:W・デ・ラ・メア『魔女の箒』


W・デ・ラ・メア脇明子訳『魔女の箒』(国書刊行会 1975年)


 長らく死蔵していた一冊。この本には、短篇3篇「オランダ・チーズ」、「魔女の箒」、「訪れ」と長篇「三匹の高貴な猿」が収められています。


 短篇では「オランダ・チーズ」がもっとも佳品。主人公が悪戯好きの妖精たちと格闘して打ち負かされてしまう話で、妖精たちが次々とくりひろげる魔法が面白い。対抗して投げた丸いチーズが何日か後に主人公の頭にぽかんと落ちてくるように、主人公は手も足も出ない。

 次は「訪れ」で、片腕が不自由で独りぼっちの感受性豊かな少年が、いまは海外へ渡航して永住していて、そのきっかけを回想する話。湖に不思議な鳥がいるのを見て、渡り鳥だと知ったことから、それを神託のように受けとめたのでした。

 タイトルになっている「魔女の箒」は、老女が長年連れ添った猫の意外な一面を知り愕然とする話で、生き生きとした猫の生態が描かれています。猫好きにはたまらない一篇でしょう。

                                   
 長篇の「三匹の高貴な猿」は、これをもとにした「ヤン坊トン坊ニン坊」というラジオ連続ドラマが昔NHKラジオで放送されていて、子どもの頃何回か聞いたのを覚えています。当然内容はまったく覚えていませんし、今回読んだ原作とは似ても似つかない物語だったように思います。というのは、この物語は、子ども向きに書かれたと言われていますが、内容は大人向けの幻想ファンタジー小説だからです。

 これまで読んできたデ・ラ・メアのほかの小説とはまったくトーンが違っていて、とても分かりやすく、登場人物も前向きで溌剌としています。登場人物というのは、実は猿を中心とした動物たちで、人間はイギリス人のロビンソン・クルーソーのようなのが一人出てくるだけです。いろんな動物たちが生き生きと描かれ、ひたすら森のなか山のなかを旅する物語で、私も自然のただ中にいるような気分になりました。この種の物語はあまり読んでませんが、これまで読んだなかでは松浦輝寿の『川の光』と少しトーンが似ているように思います。

 この物語を輝かしくしているひとつの特徴は、この小説の想像力の特異さというところにあると思います。まず猿の言葉というものを設定していること、それは猿の共通語のほかに、猿の種族ごとの言葉があり、それがあちこちにカタカナの言葉でちりばめられていることです。例えば、「影、幻、亡霊」は「ミーアムット」、「死」は「ノーマノッシ」、「小舟」が「ボッバリ」と言った具合。しかも猿と豚など異なる動物たちの間でも会話ができていることです。

 いろんな動物が出てきますが、それが呼称のせいでわれわれの知っている動物と異なっているような気になり、想像力を刺激されます。例えば、象らしき鼻の長い生き物が「エフェラントウ」という名前で出てきたり、豹が「ローゼス」、猫が「バーブーリ」。ほかにわれわれの世界には存在しないような蝋燭虫、砂蚤など変わった生き物がいくつかありました。

 猿は「ムルガー」ですが、そのムルガーにもいろんな種類があり、主人公たちは王族の「ムッラ・ムルガー」、他に「グンガ」や「ミニマル」、「ムッラブルック」、「バッバブーマ」など。人間は「ウームガー」と呼ばれていました。猿の種族の多様さが、この物語を豊饒なものにしているように思います。大きな毛深い猿、肉を食べる邪悪な猿、仙人のような猿、鼻の長い猿、手の長い猿など、そうした造形が面白い。
 
 木立のように立ち並ぶ亡霊のミーアムットや、自分の猟犬たちに噛み殺されてしまうインマナーラという影の女王、そして森のなかの木々の間から「月光のようにかすかな髪にふちどられたその眼があまりにも美しくかれに微笑みかけている」という謎の顔など、動物を超えた存在が登場するのも、不思議な世界を作りあげるのに寄与しています。

 ほかに微細な想像力にとんだ表現があちこちに出てきます。例えば、眠りを、ちょっといなくなる夜の眠り、遠くへいなくなる失神、行ってもう戻らない死の眠りの三種に分けていること(p97)、片眼ずつ別の色をした眼(p318)や、食べれば食べるほどやせていき、食べすぎのあまり見るかげもなくやせてしまう者(p361)。「くすぶるたき火の煙に月光が映し出す松の樹の影のようなもの」(p411)、「死にかけているとき、ひとの耳には、生命ある者には手で光を見るのと同じくらい聞くことの不可能なものが聞こえてくると言われている」(p411)といった表現。

 苦難の末、長い洞窟を筏でくぐり抜けて最後にティッシュナーの谷というところにたどり着きますが、そこは一面に花々の咲き乱れる場所です。これは洞穴をくぐって到達する桃源郷ではないでしょうか。

 映画化されているかどうか知りませんが、近年のディズニーの特撮映画の技術ですれば可能と思うので、原作に忠実に映画化すると面白いものができるに違いありません。