典の数は全部でいくつあって、それぞれ誰が書いたのかという素朴な疑問が湧いてきました。また弥勒信仰を阿弥陀信仰が凌駕したというところで、広隆寺中宮寺弥勒菩薩像の話が出てきましたが、阿弥陀如来観音菩薩の像は、日本全国でいったい幾つぐらいあるのかも知りたいと思いました。


 付録としてついていた「『はれ』と『反はれ』」では、江戸時代のおかげまいりについて書かれています。女性も男性もさらしの手拭いで頬かむりをし、歌で囃しながら伊勢に向かって旅したということですが、商家や職人の下で働いている小僧が主人に無断で仕事を放棄したり、また親元に居る場合でも親に断りなく飛び出したと言います。京都から出発した「おかげまいり」では、6歳から16歳までが3分の1を占めたというように若者が多かったということですが、今のロックコンサートに集まる心理と似たものがあるのかも知れません。