吉野裕子『日本人の死生観―蛇信仰の視座から』(講談社現代新書 1982年)
今回も古代日本人とあの世観の話。吉野裕子の本は、古本でもよく見かけますが、読んだことがありませんでした。論旨がはっきりしていて、途中で退屈することもなく、興味深く読めました。素人目には少し極端な説のような気もしますが、内容の真偽については、私には判断する能力もなく、また学会や研究者間でどれほど認められた学説かは知りません。
この本の主張するところは、結論から言うと、古代日本人が、他界の主として信仰していたのは、祖先神である蛇であり、誕生とは蛇から人への変身であり、死は人から蛇への変身であると考えていたということです。その変身のために行なわれた呪術的行為が、誕生の際の産育習俗、死の際の葬送習俗であるとしています。
まず、祖先神としてなぜ蛇が信仰されたか、これは、インドのナーガ(コブラの神霊化)、メキシコのケツアルコアトル、中国の伏儀(ふくき)と女媧という夫婦の人面蛇神など、世界的にも共通する現象であり、その理由としていくつか挙げています。
脚なしの蛇が地面を滑るように進むその不思議な能力、
生命の根元としての男根に似た形、
自分より大きな敵を一撃で倒す猛毒、
目、鼻にいたるまで脱皮し生命を更新する姿、
蛇の目が太陽のような光の源泉とみなされたこと。
誕生が蛇から人への変身ということに関しては、古代日本人は、一人の赤子が誕生すると、必ず一つの産屋を設けたようで、日本各地に残る習俗でも、生まれたての赤坊は、母親の古浴衣、腰巻など古布で、3日から7日ぐらい包み、その後「三日衣裳」と呼ばれる新しい産着を着せられると、著者が沖縄で見聞したことや、柳田国男の記録が引用されていました。そしてこれは新生児が蛇であり、脱皮して人になるという呪術的儀式である、としています。これに関連して、記紀神話で、豊玉姫がお産をしたとき、産屋が完成する前に生まれた皇子「ウガヤフキアエズノ命」の名前の解釈を、従来は、鵜の羽根の産屋が葺きあえずの意味としているが、蛇のことは古来「宇賀神」と呼ばれていたので、宇賀屋葺きあえずが正解ではないかと問うています。
死が人から蛇への変身ということに関しては、誕生の際と同様、人が亡くなると喪屋が建てられましたが、脱皮の儀式に相当するのが何かというと、それが殯(もがり)で、殯とは「身離れ(もがり)」であり、肉体から肉が腐敗して削げ落ち、骨となる過程、としています。古代人は、腐らない骨を「骨神」として信仰し、死体の腐敗過程を見守ることが残された者の義務とされ、時には死者の傍で酒肴、楽器を持ち寄って歌い踊ったといいます。さらに、現在に残る葬送習俗のなかに「四十九餅」というのがあり、49の小餅にそれぞれ人体の関節の名をつけて、それを参会者みんなで食べるということがあり、これも殯の名残であるとしています。
蛇の呼称からの考察もいろいろ繰り広げられていました。蛇は古代「ハハ」「カカチ」「カガチ」と呼ばれていて、「チ」は霊格を表す語なので、蛇自体は「カカ」であり、おそらく子音転換によって「カカ」から「ハハ」に移行したとし、「カカ」は畳語で、原語は「カ」であったとしたうえで、神(カミ)は蛇(カ)身であり、屍(カバネ)は蛇(カ)骨、鏡(カガミ)は蛇(カカ)目の転訛、三輪山を流れる初瀬川も蛇(ハ)背川と解され、蛇は田を守る神だったので案山子(カカシ)は蛇(カカ)子からの言葉と、どんどんと展開していきます。
蛇に関してはこのほかに、古代には、箒神という生死の場面に必ず出て来る神がいて、これまでの学説では穢れを払う箒という捉え方をしているが、これは蛇の形を連想させるシュロ科植物の蒲葵(びろう)を蛇木(ハハキ)として信仰したところから来たのではないかと問い、当初は呪術的な道具だったが、のちに掃除道具としての箒(ハハキ)になったといいます。また現代でも、箒や竜蛇のつくりものを葬列の要素として取り入れる習俗が残っており、ところによっては竜蛇が死者とともに埋葬されることを考えると、死者=竜蛇と考えることができると、しています。
屋内神としては火の神、カマド神だが屋外神としては屋敷神である荒神という信仰があり、この屋外神としての荒神を祀る荒神祭りという習俗が今でも各地に残っているそうです。ご神体となるのは藁蛇で、祭りの後、大木に巻きつけられるのが、荒神と蛇との関係の深さを示すものである、と書かれていました。そういえば、私のサイクリングコースに、平群の川の上を渡るかのように、蛇のように波打つ藁束がかかっているところがありますが、これは藁蛇の習俗の名残だと思われます。
古代日本における他界と方位との結びつきについても論じられていました。蛇が冬に穴に入り春地上に現われるように、太陽も日ごと夜は西の洞窟の穴をくぐって朝に東の空に再生すると考え、人間の死も西の方位にあるとみていた。国土の最長東西軸では、出雲がその西の極限に位置しており、そこに出雲が重要視された根拠があり、また大和朝廷から真東には伊勢があり、そこがもっとも神聖な場所であるとされた、といいます。そして伊勢に奉斎されている天照大神も、伊勢に鎮まった猿田彦も、ともに「伊勢大神」とよばれる祖霊の蛇ではないか、さらには、伊勢大神に奉仕する最高女神官の斎宮は、夜ごと、祖神の蛇と交わるべき蛇巫であったのではないか、と主張しています。