『古代の宇宙論』

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C.ブラッカー、M.ローウェ編矢島祐利/矢島文夫訳『古代の宇宙論』(海鳴社 1978年)

 

 『天地創造神話』からのつながりで、古代の宇宙論に関する本を読みました。古代エジプトからバビロニアユダヤ、中国、インド、イスラム、スカンジナヴィア、ギリシアなどそれぞれの専門家9名が執筆しています。宇宙論といっても幅広く、霊魂や死後の世界まで入っています。対象とする国々が異なり、またそれぞれの地域を専門とする執筆者の資質の違いもあるために、神話の天地創造に関する部分を紹介した体裁のものや、哲学的な深い味わいのあるもの、やたらと人名が出てきて学説の紹介に終始したもの、天文学的な考察に富んだものなど、テイストの異なる諸篇が集められています。理科系の専門的な話題があるうえに、翻訳なので読みにくいところがあり、理解できない所も多くありました。

 

 いくつかの大雑把な印象を述べますと、エジプトやインドなど、古代人の原初的な知のあり方の素朴だが力強い想像力に感銘を受けたこと、それぞれの著者がそのことを尊重しながら語っているのが好感が持てました。また古代ギリシア宇宙論にはすでに科学的な片鱗が多々含まれていること、インドでは、古代神話、ヒンドゥー、ジャイナ、仏教が複雑に絡み合っていること、イスラムプロティノス神秘主義の影響が大きいこと、スカンジナヴィアの神話がケルト神話と似たところがあるなど。

 

 神話や宇宙論には、その国の風土が反映していることがよく分かりました。古代人が自分のまわりの世界を見渡して、それに基づいて物語を作るわけですから、当たり前なことではありますが。例えば、エジプト神話では太陽讃歌が多く、その一つに空に太陽の火球を転がし進む巨大な甲虫を見たりする一方、スカンジナヴィアの神話には、通路をはばむ大きな山や急流が出てきて、暗黒・寒冷の世界が描かれるという具合です。

 

 自分の体験からものごとを考えるということがいかに根本的なことかということで、古代人が月の満ち欠けを見て太陰暦を作ったり、犬狼星の出現が年ごとの洪水のはじまりと関連していることに気づいたり、海や川以外に地下からも水が湧き天からも水が降ってくるので「原初の水」というものを想定したり、春になると植物が芽生えるのを父なる天が母なる地に注ぎ込んだ結実と考えたりしたその心の動きがよく分かります。そして大航海時代になって、航海家が初めてプリニウスの大きな誤りに気づいたように、新しい経験が過去の権威的な知識を塗り替えて行くわけです。

 

 また昔の人も進んだ考えを持っていて、古代中国ですでに天はまったく空虚という考え方の宣夜派の人たちがいたこと、前三世紀のサモスには太陽中心の学説を唱えた天文学者がすでに居たこと、中世イスラム天文学者が太陽中心の体系にもとずいてアストロラーブを製作していたこと、また中世では教育のある人は地球が球形であると認めており、教育のある人で地球が平面という人は奇人とみなされたこと、その証拠に、フランス語のmonde(世界)はイギリス国王の持つ球をマウンドと呼んでいたことから来たことなど、意外でした。

 

 いくつかの面白い指摘がありましたので、簡略にしてご紹介します。

ギリシア・北欧・中国の宇宙体系では時間は周期的である。直線的な時間を考えているのは『旧約聖書』の宇宙だけ/pⅷ

②井戸水の観察から、地下の近くのところに巨大な淡水のかたまりがあると考え、一方、死後に行く地下界を想像していたので、地下界へ行くには川を渡らなければならないという発想が生まれた(シュメール神話)/p39

③中国やインドに共通するのは、時代を経るにしたがって、善人と悪人を分け善人を尊び悪人を罰するという裁断の思想がしだいに入りこんで来ること/p89、p113

④不死の薬というのは中国のみに見られる不思議な現象だが、これはグノーシス派の教義に「不死の薬」という言葉があり、比喩的に使っていたのを額面通りに受け取った結果であった/p92

⑤太陽が季節に、月が潮汐に影響するのなら、恒星と惑星の動きが国家や個人の運命を左右しないわけはないというところから、占星術が誕生し、中世末から16世紀に天文学が流行した一因となった/p258

 

 恒例により、神話的な想像力の魅力を感じさせられた文章を引用しておきます。

太陽は天空の眼であって、地を見下ろしている(エジプト神話)/p7

夜明けに天空の女神の子として生まれてから、太陽の船に乗って天の大海へと昇り、日中になると急速に大人になり、次には老人として西方に沈む(エジプト神話)/p7

原初の水から蓮の花が咲き出た・・・その花びらは、原始の暗闇では閉じていたが、これが開くと、美しい子供の姿をした世界創造者が蓮の中心部から飛び出した/p14

そこには存在せぬものも、存在するものもなかった・・・そこには死も不死もなかった・・・昼のしるしも夜のしるしもなかった・・・そのものは風はないのに自分の力で息をした・・・暗闇は初めに暗闇によってかくされた・・・あるようになったものは空虚で覆われた。そのものは熱の力で立ちあがった。願望が初めにその上へやって来た・・・この創造は何処から起こったのか。何処へ彼はそれを築いたのか、あるいは築かなかったのか・・・彼だけが知っている。さもなければ彼は知らない(リグ・ヴェーダ)/p111

われわれの永劫の前には最も多い五人の仏陀がいて、ゴータマ・ブッダはその第四番であった。もう一人来るはずである、何時来るかは誰も知らない/p143

動くものが知性であって、直接に動かす力は霊魂である・・・磁石自身は動かないが、鉄を動かし・・・風は木のまわりに渦をまいて木を動かす/p170