幻想美術の入門書

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千足伸行監修、冨田章、新畑泰秀『すぐわかる画家別幻想美術の見かた』(東京美術 2004年)

 

 本は手元にずっと置いておきたいという性分なので、ずっと図書館での貸し出しは利用しなくなっていましたが、最近ある用ができて他の本を借りたときに目に留まったので、併せて借りてきました。16世紀以降の絵画作品の中から、幻想的な作品を、一画家につき一作品選んで、入門者向けに分かりやすく解説した本です。個々の画家についてはこれまでその都度接してきましたし、この中の大半はすでに知っていた絵ですが、グラッセ、ボーシャンなど知らない画家も教えられましたし、また一覧で通して見ると、気づくこともありました。

 

 感性のなさと無知を暴露するようで恥ずかしいですが、この本でも説明の際に当然のように使われている、古典主義、ロマン主義印象主義象徴主義といった美術史の概念の境界が極めて曖昧だということです。例えば、アングルは新古典主義と説明が書いてありましたが、この「オシアンの夢」という作品を見る限りロマン主義的な絵画のような気がしますし、ワッツは古典主義者と位置づけられていますが、取り上げられている「希望」という絵は象徴主義そのもののように思われます。

 

 そこで、そういった概念を使わずいったん白紙に戻して素直に眺めた場合、リアルかどうかを軸に次のように分類できるのではないでしょうか。

①細部がリアルだが、絵全体は非現実的なもの、グリューネヴァルト「聖アントニウスの誘惑」、コール「建築家の夢」、マーティン「忘却の水を探すサダク」、ダッド「妖精のきこりの見事な一撃」、ヴィールツ「うるわしのロジーヌ」、レーピン「サトコ」など、この本の中の半分ぐらいはこの分類に入る。

②全体にリアルが少し歪められて個性的な絵になっているもの、ボス「快楽の園」、モロー「一角獣」、シャヴァンヌ「夢」、クノップフ「秘密・反映」など。

③細部が大きくリアルを逸脱しているもの、ブレイク「車の上に立つベアトリーチェ」、アンソール「仮面の中の自画像」、トーロップ「三人の花嫁」、ムンク「叫び」、シーレ「死と乙女」など。

 この象限で欠けている「④細部がリアルで、かつ絵全体も現実感が漂うもの」はさすがに幻想がテーマになっているので例がないが、強いて挙げるとすると、ホドラー「夜」か。

 

 もういくつかの指標を入れ込むともっと詳細な分類ができるような気がしますが、それは専門家の方にお任せしましょう。他にも、細部のリアルは絵のさまざまな技法に支えられているが、近代になってこういう幻想絵画が増えてくるのは、油絵の技法が大きく貢献しているに違いないとか、しかし細部のリアルさというものについては画家によってそれほど差がないので、幻想のさまざまなヴァリエーションは、描こうとするテーマや構想、あるいは画家の持って生まれた資質の違いがやはり鍵になる、といった感想を持ちました。

 

 このところ私的に関心の高い「象徴主義の暗示の美学」が濃厚だと思われたのは、ワッツ「希望」、ジャンモ「誤った道」、ベックリーン「死の島」、クプカ「静寂の道」、プレヴィアーティ「夜を目覚めさせる光」、奇抜な想像力では、ボス「快楽の園」、グリューネヴァルト「聖アントニウスの誘惑」、フィッツジェラルド「夢の素材」、モッサ「飽食のセイレン」、グランヴィル「もうひとつの世界―夢の変容」、クビーン「北極」、エルンスト「聖アントニウスの誘惑」、現実を歪めて描いた作品では、クレイン「ネプチューンの馬」、シュピース「別れ」、崇高の美学は、コール「建築家の夢」、マーティン「忘却の水を探すサダク」、廃墟の美学では、モロー「ナイル河に捨てられたモーゼ」、ファンタジーの世界では、バーン=ジョーンズ「眠り姫」、シュワーベ「百合の聖母子」、ヒューズ「星たちを引き連れた夜」、レーピン「サトコ」、ヴェッダー「死の杯」、ドレ「パラダイス」、などが印象に残りました。