Jean Lorrain『LES LÉPILLIER』(ジャン・ロラン『レピリエ一家』)

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Jean Lorrain『LES LÉPILLIER』(DU LÉROT 1999年)


 長編「Les Lépillier」と、4つの短編「Madame Herbaud(エルボー夫人)」、「Un coup de fusil(発砲)」、「Dans un boudoir(婦人部屋にて)」、「Installation(引っ越し)」が収められています。初版は1885年11月で、ロランの散文小説デビュ作となっています。この再版本は一種の研究資料集ともなっていて、「レピリエ一家」の登場人物のモデルを地元の図書館で調べて特定したもの、ロランが出版社に送った手紙23通(うち1通は印刷屋から出版社宛)、出版後の各誌の書評9点を掲載しています。

 この本のロランの作品史のなかでの位置づけは、書評のなかで、オスカー・メテニエが巧みに解説していました。ロランは詩人として文壇に登場し、最初の二冊の詩集(『青い森』、『神々の血』)では古代ギリシャ神話の神々や騎士物語の英雄など高踏派的なテーマを主としていたが、パリで堕落した生活を送るうちに、偽善と悪徳にまみれたパリのグロテスクを描く詩風(『モデルニテ』)へ移り、その観察眼が小説へと転移したのがこの作品ということです。

 一読して印象深いのは、初期散文において、すでにロランらしい世界が濃厚に見てとれることです。「レピリエ一家」の全体を覆う悲惨な空気、古びた屋敷の無残な荒廃ぶりや、老嬢の痩せ細った幽鬼のような姿の克明な描写のグロテスクさ。またオンデルセン夫人というスラヴ系の美人が登場するあたり、すでにロシア美女好みが出ています。「Dans un boudoir」では、『仮面物語』と同様の病的で退廃的な雰囲気がありました。

 ロランらしい怪異も見られます。「レピリエ一家」では、神父のところに深夜老嬢の幽霊が訪れ、直後にその老嬢が亡くなった知らせを受けて駆けつけてみると、死者のベッドの脇に、さきほど見た黒い服が夜露に濡れたまま置いてあったという場面、「エルボー夫人」では、主人公の詩人が、見ているタピストリを織る針の動きと自分の心臓の痛みが同期し、タピストリが赤い血に染まっていくという幻覚を見る場面。

 まずは、この本でメインの作品となる「レピリエ一家」をみると、物語は次のようなものです。
突然巨額の財産を受け継ぎ、田舎の屋敷に住むことになった独身の老女性が主人公。地元の神父が、金持ちの彼女との関係を考え庭師と女中の夫婦を紹介するが、その二人はとんでもない夫婦。女主人は、最初は彼らの可愛い娘にほだされ、新しく生まれてきた赤ちゃんの名付け親になるが、そのうち庭師に誘惑され、強いアルコールを飲まされアル中になって、領地と財産を末娘に遺贈するという遺言を書くこととなる。少しずつ騙され堕落していく恐怖が描かれている。最後は、来客や手紙も二人に遮断され半ば監禁状態のまま変死する。死後立会った神父は、その死に方に不審を覚えながらも、遺言の中には巧みに教会への寄付が織り込まれており、なすすべがなかった。

 アル中になった老嬢が、救いを求めようと画策して、それがことごとく召使夫婦の策略で捻りつぶされ、半ば監禁状態で、絶望と孤独のうちに死んでいくのが悲惨。古色を帯びた屋敷が舞台で、私がいま興味を持っている幻想建築小説とも言えます。ただ一般の怪奇小説と違うのは、超自然現象が主となっているわけではなく、物語を牽引する要素が、人間のさまざまな感情のもつれ、葛藤という点です。

 当時フランスで流行していた現実の残酷さを徹底的に描写するリアリズム小説と通じるものがあります。ロランの場合は、リアリズムが持つグロテスクな面が強調されていて、書評のなかでエヴルモンという人が「暗黒現実小説」という言葉でそれをうまく表わしていました。グロテスク・リアリズムとかマジック・リアリズムとの関連も考えられるものでしょう。リアリズムについて、面白いことがあるのは、いかにこれが19世紀フランス片田舎の現実を描いたリアリズムだとしても、21世紀の異国の人間からすれば、とんでもなく非現実で空想的な事柄ばかりで、幻想小説と同じテイストがあるということです。


 その他の短篇作品の概要を書いておきます(ネタバレ注意)。
〇Madame Herbaud
友人の詩人が市長夫人を殺したというので、まさかと思いながら翌日留置所へ訪ねていく。服も乱れ手首にたくさんの傷を負った詩人は、市長夫人には積年の恨みがあったと告白し、しかし殺すつもりはなく、夫人を諷刺する詩を作ろうと、日ごろの生活を偵察するために夫人の家を訪れただけだという。夫人は趣味のタピスリー製作に熱中していて、それを見ているうちに、首筋が冷やりとし、針を通すたびに自分の心臓が刺されるように感じ、タピスリーが赤く染まっていくように見えた。もうたくさんだと…気がついたら殺していたと言う。話しているうちに、狂気が顔を覗かせるその瞬間が怖い。大昔「ミステリーマガジン」の夏の幻想怪奇特集号で読んだコリアの「ナツメグの味」を思い出した。

Un coup de fusil
居酒屋で二人の狩人が雨宿りをしていたが、隣の客の噂話を聞いて、狩人の一人の若者が脱兎のごとく店を飛び出した。ずっと昔に、母親の不倫を知った息子がその場で相手の愛人を銃殺した事件があったが、今じゃ不倫の相手と一緒に食事し生活している家族がいてのんびりしたもんだと、隣の客が喋っていたのがじつは若者の家族のことだったのだ。若者は小さいころから何かおかしいとは思っていたが、話を聞いて、母親の愛人を殺しに飛び出したのだ。場面を作り上げる描写力がすばらしい。

〇Dans un boudoir
父の古い友人で背中に瘤のある医師が、ただ一人自分を愛してくれた女性の思い出を、彼女の住まいを見せながら語る。その小さな部屋は洒落た帝政様式の調度に囲まれていたが鏡がなかった。放蕩の亭主が悪病の末に亡くなるが、妻にもその病気をうつしていた。自分の崩れた顔を見たくなかったのだ。

〇Installation
引っ越し先で友人の荷物を片づけていたら、彼の若い時の写真が出てきた。裏の献辞を見ると、知らない男から知らない女性に当てて送られた写真だった。それを見て友人が思い出を語る。休暇中に、初恋の女性の思い出を追憶しようと向かった故郷の浜辺で、仕草や声がそっくりの女性と出会って、以前と同じ場所で同じように逢瀬を続けるが、急用ができてパリに呼び戻された。そのときその女性からこの写真が送られてきたという。写真の男は友人に似ているが別人だった。彼女もまた過去の恋人とよく似た男を求めていたのだ。


 巻末に収められたロランの手紙では、当初5月に出版する予定で出版社に原稿も渡したのに、愚図だから使うなとロランが事前に言っていた印刷屋に、出版社の息子が間違って回してしまったために、大混乱が起こった様子が分かります。印刷屋が原稿の一部を紛失するわ、順番が無茶苦茶になってるわ、何度校正しても前より悪くなるわで、ロランが「cet animal-là(獣野郎)」とか「ce cochon(豚野郎)」の罵詈雑言を浴びせ、ついに印刷屋が、ロランとのやり取りを出版社経由にしてくれと出版社に泣きつく事態に。結局、出版は11月までずれ込み、しかもページが前後になった部分や献辞を印刷しないまま初刷りが出てしまったということです。