大和岩雄『十字架と渦巻』

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大和岩雄『十字架と渦巻―象徴としての生と死』(白水社 1995年)


 10年近く前に、螺旋や渦巻についての本を何冊か読み、このブログでも感想を書きましたが、その続きで、形についての本を何冊か読んでいきたいと思います。まず、面白そうなタイトルのこの本から。基本的な形がどうして生まれたのか知りたいと読みました。宗教学、神話学、文化人類学、古代史、美術にまたがる興味深いテーマです。

 神話学や文化人類学の本で、注意しなければならないのは、事実と推測、妄想の区別をしないといけないことだと思います。私みたいにすぐ信じてしまうような素人では、なかなかその区別ができません。この本ではしばし、その三者が混在しているような気がします。例えば、黒マリアについての記述のところで、黒マリア信仰が現在もあり、黒マリアがシャルトルのノートル・ダム寺院の地下室やモン・サン・ミシェル修道院の地下にあるというのは事実で、それらがキリスト教時代の建物の下部から見つかったということで、黒マリアがキリスト教以前か初期の信仰の影響によるものというのは推測できると思います。しかし、それがケルト民族の宗教やマグダラのマリア信仰にもとづくというのは、少し想像力の領域に入っているような気がします。 

 文様についても深く考えすぎな気もします。渦巻なども初めは呪術的な意味があったかもしれませんが、それが一種の流行のように伝播するにつれて、初めの意味は薄れて行ったのではないでしょうか。また縄文文様についても、縄=蛇として、呪術的な意味を見ようとしていますが、縄目の作る美しさを当時の人々が愛でたという単純なことが考慮されていないのも一方的な気がします。この本に書かれている三分の一はそうした想像力の飛躍にもとづいて、自説を理論的につなげようとしているところがあるように思います。と書きながら、実は私もどちらかというと、地道な考証よりは大胆な仮説が好きなので、以下の感想も上記と矛盾するところがあるかもしれません。ご寛恕をお願いします。


 いろいろと知らないことを教えられました。まず十字架については、種類を整理しておくと、普通目にする十字架の形であるラテン十字架は4世紀以降からのものであり、それまではタテ・ヨコが同じ長さのギリシア十字架(正十字架)だった。エジプトでは、アンクと言われる十字架の上に輪がついた形で、コプト教徒(エジプトのキリスト教徒)もアンクを用いていた。ヘルメス(メルクリウス)は、自身が持つカドゥケウス(蛇杖)をシンボル化した太陽と月を結ぶ十字架の記号で表わされるが、十字架はそれの変形したもの。アイルランドケルト十字架は、ラテン十字架で否定された円が十字架についている。その円が大きくなって十字を囲んでしまう形に回転の運動を与えて表現したものが卍(まんじ)である。

 次に、十字の持つ意味について考えると、3世紀ごろまでは、十字架崇拝はキリスト教が公認していない異教徒の信仰で、古代世界における十字架は、永遠の生命をもつ樹として、宇宙の中心にあって空間と時間を標示するものだった。本来は円環的時空間によっていたが、キリスト教神学がそれを直線的時空間に変えたのである。すなわち、キリスト教のラテン十字架は、円・回転・輪廻の否定から生まれている。十字は主として、統合と中心を示すものとして、混沌に対して秩序を表わす象徴的図形となった。

 また、十字架はイエスが磔にされたものであり、生贄として死んでいく神として神聖なものであった。一方、太古から十字架に人形を吊るしたものが畑に立てられ、穀物を守っていた。現代でも見られる案山子は、こうした生贄呪術の名残で、十字架にかかったイエスを思わせる。また十字路に子を置く風習があったが、これは十字路の神ヘカテに生贄として捧げた儀礼の名残である。


 渦巻については、水の渦と蛇のとぐろという二つの源が考えられる。天地開闢以前の原初の混沌が生命の生むカオスである海洋によって表わされる一方、無限循環の混沌はウロボロスとしての蛇で表わされているが、この始源のカオスである両者の象徴が渦巻と考えられる。また蛇や龍は水神として水の渦と結びついている。迷宮も一種の渦巻・螺旋であり、生―死―生の反覆の無限性が表現されている。迷宮の聖域に到達するためには、象徴的な死を体験しなければならないのである。

 渦巻の源として、ほかに貝殻の螺旋、犠牲獣の内臓の描く形が挙げられていましたが、さらに風の起こす旋風・竜巻やカタツムリの渦巻があるように思います。重層円は動きがありませんが、回転する車輪は渦巻に近いものとして言及されていました。渦巻文様に近いものとして、蔓性植物の文様、縄文、ケルト組紐文様が取り上げられていました。この本にはありませんでしたが、グロテスク文様やアラベスクなどとの関連も興味があるところです。

 渦巻と十字架に対する著者の結論めいた文章を引用しておきます。「キリスト教の学者はカオスを渦巻、コスモスを十字形に代表させ、十字架をシンボルとするキリスト教をコスモス的、多神教アニミズム要素の強い異教を渦巻的とみて、ドルイド教の影響のあるケルトの渦巻表現などを代表例にあげ、渦巻と十字架をカオスとコスモスに重ね、対立させているが、渦巻と十字架は、まんじや十字を円が包む表現が示すように本来は一体である」(p240)


 その他で印象に残った記述は、
精子を受けて妊娠するという現代人と同じ考え方を、はたして古代人はしていたか。古代の人々は父親の介在を認識してなかったようだ。子どもは岩や深淵、洞穴のなかで成長し、母の胎内に潜りこむと信じていた民族もいる。ヨーロッパには現代もなお、子どもは沼沢や、泉、川、木などからやってくるという俗信が残っている。

②沖縄や古代の日本で墓を子宮とみなしていたのは、死者が墓=母胎に入って再生すると考えられていたからである。同じように、死んだ子どもの魂は女性の子宮に入り込んで再生すると信じられていたので、死産児の遺骨は、玄関の床下や女性トイレの脇など女性が頻繁にまたぐところに埋められた。また、女性の伝統的な着衣の下部が閉じられていないのは、子どもの魂が再入しやすいようにとの心配りに由来するという説(金関丈夫)もある。

③「聖なる処女」というのは、イシュタルやアフロディーテーに仕える娼婦・巫女の添え名であり、文字どおりの処女を表わしているのではなく、単に「未婚」の意であった。『原福音書』によれば、聖母マリアは神殿娼婦の一人であった(ウォーカー説)。日本でも、応神天皇の孫である衣通姫(そとほしひめ)は平安時代には遊女の祖と言われており、近世になると小松(光孝)天皇の皇女が遊女の祖と言われるようになる。神武天皇も野遊びする娘を一夜妻とし、後に皇后にしている。これは、娼婦マグダラのマリア、娼婦であった皇母ヘレナ、皇后テオドラ、グノーシス派の娼婦ヘレンとも重なるものである。

 「生命現象の運動が渦巻の螺旋であることが生物学の領域で確かめられたように、物理学でも、エネルギーの元は渦巻状の回転であることがわかってきた」(p383)という記述がありましたが、生命やエネルギーの源には、無限の反復が可能な円環の形があるようです。