DANIEL MALLINUS『MYRTIS et autres histoires de nuit et de peur』(ダニエル・マリニュス『ミルティス―夜と恐怖の物語集』)

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DANIEL MALLINUS『MYRTIS et autres histoires de nuit et de peur』(marabout 1973年)


 この本は昔の思い出深いパリ古本ツアーで、「L’Amour du Noir」という店を見つけて爆買いをしたうちの1冊(2012年7月16日記事参照)。 Maraboutの幻想小説叢書はラインアップも充実し表紙のイラストが刺激的で好きですが、ページの綴じが不十分で、読んでいるうちにばらけてくるのが難点。                                             

 マリニュスはベルギーの作家で、雑誌「小説幻妖 弐」の森茂太郎の評論で名前を知りました。雑誌の編集長を務めるかたわら演劇や写真の分野でも活躍した人のようです。この作品はジャン・レイ賞の受賞作ですが(1973年第2回受賞)、幻想文学の新人に与えられるという賞の割には、すでに熟練の技がうかがえ、奇想天外な想像力、他の作家にはない着想があります。すでに亡くなっていて、この作品集しか残してないらしいのは残念。

 作品も多様で、小町九相図のような人間が腐敗して解体していく描写のある「Myrtis」や「Mourir un peu(ちょっとだけの死)」、猟奇殺人が出てくる「Photos graphein(グラビア写真)」など、残酷で猟奇的な書き手かと思えば、幻影の町を見る「La cité des flots(流動する町)」や古い城館の少女に恋をする「Le voyage de noces(新婚旅行)」など、ファンタジー的な幻想譚も書いています。

 古典的な幻想怪奇テーマとしては、吸血鬼らしき男が登場する「Votre mort sera horrible(恐ろしい死に方をするだろう)」、ドッペルゲンガーを扱った「Dernière lettre à mon avocat(弁護士への最後の手紙)」や「Dans une infinité de mondes(無限世界のなかで)」、人形譚の「Myrtis」、奇蹟譚の「Le Dieu des enfants noyés(溺死した子らの神)」。また「Votre mort sera horrible」と「Photos graphein」では古本屋が中心的な役割をしています。

 SF的な要素のある作品もありました。目の前で起こったことが過去の言い伝えになっているという時間のずれが眩惑的な「Le voyage de noces」、過去や未来が鏡に映し出されるという「Le miroir aux hallucinations(幻影を見せる鏡)」。また並行世界をテーマにした「Dans une infinité de mondes」。

 叙述の仕方も、日記体の「Myrtis」、手紙体の「Dernière lettre à mon avocat」、何枚かの絵葉書に綴られた文章で物語が組み立てられる「Votre mort sera horrible」、独白体の「Le miroir aux hallucinations」と「Madeleine, c’était mon rêve」、散文詩的な「Le plus insoutenable des possibles(可能だったことのなかでもっとも耐え難いもの)」など、多種多様です。  

 各篇の内容を簡単に記しておきます(ネタバレ注意)。
〇Myrtis
ユダヤ人の骨董商から念願の蝋人形を買った伯爵は、その日から日記をつける。愛猫がその人形に怯え、老女中も部屋に入りたがらない。祖先の記録の調査のため部屋の出入りを許していた神父がある日その人形の服を脱がそうとしているのを目撃する。二日後にその神父は焼けただれて倒れ、「ガエタノ・ズンボ」という謎の言葉を残して死んだ。調べると、イタリアの人形細工師の名前だった。日記は、人形が「今夜、真夜中にね」と呟いたと記入されたところで終っており、翌朝伯爵は腐敗した姿で発見された。骨董趣味や美食趣味が散りばめられて、小説の味わいを高めている。

〇Le plus insoutenable des possibles
伝説の町の存在しない通りにある窓も壁もない家。その扉をふいと開けてしまうと、自分の過去の姿が千変万化して現われる。かつてそうでなく、そうなることもできず、またそうなりたくなかった私。いろんな可能性の私が幽霊のように襲ってくるのだ。

◎La cité des flots
夏の海水浴場。目覚めると、人も舟も建物も消え、地平線の限り砂と茂みに覆われていた。突然、目の前に城が現われ、大勢の人たちが蠢くのを目の当たりにする。が、彼らはまるで気づかず、また触れようとしても空を切るばかりだ。その幻影は次から次へと現われては消え、目まぐるしく変わっていく。最後は一人の女性に導かれるままに、階段を登り詰めるが…。人の顔や形が流れるように移ろっていく描写はあまり見たことがない。

