:吉永邦治『東洋の造形』


永邦治『東洋の造形―シルクロードから日本まで』(理工学社 1993年)

                                   
 直接幻獣とは謳っておりませんが、獅子、魔竭魚、龍神迦楼羅について言及されているので、読んでみました。仏像の周縁に描かれている飛天や金剛力士、あるいは蓮華や唐草、霊芝雲などの文様も含めて、西アジアからインド、中国、日本の具体例を渉猟した本。写真が豊富で、著者自らの筆による模写も楽しい。

 「古代の人びとも、喜怒哀楽など心の様相を、身近な自然現象や動物の姿態などに託し、その形を彫り、刻み、描く・・・怒りを『金剛力士』・・・天にも昇る楽しい気分を『飛天』・・・多産と豊穣を象徴する『蓮華』や『唐草』・・・このような見かたで東洋の造形を概観すれば、われわれの心の底に沈澱している心の文様が浮かびあがってくるのではないか」と「序」で書いているように、造形されたものの背後にある祈りのようなものに思いを馳せようとしています。

 この本を読んでいちばん感じたことは、人間が想像力で造形した物や文様のあるものは、自然界の事物の動きや流れに生命を感じて、それを写し取ったものであること。例えば、飛天とタンポポの綿毛の流れるような形態や動きのあるポーズ、霊芝雲と生命力のある雲の形との親和性という具合に。著者は唐草文様を静かに打ちよせる波のイメージによるものとしていますが、それはむしろ流水文様で、唐草文様は植物の豊穣な生命力を写したものと考えたほうが素直な気がします。がいずれにせよ、流水も唐草も霊芝雲も流動的な生命を表わしていて、根源では同一のものなのでしょう。

 紀元1〜2世紀中国の霊芝雲のかたちの一つとして、「龍なのか、怪鳥の足なのか、動物の首なのか、胴体なのか、尻尾なのか、霊草キノコの笠の部分にある奇妙な渦巻きと積乱雲の渦巻とが合体してS字状の霊芝雲となったのか、定かではない」(p253)さまざまな意匠が一体となった連続文様が紹介されていました。これは「この世界は、最初に虚空が生まれ、そこに気が生じて、軽いものは雲となり、重いものは固まって地となった」(p242)という中国の世界観どおりに、原初の渾然とした世界を表わしたものでもあるようです。また、これを見て思い出すのは、16〜18世紀ヨーロッパの人間や植物、動物、怪物が蔓草の連なりの中で一体となったグロテスク文様です。


 先日読んだ『聖なる幻獣』では、インドのマカラ(魔竭魚)が中国や日本へ伝えられて鴟尾になったと書いていましたが、この本では、魔竭魚が伝わる前から中国には鴟尾があったと書かれていました。古来からある魚とは関係のない鴟尾と、魔竭魚が伝えられた後従来のものと一体化した鴟尾の二種類あるというのが正しいようです。


 その他、いろいろなことを教えられました。
インド神話のインドラが仏教の中にとり入れられ帝釈天となり、ヤクシニーが変じた金剛力士帝釈天の働きを代行する存在として仏教の中に入ってきたこと(p55)。
インドにおいて牡牛の角に似た戟(げき)と呼ぶ武器が考案され、独鈷杵(とっこしょ)に変形し、さらに三鈷杵(さんこしょ)や五鈷杵に変化したこと(p57)。
金剛力士は釈迦の誕生以前から死後までずっと釈迦のそばにいて守護する存在で、アフガニスタン辺りでは、ギリシャ神話のヘラクレスディオニュソスのように描かれていること(p64、71)
袖のある衣裳を最初にまとったのはペルシャ人で、彼らと交易をしたギリシャ人がその影響を受けて、さらに筒袖を活用していった(p77)。
迦楼羅道教の影響を受けて天狗となり、やがて中国大陸から日本に伝来、烏天狗となっていったこと(p198)

 金剛杵の謂れについてのインド叙事詩の一節がとても印象的でした。蛇の姿をしたブリトラという悪魔がいて、あまりの行状の悪さに、何とか殺す方法はないかと神々が梵天に相談したところ、ダディーチャという聖人に会いに行けと言われる。神々が聖人のもとを訪ねると、聖者はその話を聞いた途端に息をひきとった。それで神々は彼の骨から恐ろしく堅固なヴァジュラ(金剛杵)を作ったという(p58)。