:小松伸六『ミュンヘン物語』(文藝春秋 1984年)


 先日読んだミュンヘン本三冊に続いて読んでみました。正直、読後感はよくありません。本人も「あとがき」で認めているように、雑文の寄せ集めの印象です。孫をはじめ家族の自慢話など脱線に次ぐ脱線、日本女性のセックスが横に割れていると信じているドイツ人がいるなど余談の頻出、学生時代、授業で先生の漫談を仕方なく聞いているときのことが思い出されました。

 もう一つ悪口を言えば、例えば、ドーデを「初級フランス語をまなぶために教室で必要な教科書的作品」(p34)と断言し、アンデルセンに対し「功利的、なりあがり者的俗物主義のいやらしさをみる」(p62)と切り捨て、森鴎外の『うたかたの記』を二流の作品と決めつけ (p78) たりする断定的物言いの凄さ。もう少しやわらかく表現できないものかと思います。戦前生まれ的な、自分を疑うことを知らない頑固おやじ的な性格を感じます。

 ところが、あとがきは別人のようにガラッと変わって腰が低く、先ほども書いたように、自分の文章を脱線、余談、俗説、款語(うちとけ話)がとび出す雑録と認めています。その落差に驚いてしまいました。


 悪口はこれくらいにして、良いところを。
そもそもの執筆の動機は、ミュンヘンを訪れた日本人を通して、ミュンヘン(ドイツ)精神史を描き、日独の比較を試みようとしたものと思われます。日本人の記録だけでなく、周辺のヨーロッパ人やドイツ人自身のミュンヘンについての文章など、幅広く情報を収集しており、断片的な情報はとても豊富です。

 この本でいろんなことを知ることができました。例えば、バイエルン人がプロイセン人をかなり敵視していること(p12)、巌谷小波明治23年から二年間ベルリン大学東洋語学講師として赴任していたこと(p38)、円地文子に『新うたかたの記』という鴎外をもとにした幻想譚があること(p88)、鴎外がクラウゼヴィッツの『戦争論』の翻訳をしていること(p107)、最近96億円で落札されて話題となっているあのムンクが当初ベルリンで展示された際わずか一週間で悪評のため壁から外されたこと(p130)、グスタフ・マイリンクが「ジンプリツィシズム」の編集者をしていたこと(p132)、小杉放庵までもがミュンヘンに来遊していること(大正2年)(p139)など。

 断片的情報と横道脱線の数々のエピソードが累々と積み重なるなか、浮かび上がってくる全体のトーンとしては、やはり、ミュンヘンがある一定時期、ヨーロッパ文化の中心地として花開いていたということでしょう。その中心的役割を担ったのは媒体や文化人グループで、他国から次々に人が集まってくる培養の地だったということが分かります。そしてそれがある時期を境に、ベルリンなどへと拡散して行くわけです。そしてもうひとつは、第二次世界大戦前に日本人がいかにヨーロッパに憧れ、多くの文学者、学者、芸術家が何ものかを得ようとしてやってきていたかということにあらためて驚きました。


 その美しい時期のミュンヘンを舞台にした小説としてトーマス・マンの「神の剣」、カロッサの「美しき惑いの年」が挙げられていたので、読むことにしましょう。