日本のユートピア関連二冊

  
中西進ユートピア幻想―万葉びとと神仙思想』(大修館書店 1993年)
日野龍夫『江戸人とユートピア』(朝日選書 1977年) 


 万葉と江戸のユートピアというので共通するものがあるかと思いきや、まったくテイストの異なる二冊。中西進のものは、万葉時代の歌や皇族たちの行動に中国の神仙思考の影響が色濃く反映していることを述べ、桃源郷や蓬莱山、常世といった言葉も頻繁に出てきますが、日野龍夫のものは、桃花源や理想郷に直接言及したものではなく、世間咄、五世市川団十郎の生き方、荻生徂徠やその弟子服部南郭らの詩文を話題としたもので、ユートピアというのは非日常といった意味で使っているようです。

 『ユートピア幻想』は、一種の日中比較文学の書で、『史記』や『文選』、『太平御覧』、『幽明録』、『列異伝』、『遊仙窟』、『列子』などからの引用が頻出し、中西進が中国古典に通暁しているのに驚きました。取り上げられている話題は、持統天皇の吉野行幸に始まり、大伴旅人の梅・松浦河・竜馬・雲に飛ぶ薬などの数々の歌、浦島太郎、藐姑射(はこや)の山、竹取の翁の話、羽衣伝説、若返り・不死の薬、月の桂、桃、廃墟詩など多岐にわたっています。

 比較文学といっても、日本が一方的に中国の影響を受けているという話ですが、次のような指摘がありました。
藤原京造営の直前に、持統天皇の吉野行幸が頻繁に行われているが、これは吉野を仙郷と見立て、造営の無事を祈願しに行ったもの。

②藤原宮が大和三山に取り囲まれた地であるのは、中国の鍾山、終南山、少室山の三神山を模していること。

大伴旅人には神仙趣味があり、中国の望夫石伝説や洛神の賦、遊仙窟など、中国の素養をもとに、その感慨を日本の風景のなかに移し替えて歌を作っていること。

高橋虫麻呂の浦島の子に出てくる常世の概念には、古代日本人が抱いていた根の国、妣の国のイメージに、さらに神仙性が付け加わっているのは、中国の仙郷淹留説話と蓬莱伝説からの影響ではないか。

⑤中国の西王母伝説が日本に渡ってきて、月に若返りの水があるという考えや七夕伝説、再会を期する詩「白雲謡」に影響を与えている。

⑥中国の都の荒廃を嘆く詩「麦秀の歌」や「黍離」などが、近江京の廃墟を歌った柿本人麻呂長歌に影響を与えている。  
 他にもいろいろありましたが、頭の整理がつかず、この程度にしておきます。

 いくつかイメージの強い文章が印象的でした。
蓬莱山を含む五山の場所についての説明で:海界(うなさか)・・・までが平面としての海であり「海界」から傾斜をなして谷間へと水は流れ込む。しかもこのなかにある島とは、海底であるようでいながら海上である(p114)

『捜神後記』の袁相と根碩が仙郷から帰ってきての話:嚢を与えられて帰ってきたが、家の者が開けてみると蓮の花のように一重ずつに包まれており、最後には小さな青い鳥がいて、飛びさっていった。事態を知って根碩は驚き悲しむが、ある日田のなかで働いているうちに動かなくなり、蝉の脱殻のようになってしまった(p124)→蓮の花のような一重ずつの薄さと蝉の脱殻の薄さが呼応していて美しい。

『積字楼炭経』に出てくる話:須弥山の南に大樹あり。名づけて閻浮提といふ。高さ二千里、枝二千里に映ゆ。その影月中に現はる(p196)。→中国らしい大言壮語。


 日野龍夫の文章は、論旨がはっきりしていて、全体の論の運びも、物語を読んでいるような流れがあり、論文の名手という印象を受けました。いくつかの指摘を紹介しておきます。
①江戸時代に異事奇聞が瓦版として出され、諸種の会合で世間咄や百物語をすることが流行ったが、それは日常の生活を営む世界の外側の見知らぬ世界についての情報交換であり、日常世界があまりにも明白で安定した世界なだけに、どんなに取るに足らない情報も、その安定を動揺させる力を備えていた。

②歌舞伎や人形浄瑠璃も、近世社会においては一種のマスメディアであり、例えば、享保2年7月17日の大阪高麗橋の妻敵討の折は、桜橋芝居がたった一晩でこれを劇化して上演したという。→まるで今日のワイドショーのようだ。

荻生徂徠は、朱子学が道徳を強制し人間的欲望を抑圧して人情の自然への不寛容の精神を生み出していると考え、持って生まれた気質をそのまま伸長すべきことを説く気質不変化の説を唱えた。それが人々を魅了し多くの門弟が集まったが、徂徠の志は天下太平にあった。

偽書は、自己の主張を権威づけるため古人を利用しようとするもの以外に、過去について抱くイメージがおのずと筆端にほとばしり出たものがある。一つの世界のイメージが胸中に溢れる大学者ほど自己表現に走った。例えば、加藤仙安は、源氏の消長に取材した大河小説の趣きのある『盛長私記』全51巻、『扶桑見聞私記』76巻と合わせ、少なく見積もって十数年の労力をつぎ込んで偽書を書いた。

 ほかに、壺公という薬売りの壺の中に飛び込むと、そこには宮殿楼閣の立ち並ぶ仙境が開けていたという話(p167)や、「予、性嬾(ものぐさ)にして臥すことを好む」と書出し、「臥せば静かであり、静かであれば寐(ねむ)り、寐れば忘れる」という南郭の詩(p179)が面白く、また荻生徂徠が、出替わり奉公人(一年契約の奉公人)を使うようになった風潮や、旅宿ノ境界(武士が領地を離れて都市住居者になる)やセワシナキ風俗(商品経済の進展で万事に落着きがなくなる)を嘆いているのは(p108)、今日の非正規社員の問題、東京一極集中と資本主義の乱脈ぶりへの批判に通じると感じました。