福永光司『「馬」の文化と「船」の文化』

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福永光司『「馬」の文化と「船」の文化―古代日本と中国文化』(人文書院 1996年)


 前回に続いて福永光司の本。中国の北方文化と江南文化の比較、老荘思想、徐福伝説、道教の様々なシンボル、八幡大神、中国歴代皇帝と道教常世の信仰、墓と廟など、さまざまなテーマが道教と関連して語られていて、とても面白い。新聞や雑誌、劇パンフレットなどに寄稿した文章で、本来難しいはずの話がとても分かりやすく説明されています。

 メインテーマは、題名にもあるとおり、中国の北方を「馬」の文化とし、江南を「船」の文化として対比し、日本への影響を考察しているところにあります。
①北方の馬の文化は、人間の積極的な作為を重んじ、鼓舞叱咤して「乗る」文化であり、その社会構造的基盤は男性尊重の父系社会で、孔子を開祖とする儒家に通じる。一方、南方の船の文化は、人間の作為よりも宇宙大自然の法則真理にひたすら随順し無為無心を重んじる「乗せる」文化であり、その社会は女性優位の母系で、母や水をシンボルとする老子と親和性がある。

②馬の文化と船の文化を各項目ごとに次のように対比。馬の文化:1)垂直線上の天が生命の原郷とされている、2)「正邪」の価値判断を重視する、3)牧畜から出た「善」とか「美」という語と関連がある、4)コスモス的なるものを重視する、5)国の大事のためには肉親の情愛も没却して顧みない。船の文化:1)水平線上の海原に生命の原郷が想定されている、2)「真偽」の価値判断を重視、3)河川や海原から出た「浄」、「清」、「静」と親密である、4)カオス的なものを愛重する、5)個々人の生命を君主や国家に優先させる。

③馬の文化の地域では太陽を男性とし太陽の赤を男性のシンボルとするが、船の文化の地域では日輪を女性神とし赤を女性のシンボル、海神を男性とし青を男性のシンボルとする。古代の日本は、天照大神を太陽神、素戔嗚尊を海神とした。現在の日本で、女性用トイレを赤、男性用を青で標示したり、紅白歌合戦で女性を赤としたりするのもそこに淵源がある。中国では漢民族の文化が定着した地域のトイレの色は日本と逆である。

④古代の日本では、船の文化を代表する天照大神が皇室の遠祖であったが、その皇孫である応神天皇天武天皇らが、漢の武帝が基礎を固めた馬の文化の4点セット(騎馬戦法、儒教の採用、皇帝権力への宗教的神聖性の付与、神僊信仰の実施)を受け入れた。そして平安初期の嵯峨天皇北魏王朝の「源氏」制度を導入し、さらに清和天皇唐王朝の「八幡」軍神の信仰を取り入れて、次第に船の文化と馬の文化の両者が一体化されて行った。


 その他いくつか教えられるところがありましたので、ご紹介します。
①相撲は、中国で古くは「角力」「角抵戯」などとも呼ばれ、前二世紀、漢の武帝の天覧相撲としてスタート。天覧相撲なので力士の服装は衣冠の礼装をし、冠を着用するために台座になる髷を結った。現在日本の相撲でも、髷を結い、行司が古代中国の官吏の礼服を着て手に軍配を持ち、その軍配に「天下泰平」の漢字が記されていることはその名残である。これらは北方の馬の文化であるが、一方、大相撲の力士が裸体で裸足というのは、南方の船と海原の文化である。

神武天皇は、実は古代中国の呉の国王泰伯の子孫であるという論議が、14世紀、室町時代の京都建仁寺の学僧であった中巌円月らによって行われている。→似たような説が先日読んだ『数はどうして創られたか』で紹介されていた(2021年3月10日記事参照)。

③「倭人」という漢語が登場した1世紀頃は、西朝鮮湾から渤海湾黄海、現在の北京・河北の地域まで居住する人たちを指していた。黄河流域に首都を置いていた漢民族国家が南下し首都を江南に置いてから、主として日本列島沿海地区の居住者を呼ぶ言葉として定着するようになった。また、倭人は、現在の福建省広東省雲南省などに広く居住していた越人と、生活習俗、思想信仰に共通点が多く、ともに船の文化の担い手であった。

④「仙台」という漢語は、天上の神の世界の政府という意味。また「金沢」は「キンタク」と発音し、道教宗教哲学用語で、黄金の光沢を持つ神仙の容貌を形容する言葉である。

⑤『老子』では「道は淵(渦巻く水の意)として」という言葉、『荘子』でも「斉(水の渦巻く中の意)と倶(とも)に入り」という言葉があり、道教の根本にある老荘の哲学では道を渦巻と結びつけている。また道教神学者葛洪(かっこう)が、渦巻文様は災禍を避けることができるとして、渦巻文を鬼道の禁呪・護符の信仰と結合させた。神仙の手に渦巻の文様のある宝珠が描かれたり、道教寺院に渦巻文が多く見られるように、道教の特徴のひとつに渦巻文信仰がある。ちなみに「斉」に「にくずき」を付けた「臍」という漢字があるが、命の渦を巻いている生命の中枢部という意味である。

⑥『易』の天地陰陽の哲学で、「地」と「陰」、「形」と「鬼」に結合される「魄(肉体を構成する元素)」を葬る場所が「墓」であるのに対し、同じく「天」と「陽」、「気」と「神」に結合する「魂(精神を構成する元素)」を祭る場所は「廟」と呼ばれた。ところが、前三世紀、秦漢の時代から、墓において廟の祭祀が行われるようになった。秦漢以後の墓は、墓の形を天に象って円丘とし、墓前で営まれる祭祀の場所は方形とされた。この前方後円の築造形式は、現在の北京市の天壇とその前面の方形の広場の形に受け継がれている。日本の前方後円墳も明確に中国にルーツがあると見てよい。