〇Mourir un peu
初めはちょっとした胃痛で、会社を早退し布団の中にもぐりこんだ男。だが、すべての病気が一度に押し寄せてきたようになり、手足の力が失せ布団から抜け出せなくなった。歯が抜け落ちているのに気づくと、次に脚が溶け、腹が溶け、頭が崩れて行って、眼も耳も聞こえず声も出なくなり…。だが自分である意識は明晰なままだ。これは死ではなく、ちょっとした死に過ぎないと考える。

Dernière lettre à mon avocat
妻を殺したという嫌疑をかけられた男が自殺するまえに弁護士へ書いた手紙。そこには奇妙なことが書かれていた。妻を尾行するとラブホテルに入って行った。私が受付で部屋番号を聞くと、不思議そうな顔をして先にあなたは部屋に入ったはずと言う。部屋に入ると妻が殺されていた。私と同じ顔をした男が殺したんだ。私は無実だ、天国で妻に会いたい、と。

〇Photos graphein
性的に偏向のある独身の男。古本屋に特別なポルノはないかと持ちかけたり、隣の部屋に訪ねてくる男の子の裸を夢想したりしている。古本屋ははじめはそ知らぬふりをしているが、徐々にその素顔を見せ始める。古本屋の奥に地下に続く階段があり、男が案内されてそこへ降りて行くと…。どんどん加速していく猟奇度が凄い。

◎Le voyage de noces
女性と縁のない醜く貧しい中年男。何かの間違いか女子学生から好きよと言われ、毎朝学校の前で逢引きを重ねる。町はずれまで一緒に歩いて、母と住んでいるという廃墟のような城館の前で別れるだけだったが。仕事も辞めてしまった男にやきもきする母親。ある日、男が「新婚旅行に行く」と言い残して出て行った。必死に後を追いかけると息子は少女とともに城館のなかで消えてしまった。10年ほど前そこに母と娘が住んでいて、娘が中年男と失踪してからは誰も住んでいないという。

◎Votre mort sera horrible
ブリュッセルに住んで古葉書収集に熱を上げている男が、古本屋でたまたま一連の葉書を見つけた。日付もないばらばらの状態だったが、どうやらローマにいる愛人がフランスにいる人妻に夫を殺せと唆しているようだ。調べてみると、実際に50年ほど前、夫が吸血鬼と信じ込んだ妻が夫を殺し、イタリアの愛人のところへ逃げていこうとして捕まったという事件が起こっていた。葉書の断片が少しずつ事件を語っていく手法が秀逸。

〇Le miroir aux hallucinations
飲み屋でもらった金属製の鏡にいろんな時代の自分が映る。揺りかごの赤子、幸せな子ども時代、そして精神病院に入れられた老人の姿。憎しみに燃えた大勢の人に取り囲まれ打ち据えられる姿もある。鏡を持って逃げだすとさっき見たばかりのその場所だった。現在形が不気味さを煽る。

〇Le Dieu des enfants noyés
半年ほど前から村に住みついている素性の分からぬ男。宿を提供してくれている老人から聖ヨハネ祭の日に起こった事故と翌年から聖ヨハネ祭の夜にこの村を襲う怪奇現象について聞かされ、老人の止めるのも聞かず事故の現場に向かう。翌朝、事故現場の十字架のキリスト像に異変が起こっていた。

Madeleine, c’était mon rêve
お化け屋敷の怪物のひとつになりたいと興行主に迫る男。かつて一目見て恋焦がれた女性が蝋人形になって展示され、自分とそっくりの顔の男に絞殺されようとしているその男に成り代わりたいと。前夜、その女性と偶然再会しこの縁日で遊び、お化け屋敷に入ったら、女性がその展示に駆け寄って行ったという。同じ時間に、その女性は突然死していた。女性の死ぬ直前の霊が現われていたのだ。

◎Dans une infinité de mondes
車に飛び込んできた男は私と瓜二つだった。顔も仕草も、傷も、誕生日も名前もみな同じ。違うのは男が結婚してるのに、私が独身。男の妻の名は若き日に別れた恋人の名前だった。その恋人と別れた瞬間から二つの人生が始まっていたのだ。