:イギリス関連ルポルタージュ二冊

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ジョージ・オーウェル小野寺健訳『パリ・ロンドン放浪記』(岩波文庫 1989年)
カレル・チャペック飯島周編訳『イギリスだより―カレル・チャペック旅行記コレクション』(ちくま文庫 2007年)
                                   
 この二冊はルポルタージュというだけで、中身はとんでもなく別物ですが、最近続けて読んだというだけで、まとめてみました。オーウェルのものは、デビュー前の若き日に、パリとロンドンのスラム街で生活した極貧生活体験談を語ったもの。チャペックは国際ペンクラブの招きで、イギリスに2ヵ月ほど滞在した印象を祖国の新聞に連載したもの。執筆の対象となった時期は同じ頃で、オーウェルは1928年から30年にかけて、チャペックは1924年の話。

 文学的なセンスの点では、チャペックにはるかに共感しました。鷹揚な人柄が感じられ、どこかユーモアのあるようなとぼけた感じで対象を見ていますが、その物の見方には独自の着眼点があります。オーウェルのほうは、体験のリアリティが強烈なので印象は強いですが、素材に拠りかかる面が大きい。もちろん人間が生き生きと描かれているのは作家的な力量だとは思います。


 『パリ・ロンドン放浪記』でいちばん驚いたのは、オーウェルが見た、とくにパリのホテル・レストランの裏側がいまでは考えられないとんでもない世界だということです。不潔極まりなくコックがスープの中に唾を吐く(p107)、また客の身なりを見て金額を吊り上げたりする(p110)。今で言うコンプライアンスはどうなってると叫びたいくらいのひどい有様。これが今でも続いているとしたら誰もパリになんかには行きたくなくなります。これは1920年代だからで、今は改善されているはずだと思いたい。1970年代後半の日本のホテルの宴会フロアの厨房は知っていますが、たしかに天国と地獄のような世界が扉一枚で隔てられてはいても、こんなにひどい状態ではありませんでした。

 他にも印象的だったのは、登場人物が、落ちぶれていても自分は別で、自分がいちばんだと思っているような、癖のあるとんがった人たちばかり。それを見事に指摘したのが「おそらく、自分が浮浪者ではないのを神に感謝している浮浪者はかなり大勢いるのだろう。自分も同じことをしていながら、日帰りで行楽に行く人間を辛辣に嘲笑する手合いみたいなものである」(p267)という一節です。そうした人物とのやり取りが生々しく描かれているのがこのルポルタージュの魅力です。同時代のハードボイルド小説と共通する時代の気分があるような気がしました。社会の規範には眼もくれず自分の才覚だけで世の中を渡ろうとしているということでしょうか。

 パリに見切りをつけてロンドンに戻りますが、あてがはずれて今度はホームレスとして、救貧施設を渡り歩く生活が描かれます。パリ、ロンドンは華やかな文化や社交の面では、両者の個性はそれぞれ際立っていると思いますが、極貧生活のありさまは同じというのが面白いところです。貧者にとっては寝るところと食べ物だけが問題なわけです。

 ロンドンで救貧のシステムがすでにできあがっていたのは、イギリスが貧困先進国だったからでしょう。この間読んだギッシングも金がないと嘆いていたし、ダウスンら世紀末の作家たちも貧乏のうちに死んで行った人が多いように思います。

 オーウェルは自分の体験から、貧困についていくつかの所見を述べています。貧乏人の上前をはねる人びとがいるという観察は、昔から貧困ビジネスがあったことが分かる面白い指摘ですが、「皿洗いの仕事は奴隷の仕事で、その奴隷労働は無益なもので、虚構のぜいたくに奉仕しているに過ぎない。なぜ彼らが働かされているかと言えば、何もさせないと大衆は危険になると金持ちが考えるからだ」(p155~162)と8ページにもわたって展開されている皿洗い論は、100年前の学生の議論のような気がします。

 そういえば1920年代というのはモンパルナスに作家や画家が集まっていた頃で、パリにヘミングウェイヘンリー・ミラーら外国人が殺到していた華やかな時期のはずですが、オーウェルは彼らとはまったく交流がなかったのでしょうか。

 タイトルはやはり原題どおり『パリ・ロンドンどん底生活』あるいは『パリ・ロンドン極貧放浪記』あたりがよかったのでは。


 『イギリスだより』も、「わたしは自分自身の目で見たものしか書くまいと頭の中にたたき込んでいた」(p207)というのが基本のスタイルです。がオーウェルと違うのは、その見方が奇想天外なのです。例えば、冒頭でいきなりこんなことを書いています。「わたしがその家を見たのは、列車がフォークストンからロンドンへ走っていたときで、ほとんど一秒かそこらである。・・・イギリスのすべて、それはただ、あの老紳士と自転車の少女のいた、緑の庭園の中のあの素朴な家なのだ。なぜなのか、それはわからない。わたしはただ、そうなのだと話しているだけである」(p9)

 その着眼点の面白さというか天邪鬼ぶりはいくつも引用できます。

旅人をいちばん驚かすのは、知らぬ異国で、かつて百回も本で読んだことのあるものや、百回も絵で見たことのあるものが、実際に見つかることだ(p23)

イギリスでいちばん美しいのは、おそらく樹木だろう(p29)

ロンドンの街路は、生活が流れて、少しでも早く家に着くように通っていく、ただの道筋にすぎないのだ(p36)

あまり無鉄砲な仮定はしたくないのだが、イギリスの警官の制服の袖口にある黒白の縞は、この絵で示されるように、古いイギリスの家々の縞模様そのものの中に起源があると思われる(p192)

イギリスの自然には、異常なくらい、毛むくじゃら性、全面繁殖性、密集発毛性、羊毛性、はりねずみ性、その他、ありとあらゆる種類の毛を生やすのに向いた性質がある(p198)

バーナード・ショーと会見した時の印象は傑作。

これはなにかの化け物で、ただ有名なバーナード・ショー氏のふりをしているのだとさえ思った(p211)

 そのとぼけた感じが災いしてか、著者がはたして本当にイギリスを好きなのか嫌っているのかが途中で分からなくなってしまいました。が最後の「イギリス人のみなさんへ」のラジオ演説で、それがはっきりします。著者はラジオに向って、ドーヴァーの白い崖、デヴォン州の赤い岩、インヴァネスのばら色の御影石湖水地方の緑の石と北ウェールズの青い粘板岩など、イギリスの自然のなかの豊かな色彩に対する思いを語り、英語の「ディア・オールド」という表現に見られるようなイギリス人の感性にある古いものに対する愛情を称賛し、そしてイギリスが二律背反のうちにはぐくんできた民主主義に敬意を表し、「人間の独立と尊厳、寛容、個性の尊重と人権の不可侵についての理念が通用するところにはどこでも、イギリスの文化的遺産があるのです」(p243)と言い切ります。

 著者自身のイラストがところどころはさまれていましたが、これらイラストのヘタウマ的感覚は江國滋との共通性が感じられました。