:Philippe Jullian『LES MAUVAIS PAUVRES』(フィリップ・ジュリアン『たちの悪い貧乏人』)


Philippe Jullian『LES MAUVAIS PAUVRES』(Olivier Orban 1985年)

                                   
 生田耕作旧蔵書。著者については、長らく評論家と思っていましたが、5,6年前東京古書会館の洋書市でこの本を見つけて、はじめて小説も書いていると知りました。Ghislain de Diesbachによる序文を読むと、多芸な人のようで、はじめは挿絵画家としてデビューし、自らの絵に諷刺的な文章を添えるようになったことから、次第に文章も書くようになったようです。史伝のシリーズからはじめて芸術家の伝記を次々と出し、また19世紀末の専門家として仏英米において数多くの展覧会を開催したとのことです。骨董コレクションの大半を火事で焼失した翌年に自殺したというのは、骨董を失くしたことがショックだったに違いありません。

 フィリップ・ジュリアンの本は、『1900年のプリンス―伯爵ロベール・ド・モンテスキュー伝』(2011年1月25日記事参照)と『世紀末の夢―象徴主義芸術』(2011年4月24日記事参照)の二冊を、以前この日記でも取りあげています。いずれも、詳細な資料にもとづいた博覧強記ぶりと、回りくどいような気取った文章が目につきました。


 この『LES MAUVAIS PAUVRES』は短篇集で、既刊の本からも何篇か取って編集しなおしたもののようです。全部で9篇収められていますが、冒頭の3篇がフランスを舞台にしている他は、それぞれイタリア、オーストリアスロヴェニア、スペイン、インド、アイルランドと、異国に取材した物語集ともなっています。

 全篇を通じて言えることは、作品にスキがなく張りつめた印象があり、伏線のはり方、盛り上げ方、なにげない逸話の挿入、細かな描写など、小説の技巧が充満していると感じられることです。短篇小説として完成された作品になっています。逆にもう少し素朴さや趣味に淫したような破格の美がほしくなってくるぐらいです。

 文章が窮屈で張りつめた感じになるのは、詩情とか余情というものがあまり感じられないことが一因かもしれません。詩情というのはそこで時間を停止させるような働き、一直線だった本筋から少し脱線しエネルギーを横道にそらすような働きがあるように思います。ただ戯画的な視線はところどころに感じられ、それがかろうじて息抜きになっているでしょうか。

 小説技巧のなかで、際立って効果があると感じられた特徴は、登場人物が困惑するような状況に次第に追い込まれていき、それが結末に向かって次第にエスカレートしていくさまが詳細に記述されるところです。「Les mauvais pauvres(たちの悪い貧乏人)」、「Marraine(慰問の女性)」、「《A grandes guides》(贅沢三昧)」に顕著に現れていて、どんどん引き込まれていきます。

 もうひとつの特徴は、評論家ならではの博学な知識を背景にしているところで、その傾向が悪い結果を及ぼしているのが、絵画を題材にした「Les visites florentines(フィレンツェ訪問)」、音楽を題材にした「Délices de Vienne(ウィーンの甘い思い出)」の二篇。衒学趣味が鼻につき、歴史上の人物や芸術家の名前など固有名詞が頻出して読みにくいことおびただしい。


以下、各篇の紹介を簡単に(ネタバレ注意)。                                   
○Les mauvais pauvres(たちの悪い貧乏人)
 祖母から貧者への施しもののお使いを頼まれた少年が、貧民街で乱脈に生きる夫婦から金品を要求される話。少年の大人の女への好奇心がリアルに描かれ、猥雑で動物的な欲動が蠢いている貧民街が裏ユートピアとして語られる。


○À la recherche d’Albert(アルベールを探して)
 大いなる徒労のテーマ。緻密な資料集めで知られるプルースト研究家の女性が、プルーストとの関係が疑われる元運転手がいると聞きある伯爵の館に乗り込むが、すでに運転手は亡くなっていた。しかし館の屋根裏部屋に運転手の遺した行李があり、そこにどうやらプルーストからの手紙や運転手の日記がありそうだった。研究家の女性はその貴重な資料を手に入れようと老伯爵と結婚までするが・・・その資料は、結婚を機の片づけで燃やされてしまっていた。


○Marraine(慰問の女性)
 女中が慰問の手紙を書くというので軽い気持ちで代筆したところ、その兵士とのやり取りが軍報に掲載されて反響を呼び、地方紙に連載されることになり、本がベストセラー、兵士がフランスに帰って来るなど、引っ込みのつかない状態に追い込まれる話。


Les visites florentines(フィレンツェ訪問)
 絵の真贋がテーマ。フィレンツェのサロンで絵画をめぐるペダンチックな会話が繰り広げられる。女主人がマサッチオだから絶対に売らないと言っている絵を、イギリスから来た若手の美術学者が鑑定をして、複製だと宣言する。がっかりした女主人が絵を売り急ぐが・・・実は絵画商とその美術学者が手を組んでいた節が。


Délices de Vienne(ウィーンの甘い思い出)
 列車で偶然に知り合った夫人とウィーンで行動を共にし、現地の男爵の案内で名所を巡る。ウィーンを満喫する一種の観光小説か。伏流のストーリーとしては、夫人が敬愛していた女性ピアニストが男爵の昔の恋人であり、男爵は振られた腹いせに彼女の素性を暴露して、夫人が幻滅する話。


○La flûte enchantée(魔笛
 共産主義政権のカルパチアのフランス大使夫人が、フランスの存在感を増そうと、歌姫を呼んでコンサートを開くことを計画する。前日になって、歌姫の夫が来られなくなり、歌姫も消沈して声が出なくなる。あわやの危機を前に大使夫人は一計を案じてその難局を切り抜けコンサートを成功させ、フランスとカルパチアの友好のみならず、共産圏国大統領とカトリック教会の宥和も図ることができた。その一計とは? 最後の栄光に向かって盛り上がって行くアッチェレランドが素晴らしい。


○L’impératrice Pepa(皇后ペパ)
 スペイン貴族の美貌の娘が、将来皇帝夫人になるが子どもは黒人に殺されるという修道女からの予言を信じ、当時皇帝のいたロシア次にブラジルの宮廷をさまようが、十数年しても実らず容色も衰えスペインに戻る。予言した修道女はとっくの昔に人心を惑わすと破門されていた。ところがアフリカへ気晴らしに行った時、スルタンの目に留まってハーレムに迎えら、第一夫人となり予言はついに成就する。最後は夫も子も殺され本人も国外追放され、セヴィリアで「皇后」というあだ名のもと老後を過ごす。めぐりめぐって予言が成就するという遍歴譚、奇蹟譚。


L’insolation(日射病)
 インド独立に一役買ったイギリス総督夫人の話。インドのある地方の神智学協会を訪れた時、日射病で倒れるが、その日から夫人はインドの叡智に目ざめ、聖者のもとで修行に励むようになる。独立を陰ながら援助してインドが独立を果たすと総督とともにイギリスへ帰る。その後不思議なことに、毎年日射病に倒れた日に彼女が失踪するようになる。


○《A grandes guides》(贅沢三昧)
 アイルランドの田舎に、イギリス人の美貌の若者がやって来て、古くからの名士の家に住みつき、そこの夫人を篭絡したり、隣の名家の跡継ぎ息子と一緒に飲んで騒いで贅沢三昧をして、次々に皆を破滅に落とし込んでいく話。若者が悪魔のシンボルとして描かれている。悲惨さが滑稽さと混じり合った結末が面白い。