杉浦康平『かたち誕生』

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杉浦康平『かたち誕生』(日本放送出版協会 1996年)


 今回は、ブックデザイナーによる「かたち」論です。NHK教育テレビで放送された「人間大学」というシリーズのテキスト。こんな放送があったのは知りませんでした。ブックデザイナーとしての著者ならではの関心からか、いくつかこれまでの類書とちがったところに着目していました。本のかたちは当然ながら、それに関連して漢字のかたち、また印相や曼荼羅図、さらに変わったところでは舞踊の軌跡、巡礼の道、修行の道や人生を表わす図について。

 現在にある「かたち」を考えて行くと、かたちが形成された古代に遡っていくのは必然で、どの論者にも共通している部分かもしれません。この本でも、古代の神話、宗教の話題が半分ぐらいを占めています。とくにアジア系宗教についてが詳しく、須弥山世界図や宇宙大巨神、内経図など不思議な絵柄がたくさん出てきました。


 いくつか印象的な指摘を書き留めておきます。
太陽は月の400倍ほどの大きさだが、距離も400倍ほど遠いので、ほぼ同じ大きさに見える(p11)。

日本では左巻き上がり渦(反時計まわり)を聖なる渦と考え、神前を飾る注連縄の基本とした。また大相撲では、横綱や力士たちが土俵上を左回りにめぐり、夏祭りの盆踊りも左回りの輪をつくる。左回りは非日常的なハレの場の特別な回転方向であった(p25~26)。

阿吽は仏教の世界観で世界の始まりと終わりを表わす。アは口を開け息と声を吐き出し、ンは口を閉じ声を呑む。五十音の配列でも、最初がアであり最後がンである。もとは古代インドの音声学に由来し、オーム(A-U-M)の三音だと考えられていた。それが中国に伝播したときに二極化され、阿吽として漢字化された(p31)。

胎蔵界金剛界の二つの曼荼羅の掛け方には決まりがある。南に向かって座すことが多いご本尊の側から見ると、ご本尊の左手側、つまり東に胎蔵界があり、右手側、つまり西に金剛界がある(p36)。智拳印という手のかたちは左手が象徴する胎蔵界と右手が象徴する金剛界を結び、両界が一つに溶けあうこと、また一つの世界が二つの世界に分けられるという根本原理を示している(p47)。

唐草文は、なによりもまず植物文であり、唐草の根源は渦である(p51)。渦巻文は雷など天の渦を表わし、さらに風や雲など気の文様としての渦巻きがある(p53)。また鳥、龍、蛇、亀、魚など地上の生物が生みだす地の渦もある(p55)。その天の渦、地の渦が植物の唐草文の背景に重なりあい、その渦に生気ある動きを与えてゆく(p56)。古代の人々は、すっぱりと断ち切られたかたちは死んだもの、渦巻き沸き立つかたちこそいのちを孕む生きたかたちなのだと考えていたにちがいない(p58)。

漢字は四角い場を基本とする文字で、縦組み・横組みという融通無碍の組み方ができる世界でも珍しい文字である(p85)。これは中国の東西南北に整然と計画された都市の街路や碁盤の盤面とも関連があり、天が半球状に方形の大地を覆っているという「天円地方」の宇宙観と結びついている(p87)。漢字の造形では、三による構成、あるいは三回繰り返すことが一つの特色である(p81)。また政(まつりごと)に使われる印章の書体に「九畳体」というのがある(p88)。→見たことはありましたが、迷路図のような不思議な字体です。

壽の字を象ったさまざまなものが紹介されていました。蛇行させて壽の文字にした台湾の長い線香(p94)、幹が壽の形を描く上海の盆栽(p95)、壽の文字の形の針金ボタン(p98)、壽の複雑な経路を通って注がれる中国の酒器(p96)、表面に壽・福・長生などの文字を刻印した餅菓子やまんじゅう、落雁(p97)。その酒器から飲んだり、餅菓子を食べたりして、壽の力を体内化しようとしたようです。

身体の体内に世界の縮図を収めた巨大な神の姿がアジアのいろんな宗教に描かれていることが紹介されていました。インドのヴィシュヌ神の八番目の化身である「クリシュナ神」(p159)、ジャイナ教の「ローカプルシャ(世界原人)」、チベット仏教の宇宙大巨神「カーラチャクラ」(p162)。バンコクのワットポーにある巨大な涅槃仏の両足の裏には、螺鈿細工で、巨大な須弥山世界の全体像が描かれていて、これは金太郎飴のように、身体のどこを切っても須弥山世界が充満していることを物語っている(p167)。さらには、東大寺の大仏の大蓮華の花弁の表面に須弥山世界が線刻によって克明に刻みこまれている(p164)。→近くに住んでいながら知りませんでした。

ヨーガの呼吸法では、深い呼吸にのせて、体内にプラーナという天地自然に満ちている清澄な「気」の流れを導入するが(p15)、密教では、須弥山世界を体内に観想し、その上に曼荼羅を招きいれるという瞑想法がある(p167)。人間のからだが、日常の大きさを超えて世界のことごとくを呑みつくすほどに大きく拡張し宇宙大の身体と化してゆく(p171)。→これはこれまでも出てきた大宇宙と小宇宙の照応ということになるでしょう。


 智拳印と須弥山世界を表わす印のかたちを覚えました。