:一角獣の本二冊

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杉橋陽一『一角獣の変容』(朝日出版社 1980年)
種村季弘『一角獣物語』(大和書房、1985年)

                                   
 種村季弘の本は新刊で出た直後に読んでいて2回目。一角獣については、張競『天翔るシンボルたち』や立川武蔵『聖なる幻獣』でも部分的には取り上げられていました。それらを読んだこれまでの朧げな印象は、中国の一角獣はずんぐりしていて角も短く暗いイメージがあり、角は西に行くほど長くなって、ヨーロッパでは細長い錐のような角を持つ白馬の姿になるということ、また中国では近代になると一角獣について語られなくなるのに対して、ヨーロッパの文学や美術では活発に取り上げられているということでしょうか。

 今回読んだ二冊はともにドイツ系の文学者が書いたもので、両者ともにリルケが『マルテの手記』で話題にしたクリュニーのタピスリーから話を進めていますが、種村の方が一角獣そのものについて幅広い視野から検討を加えているのに対し、『一角獣の変容』はどちらかといえば『マルテの手記』論であり、途中から話が一角獣から離れて散漫になり、なにが本当のテーマかよく分らなくなっています。少なくとも副題には『マルテの手記』という言葉を入れるべきでしょう。文章も、「変容」というタイトルの気負いが指し示すように、翻訳文調で分かりにくいことこのうえなし。一角獣のタピスリー6点の説明があるのに2点しか挿絵がないというのも、理解しづらい原因のひとつかもしれません。


 両者に共通する指摘は、一角獣がインド原産のものであり、西洋にもたらされたルートとして、
ペルシャ王の侍医をしていたクテシアスの「一角獣の角から作った盃には解毒作用がある」という見聞、
セレウコス朝の外交官ギリシャ人のメガステネスの「角には螺旋状の渦巻がある」という報告、
ユダヤの学者たちが旧約聖書ギリシャ語へ翻訳した際、「野牛」を「一角獣」と誤訳して以後、旧約聖書のなかに千数百年間にわたって存在しない一角獣が住みついてしまったこと、
④『フィジオロゴス』という博物誌ではじめて、「汚れなき処女の許に膝を屈する一角獣」の挿話が登場、キリスト教的意味を付与されたこと。


 『一角獣の変容』で、何とか理解できたのは、
一角獣に追われて井戸に落ちた男がかろうじて灌木にすがりつくが下には龍が待ちかまえているという、大ピンチの短い寓話が『黄金伝説』に語られていて、それがインド原産であり、日本にもお経のなかの物語として伝わっていること。
『マルテの手記』の語りが、記憶の構造のように対位法的に絡み合い、時間を前後しながら織りなされていることを、ボードレールの時間への憎悪やプルーストの回想のあり方を援用しながら、論じていること。
『マルテの手記』に描かれた、古代の円形劇場が仮面の窪みのように天空に対して対峙している形象と、老婆の両手のなかに残った顔のかたちの凹んだ形象を並べ、そこに相通じるリルケの造型感覚を指摘していること。



 『一角獣物語』はさすが種村季弘らしく、ヨーロッパ芸能史、美術史、宗教史の総合的な知識にもとづいて、一角獣が西洋に受容されていった流れをたどり、日本にそれがどのように伝わったのか、博物誌や説話、芸能の視点から語っています。文章が大人で分りやすく、ときにユーモアを漂わせた文章の締め方を見せたり、神秘主義の香りづけや詩的彩りも忘れずに垣間見せるところなど、芸達者と言わざるを得ません。


 それによると、
①一角獣は16、7世紀のパレードや宮廷祝宴の余興の演し物として殊のほか愛好されたこと(p31)。当時のページェントでは、46フィートもある塔が飾りつけられ、40人以上もの人間を腹中に吞み込む大鯨や、ヘラクレスと闘う竜の口から飛び去る鳥といった機械仕掛けも登場したという(p37)。
②受胎告知の場にはかつて一角獣が登場していた(p58)、そして北方では一角獣形象の氾濫がはじまり15世紀は一角獣の時代となる(p59)。
③しかし、偶像崇拝の弾劾の風潮が強まりトリエント公会議(1563)以後は、一角獣のような尋常ならざる絵は教会からきびしく排除されてしまう(p63)。
④怪物の語源は「凶事の予告」。古代中国では一本角の幻獣麒麟が現れれば天子交替の奇瑞を意味したが、それは新しい天子の喜ばしい即位に先立って旧王朝の没落があることをも予言している。すなわち怪物は二つの時代の閾際に立って両側に黒い顔と光の顔を向けているのである(p80)。
⑤一角獣はアレゴリー像として完成された瞬間に二つの探究の道標へと分裂する。一つは自然学への道、もう一つはマリア崇拝の神秘主義に通じ、そこからは「存在しない獣」を鍵とするアレゴリックな錬金術上の探究が開ける(p87)。
⑥「一角獣の角」は薬用として珍重され高値を呼んだが、実態は、北極海産の鯨の一種の「長い歯」にほかならなかった(p109)。
⑦女の言うなりに唯々諾々と背中に女を乗せて歩くという「美女に馬乗られたアリストテレス」の名で一括される茶番劇詩の系譜がある。インドの『ブリハットカター』に始まり、『パンチャタントラ』、13世紀初頭の『アリストートの歌物語』に登場、その後『愚者の船』やザックスの五幕劇のエピソードとして継承され、ゾラの『ナナ』や谷崎潤一郎痴人の愛』にいたる(p127)。
謡曲『一角仙人』は、神の子キリストの犠牲死=復活を象徴する一角獣と一脈通い合う。竜神の封じ込めは竜神の冥府降り=参籠であって、岩屋からの解放は復活にほかならないからである(p131)。
⑨教会の寓喩において一角獣はキリストを表わした一方、神に追放されたカインは一角の徴をつけられ人びとに忌まれた。すなわち、額の一角は、ユダヤキリスト教世界にあって、善悪両極の評価に遭遇したわけである(p141)。


 一角仙人の話は、『聖なる幻獣』でも出てきましたが、空から落ちる久米仙人の話といい、仙人の神通力が女性の色香であっさりと失われてしまうというのは、老人になっても悟りきれない男の間抜けさを自嘲するようななんとも情けない話です。


 その他断片的知識として有益だったのは、
エルンスト・フックスに『ベックリンへのオマージュ』という木炭画デッサン・シリーズがあること。『死の島』の成立現場を訪ねてコルフ島に旅する途上、ベックリンも一時滞在したドゥブロヴニクのロクルム島の人界離れのした岩石風景に触発された絵の連作とのこと(p67)。
②瀧澤馬琴が歌舞伎の『鳴神』を改作して『雲妙間雨夜月(くものたへまあまよのつき)』という読本を作っていること(p133)。