:エルンスト・ルナン『思い出』

                                   
エルンスト・ルナン杉捷夫訳『思い出―幼年時代・青年時代』(創元社 1949年)
                                   
 このところ読んでいる本は、Mistler(ミストレール)の『Le bout du monde(この世の涯)』といい、堀切直人の『本との出会い、人との遭遇』といい、共通するのは回想録だということに気づきました。追憶に耽るような雰囲気がなんとも言えずまた浸りたいと思って、そう言えば『一老人の幼時の追憶』というような今の心境にぴったりな題名の本も時々古本市で見かけるが手元にないしと、本棚を探してみると、この本が出てきました。

 ルナンはブルターニュ生まれらしく、冒頭、先日読んだイスの町の伝説が出てきたので、びっくりしました。他にもケルトの遺産を継ぐと思われるような原始的な信仰を持っているブルターニュの人びとの姿が描かれています。

 幼い日から、母の影響でカトリック聖職者になる道を歩みながら、最後にカトリックの信仰を捨てるまでが語られています。初めから終わりまで、全体のトーンは宗教的な葛藤に満ち溢れていて、譯者も後記に書いているような「精神的自叙伝」であり、具体的な事柄はあまり語られていません。キリスト教神学の特殊な言葉が出てきて、読んでも頭に入らず右から左へ抜けていくような箇所がいくつもあり、正直言って若干冗長に感じたところもありました。

 調べてみると、ルナンは合理主義的見地からキリスト教を近代的に改革しようとした人のようです。しかしブルターニュの幼少の頃は、魂を揺さぶるような原始的な信仰にどっぷりと浸かっていて、ケルトの神泉崇拝と聖母が結びついた信仰や、火事で焼け焦げた聖母への礼拝、狂人や浮浪者を神様から近い存在と感じる感性、貧乏でいること、愚鈍でいることへの讃美といったものに取り囲まれています。

 幼ない頃から成績がよく、先生方からも目をかけられて、疑問も自ら選ぶということもなく、カトリックのエリートコースを歩んでいきますが、逆にその教育のおかげで、ちょうど時代が実証主義的な実験精神に席巻されていたこともあって、哲学や科学の合理的な考えに目覚めていきます。

 ルナンは、「いかに探求を進めてみても、奇蹟を観察し確認し得る場所において、未だかつて一度も奇蹟がおこっていない」(p254)というリットレ師の疑問に同調し、「聖書について・・・作り話や伝説が存在し、まったく人間の手になるこしらえごとの痕跡が見受けられる」(p262)ことや、神学者たちが「自らの正しいことを証明するために際限もなく細工を弄さなければならないはめになる 」(p264) 日本の憲法解釈にも似た状況に気づきます。さらに「地獄というものは、他の方面から我々が神の慈悲について知っていることとははなはだ合致しない仮説である」(p332) という疑問にも苛まれます。

 この自叙伝のピークをなすのは、そうした煩悶のうちに、先生に自分のカトリックへの疑問を投げかけたときに、「君はキリスト者ではない!」(p233)という恐怖の言葉に慄く場面です。これを境にルナンは学校を辞めることになってしまいます。しかしその後も超自然への信仰を除外したキリスト教は保持しようとしていますので、結局、プロテスタント的なドイツに目覚めたということなんだろうと思います。

 これは現在の日本に当てはめると、幼少から成績が良いことだけで受験コースを歩み、ある日ふと疑問を感じてフーテンになるのに似たような感じなんでしょうが、大きく違うところは、当時のフランスの教育が師弟間の緊密な関係を保った精神的な世界に包まれていたことです。これには驚くとともに、日本のばかばかしい受験教育との落差を感じてしまいます。

 また長いあいだ会社人生を送ってきて、スピードスピードと発破をかけられ、いち早く抜きん出ることを強いられていた身としては、「『早い者勝ち』が近代の利己主義のおそろしいおきてである」(p316)のような文章に出会うと、はっとさせられてしまいます。

 しかしこの人にして、「奴隷を所有して、しかも彼らに対して大いにやさしくしてやり、彼らからしたわれるというのは、はなはだ私の望むところである。」(p317)といった発言があるのは時代のなせるわざでしょうか。

 編集に関してひとこと。原註のページが各章の終りにあるため、それがどこか探すのに時間がかかってしまいました。やはり注釈はページ末にするか、巻末にするかにしたほうが分かりやすいと思います。


 いくつか面白かったところを引用しておきます。

彼らの心のけだかさを示すものとして、彼らが取引に類するような何事かをしようとする時には、必ず人にだまされていた、という事実をあげることができる。/p96

私は一つのふう変りな規則に従うように自分をならした。すなわち、自分の理論的判断の正反対になるものを実際的な判断として採用するということがこれである。/p122

私は自分の意見から利益を得ようというようなことはがまんがならない/p144

貴族とは金をもうけない人間であり、すべての商業或は工業上の企業は、どれほど正直なものであろうとも、それに従事するもののねうちをおとし、第一流の人間に伍することをさまたげるという思想、こうした思想は日々に消えつつある。/p310

人が謙虚であることを証明するのははなはだむずかしい。自分は謙虚であるなどと口に出して言った瞬間から、もはや謙虚でなくなるのだから。・・・よきにつけ、あしきにつけ、絶対に自分を語らないということである。/p312

「特別な友情」・・・そのような友情は共同生活体に対してなされた盗みとして提示されていたのである。/p322