:デ・ラ・メアの短篇小説

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W・デ・ラ・メア柿崎亮訳『デ・ラ・メア幻想短篇集』(国書刊行会 2008年)
ウォルター・デ・ラ・メア
鈴木説子訳「トランペット」(『怪奇幻想の文学Ⅵ 啓示と奇蹟』新人物往来社刊所収)
伊藤欣二訳「桶」(『現代イギリス幻想小説白水社刊所収)
龍口直太郎訳「すばらしい技巧家」(『犯罪文学傑作選』創元推理文庫所収)
平井呈一訳「失踪」(『こわい話・気味のわるい話 第二輯』牧神社刊所収)
長井裕美子訳「世捨て人」(『恐怖の分身』ソノラマ文庫所収)
脇明子訳「鉢」(「牧神2号 特集:不思議な童話の世界」牧神社刊所収)


 デ・ラ・メアを続けて読んでいます。『デ・ラ・メア幻想短篇集』を読んだついでに、本棚にあるデ・ラ・メアが載っているアンソロジーを引っ張り出して読んでみました。他に「牧神3号 特集:幽霊奇譚」に「姫君」と「謎」が掲載されていましたが、何れも重複していたのがはじめから分かっていたので読みませんでした。

 そのなかで、幻想的で味わい深かった作品は、
「ミス・ミラー」(『デ・ラ・メア幻想短篇集』)
「トランペット」(『怪奇幻想の文学Ⅵ 啓示と奇蹟』)
「世捨て人」(『恐怖の分身』)
の三作。

 「ミス・ミラー」は、怪作としか言いようがありません。ストーリーは結局よく分からないのですが、ベンチに座っている気が違ったような老嬢と、通りがかった少女の会話が作りあげる不思議な世界が何とも魅力的です。老嬢は魔女のような風貌で、彼女の言葉を信じれば少なくとも148歳以上、その会話の特徴は、①老嬢は喋るたびに少女の名前を呼びかけるが、ロージーちゃん、ポリーちゃん、コージーちゃん、スージーちゃんと、その都度名前がころころ変わること。②謎かけのような詩をところどころ引用するが、韻かダジャレか分からないような滑稽な調子。③自分が少女だったころに住んでいた大きな屋敷や塔の思い出を語るが、その規模が尋常ではない。④消えていったものを語るその表現が詩的。「あるもののほうが、私から逃げ出したの」(p60)、「まず私には絶対見つけられないはずのものなの・・・逃げるものがいて、逃げられるものがいる。そしてその間の距離によって景色が魅力的なものになる」(p61)、「あれじゃ窓から見えるはずもなかった。何故って、それはねえ、視界から消えちゃったから」(p62)、「全然わからないの、眼に見えないものが逃げていったのが何時のことなのか」(p65)、「私にもわからない。これまであれがそこにいたなんて全然気づかなかったのよ」(p65)、「ぐるぐる廻ってどんどん上へ、とうとうてっぺんに着くまで。でもどこにもそれのいた形跡はなかったの」(p68)、「私なら言わないわね・・・それがそこにいたという印さえなかったなんてね。その逆に、それはそのときいなかったのよ」(p68)。

 「トランペット」は、「オール・ハロウズ大聖堂」を思わせるような教会が舞台。その内部空間の描写が素晴らしく雰囲気があり、二人のいたずら少年の会話が生き生きと描かれています。少年の突っ張り合いが最後にとんでもない結末をもたらすという、デ・ラ・メアにしては明瞭で劇的な展開の一篇。訳文はこれまで読んだなかでもっとも平明。

 「世捨て人」は、人の情調に不安を与える夕暮れについて語る冒頭から、ある雰囲気にのまれてしまいます。寂しい土地で無人らしき館の前を通りかかった主人公が、その館が気になり車を降りて眺めていたら、突然現われた主人に招じ入れられます。帰ろうとして車のキーがなく、結局その館に泊まる羽目となります。がらんとした広大な館、その館で交霊術にふける主人、そして最近妹と秘書が次々に亡くなったと聞かされ、その秘書のベッドで寝ることになり、深夜に怪しげな声が、そして主人の机の上に車のキーが・・・と次々に不気味な雰囲気が立ち込めていきます。


 次に面白いと思ったのは、
「深淵より」、「ケンプ氏」、「どんな夢が」(『デ・ラ・メア幻想短篇集』)
「すばらしい技巧家」(『犯罪文学傑作選』)
の四作。

 「深淵より」もよく理解できませんでしたが、よく分からないなりに、神秘的な雰囲気が漂ってくるのがありありと感じられました。叔父から広大な邸宅を譲り受けて、ほとんどベッドで寝たきりのような主人公が紐で召使を呼びますが、洗濯女の夫人は現実的に見えますが、新しい執事の若い男あたりから怪しくなり、主人公がふと漏らした「ひと束の桜草を」という言葉に反応して実際に桜草の鉢を持って現れた器量よしの少女自身が桜草に見えたり、豚のような怪獣と変なのが現われます。主人公の幻覚なのか、幽霊なのか。

 「ケンプ氏」は、酒場で客の一人が語るという設定。見知らぬ土地を旅していた時、断崖の絶壁を何とか切り抜けた先に一軒の家があったが、そこは壁のすべてが本棚で覆いつくされ、本がいたるところに積まれているという学者の家だった。その学者は人の魂の実験をしていると言う。そこで亡霊のような姿になって死んだ夫人や絶壁から落ちて死んだ人の写真を見てしまう。そっと帰ろうとすると、部屋の外から鍵をかけられてしまい、窓からほうほうの体で逃げ出す話。「世捨て人」と同じく偽科学に凝った狂気の人物が印象的。

 「どんな夢が」は、立花種久ばりの幻想的風景に置き去りにされ、シュールレアリスティックな状況が次々と展開する佳品。最後に、病院のベッドで寝ていた時の夢だったという落ちがついているのが残念。もしこの最後の落ちがなければ私のもっとも好きな作となっていたでしょう。
 
 「すばらしい技巧家」は、読み始めてから、「名人」(『恋のお守り』所収)と同じだと分かりました。前回読んだときはそんなに感心しませんでしたが、2回目に読んで評価が変わりました。デ・ラ・メアの語りは、途中で脱線することが多いので、初めて読むときは物語の本筋を見失ってしまい、訳が分からなくなりがちです。二度目はストーリーが頭に入っているので、スラスラと読め、脱線は脱線として十分楽しめることになります。デ・ラ・メアは二回読みが必要な作家と言えるでしょう。


 作品によっても異なりますが、デ・ラ・メアの小説のあるものは、謎めいた雰囲気を醸し出すためにか、表現がストレートでなく、曖昧なまま宙ずりにされてしまうことが多々あります。例えば、「失踪」(『こわい話・気味のわるい話 第二輯』)の平井呈一による解説には殺人小説と書かれていますが、私の読解が悪いせいか、どうしても殺人とは思えない、というようなことが起こります。『デ・ラ・メア幻想短篇集』は、「あとがき」に各篇の説明がついています。これは、あまりにもデ・ラ・メアの作品が謎めいて分かりにくいので、読者の便宜を図ったのに違いありません。