:高橋哲雄『アイルランド歴史紀行』

                                   
高橋哲雄『アイルランド歴史紀行』(筑摩書房 1991年)
                                   
 前回読んだ同じ著者の『二つの大聖堂のある町』が面白かったので、読んでみました。やはり叙述の仕方にとてもセンスがあって、好感が持てました。

 冒頭、「海を渡るジョージたち」で、イギリスとアイルランドを隔てる海峡がなぜセント・ジョージ海峡と呼ばれるかという疑問から出発して、イギリス支配を象徴したり、アイルランド解放に貢献したりする、さまざまなジョージを登場させ、イギリスとアイルランドの関係を語っていますが、その導入部の書き方のうまさにまず魅入られてしまいました。

 この本のひとつの手法は、はじめに疑問を投げかけ、それを解き明かしていこうとする道筋を公開しながら叙述するというもので、推理がひとつの魅力となっています。いろんな知識を総動員して、もつれた糸を解きほぐしていくのは、推理小説を読んでいるような楽しみを感じました。著者自身も「あれこれの土地を訪ねてその地にゆかりの歴史を回想するといった顔だけでなく、一種の探求の旅といった、もうひとつの顔をあわせもつことになった」(p284)と「あとがき」で書いています。

 次に、読者の理解を容易にするために、日本に置き換えた具体例をその都度持ち出して比較しているところです。カトリック信者が中心となったイギリス併合撤回運動が、古代ケルト信仰の中心地タラで行われたことについて、「仏教徒が自分たちの解放運動を橿原神宮でやろうというようなもの」と譬えてみたり(p222)、アイルランドの自動車保有台数の少なさ(約74万台)を示すのに、面積が同じ日本の東北六県(約426万台)や人口が同じ静岡県(約149万台)を持ち出してみたりしています(p95)。

 この本をふくらみのあるものにしているのは、著者の幅広い領域にわたる知識、興味です。第2章の「汽車にのって」では、アイルランド西部に興ったグレゴリー夫人を中心としたケルト文芸復興の文学グループと、片山廣子を取り巻く大正期日本のアイルランド文学受容の動きを紹介し、両者の性格に共通するものを見ています。また第7章「円塔とケルト十字架のある風景」では、ヨーロッパの塔について論じたり、西洋教会の広場と日本寺院の境内を比較したりしています。ホレス・ウォルポールのストロベリー・ヒルや、ベックフォードのフォントヒル・アベイにも言及があったのは(p246)、幻想小説ファンとして嬉しいかぎり。

 感性の面でも共感できるのは、著者がアイルランドをいとおしむ理由が、アイルランドが行なってきたさまざまな愚行や(これが本当に面白い)、アイルランドには12世紀頃までの文化遺産しかなくほとんどが廃墟という寂しさ、またそうした廃墟をめぐるにも不便さがつきまとうというところです。「イギリスの修道院跡のように保存が行き届いているのも、当方のわがままでいえば、うれしくないときがある」(p273)という一文がそれを表わしています。

 新しい知見がいろいろとありました。アングロ=アイリッシュという人たちの果した役割(p39)、日本の朝鮮支配の時に、異民族の支配・同化は不可能という調査結果が出ていたのを抹殺したという事実(p74)、低自殺率の国の人はよくしゃべりよく食べる人たちだということ(p111)、イースター蜂起(p155)やパーネルの失脚(p165)などの歴史、1928〜75年に世界で232件の未公認の御出現例(ルルドやファティマのような神の顕現)が報告されていること(p213)などです。

 この人の本をもっと読みたいと思いました。